占いのない世界

 星占いを信じるような人間は嫌いだ。
 でも、星占いを信じる彼女のことは好きだった。
 明けの明星がぐるんと眼下の水たまりに潜り込んでは、浮ついた廃液の虹色とワルツを踊っている。他には星なんてこれっぽっちも夜空には顔を出していない。月も昼間にシフトを済ましてしまって、今はタイムカード切り終えて裏っかわで眠っているころだ。
 そういうのを、基本的にはつまらない夜空になったものだと切り捨てたってそれは正しさの側から逸脱するような失敗にはならない。
 実際に空っぽの夜空に面白さなんて見いだせっこなかった。
 サイレンが遠くで鳴っている。歩く足が疲れている。道は真っ直ぐで、薄暗く、生産性を追求する構造体が両脇にはそびえ立つ。
 けれどそんなことはどうだっていい。考えるべきことはいつだって自分の側にないものについてなのだから。
 そういう意味で、昔と比べ、宇宙はかなり思考すべきものになったともいえる。
 一昨年の4月1日、唐突に宇宙が太陽系を残して消滅したことは、早々に記憶から退散するにはまだ若すぎる記憶だった。あるいは太陽系が宇宙からはじき出されたのだという説もあるが、観測される結果からいえば同じだ。唐突にこの星系は孤独におっぽり出され、そして何も変わることはなかった。全ての地球外生命体に関する言説は過去のものとなり、それ以上のパラダイムがシフトする時代は起こるべくもなかった。
 ただし、星占いは消えた。何座の生まれだからといって、優しさだとか、気難しさだとか、勿体つけた評価を会う人々毎に押し付けられることはなくなった。
 星占いを信じるような人間が嫌いだった人々は結構にハッピーだったが、彼女は酷く哀しんだものだ。
「いいじゃないか、星占いがなくたって血液型占いもあるし」
 ちなみに血液型占いを信じるような人間も嫌いだ。
 でも、血液型占いを信じる彼女のことは好きだった。
 そしたら今度は世界から血液型というものが消えた。人間の身体に通う赤色の性質は全て同じになり、輸血問題は解決され、O型が尊ばれる機会は永久に追放された。あるいはどの血液型だったとしても、互いが互いを受け入れるようになっただけだという説もあるが、観測される結果からいえば同じだ。Rh-の人たちが妙なアイデンティティと出血を伴う事故への人一倍の恐れを抱く日々は過去のものとなり、それ以上の救いをもたらすことはなかった。
 ただし、血液型占いも消えた。
 AB型だからといってなぜかひねくれた人間であることを直ちに看破される事態は無くなった人々は結構にハッピーだったが、彼女は今度は憤ったものだ。
「いいじゃないか、占いなんていくらでもやりようがある」
「例えば?」
「例えば、そうだな……誕生日占いとか?」
 もちろんうすうすと嫌な予感はしていたわけだが、案の定、誕生日は消えた。人間は既に在るために在り、誕生と消失は対になって概念的な分解の憂き目にあったわけだ。つまり、人は生まれながらに生まれ死にながらに死ぬ。それが世界の理となった。
 その結果として彼女は不死身になったが、誕生日占いを失ったことのほうがショックだったようだ。
 星も、血液型も、誕生日もない世界を歩く。サイレンは未だに遠い。
 けれどそんなことはどこまでもどうでもいい。星が、血液型が、誕生日がなにかしてくれたことはあっただろうか。何もしてくれちゃいないだろうと思えた。
 ただし、彼女は多分に不満げだった。
「いいじゃないか、占いなんてなくたって」
 だって占いなんかで相手の個性を絞り込まなくったって、いくらでも人間は、共感性とか感動とかを震わせることができるんだから。概ねそれは言語によって。時折はジェスチャ、目の動き、エトセトラ。彼女は五体満足であり、星々も血液型も関係ない。
 そんなことを彼女に言ってみたところ、いよいよもってその不満顔は臨界を迎え、その怒りのエネルギーは空に散らばって星を作った。興奮を滾らせる血液はしぶしぶ自らの個性を思い出して血液型になり、その余波によって時間は正しく流れて誕生日も参照可能になった、らしい。
 けれど彼女は、ようやく復活したそいつらを、こっち側には一つとしておいていっちゃくれなかった。全てを腕の隙間から溢れんばかりに抱え上げ、サイレンの聞こえない世界に帰っていってしまった。
 それ以来彼女が戻ってくることもなかったが、たぶん星々や血液型の占いに囲まれて幸せになっていることだろう。連中はいつだって彼女の聞きたいことを囁くんだから。
 僕は最後まで彼女の望むようなことは一つだって言わなかった。
 サイレンが遠い。天の光は全て彼女が持ち去った。占いのない世界は孤独に歩む。


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