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読書記録:宮本常一『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』

学生時代、懐は寒く、買える本は少なかった。(積読の癖があるので図書館は向かない。)欲しくて欲しくてたまらない状態が3ヶ月続いたら買うと決めていて、宮本常一氏の『忘れられた日本人』(岩波文庫)はその3ヶ月を経て購入した。

珍しくすぐに読み始めたものの、すぐに挫折する。この本は戦前・戦後の日本各地の老人たちに語ってもらった人生を文字起こししたもので、明治から昭和にかけての人々のリアルな暮らしを知ることができる。内容はとても面白いが、方言もそのままに書いてあるため、するりと脳みそに伝わらないもどかしさがあった。著者の故郷の山口県周防大島や九州での取材も多く、言葉に馴染みがないせいだろう。

10年ほど積まれていたその本を再び手にとったのは、家にいる時間が急に増えてしまった2年前の春。不思議だった。私の実家は栃木、学生時代の住まいは兵庫、夫の実家は広島、そして現在の住まいは愛知。10年の間に吸収した方言のおかげでスルスル読める。まるで老人に耳元で語ってもらっているかのごとく、語尾のニュアンスまでしっかり想像できるようになった。その本が面白かったのは言うまでもない。そういうわけで、私にはこの数年、宮本常一ブームが吹き荒れている。

宮本常一氏は民俗学者で、市井の人々の暮らしを丁寧に取材し、記録した人だ。著書は多岐にわたり、また没後に再編集されて出版されることも多く、今回はそのなかから『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』(講談社学術文庫)を読んだ。

イザベラ・バードは1870年代から1900年代にかけて、西洋から見れば僻地であった東アジアを旅したイギリス人の旅行家、探検家である。『日本奥地紀行』は彼女が1878年(明治11年)に東京から北海道へ、北日本を旅した際の旅行記で、平凡社や講談社学術文庫の訳を読むことができるらしい。

そして今回私が手に取った『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』は、その『日本奥地紀行』をもとに宮本常一氏が行った講義録で、イザベラ・バードが体験したことからわかる明治初期の日本人の実態を詳しく解説している。何気なく記されたワンフレーズから失われた慣習に気づくなど、フィールドワークで培われた著者の知識には驚くばかりで、『文明』が日本人の生活をどのように変えたかを思い知った。

ちなみに私は『日本奥地紀行』を読んではいない。講義を聴講するにはきっとふさわしくない人間だ。しかし引用の多い構成にしてくれているので理解しやすく、2冊の本を同時に読んだかのような満足感があった。お得。

さて、本の中で最も驚かされたのは、日本人の清潔感の変化だ。彼女の旅はノミとの戦いだった。宿にも茶屋にも外にも大量のノミがいる。そして体どころか衣服も洗わない人々。著者曰く、日本人が風呂に毎日入るようなキレイ好きになったのは戦後のことで、それまでは至るところで当たり前にノミがわいていたそうな。本当かしら。

およそ150年経った現代では考えられないような衛生観念で、むしろ昨今はアルコール消毒によって菌を滅しすぎてやしないかと不安になるほどだ。やるなら徹底的に、という国民性なのだろうか。除菌は限りなく100%に、シャツは真っ白に。方向性を一度定めたらひたすら突き詰めていく、そのことで得たものの方が大きいのは間違いないのかもしれないが、果たしてゴールを誰が決めるのだろう。

しかしながら私の実家では猫が連れてきたノミが絶賛拡大中らしい。ノミとの闘いは150年経った今も終わっていない。私が知らないだけで、彼らはそこかしこにはびこっているのだろう。かつての栄華を語っているかはわからないが。

今年読んだ杉本鉞子『武士の娘』と同じ時期の日本を描いているにも関わらず、イギリス人女性が書き留めた農村の素朴な生活と、武士の娘が経験した『開化』していく日々は印象が全く違い、私のなかの明治初期のイメージにどんどん色が足されていく、そんな読書となった。宮本常一氏の著書はもっと読んでいきたいが、他の民俗学者の本も読んでバランスを取る必要もあるだろう。何れにせよ近代史を学ぶための読書は続けていきたい。


さて、先日初めて↓の称号?をいただきました。

皆様、いつも読んでいただきありがとうございます!!読書は相変わらずの遅読につき、その他の経験を文字に起こせるようにこれからも頑張ります。


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