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読書記録:須賀敦子『遠い朝の本たち』

幼い頃から本を読むことが好きだった。小学生のとき、居候に近いかたちで住んでいた家の四畳半の一角に二段ベッドが置かれていて、寝相の悪い私は下の段、高いところが平気な弟が上の段を使っていた。ベッドの枕元には必ず数冊の本を置いていて、休日の朝は目が覚めても起き出さずに読み耽った。

部屋は北側で、昼間もあまり日が入らず、おまけに二段ベッドの下の段だから文字を読むには暗かった。そんなところで読書をしては目が悪くなると大人たちに叱られてもやめないので、デスクライトの根本がクリップになっていて、ベッドの木枠に挟めるものを買ってもらったのだった。読書灯だ。私は暗がりの中に本だけを照らして、多くの物語を読んでいた。

中学生のときに引っ越して南側の日当たりの良いひとり部屋をもらってからも、読書灯は使い続けた。休日、目が覚めると読書灯を付け、枕元にある数冊のなかから読みたいものを選び、トイレに行きたくなるか空腹に耐えられなくなるかまで読み続ける。親は休日も仕事でいないし、部活は平日しかなかったから昼過ぎまで布団にくるまっていても咎める人はいなかった。

中学生の頃には夜更かしも覚えたので読書ははかどるばかりだったが、そのとき夢中になって読んでいたものを全て覚えているわけではない。ハリーポッターや指輪物語などのファンタジー、宮部みゆきのミステリー、星新一のSF、中原中也の詩集。それが教養というかのように貪るように読んだ。

高校生になると忙しくて読書にとれる時間は大幅に少なくなった。予習と復習、テスト勉強、模試の復習、単語の暗記。部活をかけ持ちし、習い事も続けて、私の日々は目まぐるしかった。青春を最大に謳歌しようとしていた。しかしこの時期に読んだ本には、私をその世界に惹きつけたものが多い。

須賀敦子さんの『トリエステの坂道』(新潮文庫)を読んだのは、国語の課題図書のうちの1冊だったからだと記憶している。通っていた高校には毎年、課題図書のリストがあって、そこから数冊を読んで感想を提出しなさいというノルマが課されていた。国語の教員が選んだらしい課題図書はどれを読んでも「当たり」が多く、私は片道1時間の電車通学の時間を使ってその課題を楽しんでいた。

『トリエステの坂道』はエッセイ集だ。内容は今ではほとんど覚えていない。しかしヨーロッパに対する憧れをかきたてられ、私もいつか自由に旅をして、そこに住みつくような人生を送れたらという夢想が止まらなかった記憶がある。トリエステ、というそれまで聞いたことがなかったイタリアの街の名前の響きは脳にしっかりと刻まれて、憧れの象徴のように輝きつづけていた。

あの頃読んだ本は図書館で借りたものばかりだったので手元に残っておらず、ふとしたときにもう一度読みたいと思っても叶わぬまま月日が過ぎた。電子書籍で検索をかけてもヒットしない。いや、著者の他の本ならいくつかKindleにもあるようだ。読んでみよう。

須賀敦子 著『遠い朝の本たち』(ちくま文庫)は、翻訳家・随筆家であった著者が幼少期から青年期にかけて読んでいた本についてのエッセイ集だ。戦中に思春期であった女性の日常を知ることができ、当時の女性としては特殊な道を歩いた著者の人生は興味深く、本を通してこれほどまでに語れることを羨ましくも思った。

遠い朝、私の人生に影響を与えるほどにターニングポイントとなった本があっただろうか。この本を読み終わってからしばらく考えているのだが、なかなか思いつかない。

私にとって幼少期の読書とは、無料で手に入れられる最高の娯楽であった。小学校の図書館は居心地がよく、町の図書館も子どもにとっては広く充実していて、どちらからも常に何冊か借りていた。恵まれた環境であった。

そうだそうだ、小学生の頃は青い鳥文庫をよく読んでいた。講談社が小中学生のために刊行しているもので、小説がメインだけれどノンフィクションや世界の名作の翻訳モノなどジャンルは多岐にわたる。

夢水清志郎シリーズ、クレヨン王国シリーズ、パスワードシリーズなどシリーズものも多くて、古い順に読んでいこうとしても貸出し中だったり、蔵書が欠けていたりして思うように読み進められないのも今では良い思い出だ。しかしながらどのシリーズも1冊ずつ物語が完結しているから読みやすく、長編を読む体力のようなものが養われた気がする。

中学生になると分厚い本への憧れが芽生えた。中学1年生のときに手を出した宮部みゆきさんの『模倣犯』(小学館)は、13歳が読むにはグロテスクな描写が多いし、どれほど理解できていたのかは定かではないけれど、長編を読み切る快感を覚えたことは間違いない。

今では枕元に本を置くこともなくなった。朝起きると代わりに置かれているスマホでニュースに目を通し、アメリカの野球の試合経過を確認して、時間があればアプリで漫画を読む。じっくり読書をするのは出社したときの昼の休憩時間と、遠出するときの電車内くらいになってしまった。娯楽があふれる世界でしかし、趣味のひとつに読書が居座っているのは、幼い頃からの習慣のようなものかもしれない。読書でしか満たされない何かがあるのだろう。

思いがけず自分の人生を振り返るような読書となりました。著者の他の本もぽつりぽつりと読んでいきたいと思います。



以下、雑記
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カメムシの来訪はやまず、しかし秋は確実に進んでいるようで、家の周辺のキンモクセイが一斉に咲き、散り始めています。今年はどこか紅葉を見に行きたいとは思っているのですが、きっとどこもすごい人出となることでしょうね。

冬には温泉に行きたいと思って宿泊予約サイトを見ているものの、こだわりが強すぎてなかなかグッとくるお宿が見つかりません。すっかり露天風呂付客室というもののトリコになっているのですが、これが難しいのです。私は温泉の効能を信じているので、客室に付いているお風呂も温泉でないと嫌だと思っているのですが、『※客室のお風呂は温泉ではありません』という宿の多いこと。

そりゃあお金を出せばいくらでもあるのかもしれませんが、贅沢にも限度はあるわけで。予算内で、温泉の露天風呂付客室、食事もメインは牛肉が良いかしら、電車でいくのに不便でないとなお良くて、せっかくなら観光もしたい。。。とわがままを積み重ねていくとちっとも見つからないのです。

往々にして、何かを妥協しなければ前には進めないわけですが。未だ見ぬ理想の温泉宿を探して、この土日もサイトをフラフラ彷徨う予定です。これもまた娯楽なのかもしれない。

今回も読んでいただきありがとうございました!

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