読書記録:石毛直道「食生活を探検する」

ある食べ物をゲテモノと思うのは私の感覚で、育った環境が違うなら食べるものも違う。そんな当たり前のことに気付かされる本を読んだ。

石毛直道「食生活を探検する」(文春文庫)

つい最近読んだ石毛さんの「リビア砂漠探検記」(講談社文庫)がとても面白かったのだ。人類学者の筆者が、例の大佐が支配する前のリビアをフィールドワークした時のアレコレを書き留めたエッセイで、砂漠で暮らす人々の素朴な生活を知ることができた。

筆者自身が食べることも料理することも好きとあって食事についてのお話が特に面白く、さらに読ませてもらおうともう1冊手に取ったのが「食生活を探検する」という本。

1950年代から1960年代のフィールドワークで見聞きした、トンガ・パプアニューギニア・東アフリカ等のいわゆる「未開の地」に住む人々の食事と、その調査の際に筆者が何を食べたかがまとめられている。

(筆者が戦前の生まれであるので、そのジェンダー観について顔をしかめてしまうような記述もあるが、まぁこんな時代があったんだなぁと流そう。)

タンザニアのハツァピ族は当時、狩猟採集のみで生活しており、それはさながら旧石器時代のような暮らしぶり。シマウマを狩ってその場で食べ、蜂蜜を取ってその場で食べ、食べきれない分を村に持ち帰る。彼らについての記述が特に考えさせられる。

『腹がへっているのは、いま』だから、政府が彼らを農民にしようと与えた種は撒かずに食べ、牧畜をさせようと与えた牛もすぐに食べる。そして逃げる。怒られることはわかっているのも面白い。

彼らは基本的に空腹だ。行きあたりばったりの狩猟採集生活だから何も食べられない日もあるわけで。でも人間はある程度の量を食べることができれば生きていける。シマウマを3日かけて食べるだけで満たされるなら、他に何が必要だろう。

筆者はこの暮らしも近代化の波に抗えず、もうじき狩猟採集生活は終わるだろうと書いていたが、2015年のナショジオの記事に彼らを見つけた(ハッザ族という表記だが彼らだろう)。まだ暮らしぶりは変わらないままのようだ。

さて、本にはたくさんの「ゲテモノ」が登場する。虫だけでもバリエーション豊か。しかしそこに住む人々にとっては日常食であり、時には苦労して手に入れ調理するごちそうである。私から見て奇っ怪というだけで。

私が食べたことのあるもので1番のゲテモノは何だろう。

アメリカに滞在したときに食べたカエルのフライだろうか。大阪のジビエ屋さんで熊の手を食べようとしたら売り切れだったのは今でも悔やまれる。

故郷の北関東の郷土料理に「しもつかれ」がある。鮭の頭や大根、人参をすりおろしたものと大豆を酒粕で煮た料理(調味料は入れないらしい)。郷土料理というのは給食で出るものだけど、小学生はこれを「ゲロみたいだ」と包み隠さず言い放つ。グーグルの画像検索をぜひ見ていただきたい。味は材料から推察願う。そんな料理だ。

私の母はこれが好物で、今でも道の駅などで小分けにされたものを買って食べている。私は中3の給食以来、まったく手を付けていない。

「しもつかれ」をゲテモノと言ったら地元でお叱りを受けそうだが、同じ日本人でも食指が動くかどうか怪しいと思う。しかしニューギニア高地の民は真っ白でいかにも無害そうな「うどん」を気味悪がって食べなかったらしい。逆に言えば北関東の民以外にしもつかれを好む人間がいる可能性は大いにあるということか。

その食べ物がゲテモノかどうかは見る人の感想であって、食べ物は食べ物なのだ。捕鯨に目くじらを立てたり、犬や猫を食べたら可哀想だと言ったり、しもつかれをゲロと言ったりしてはいけない。究極の雑食である我々人間は、多種多様なものを美味しいと思うからこそ世界中に分布できているのだから。

次に帰省したときにしもつかれを食べてみようか。大人になったから美味しく感じるかもしれない。

うーん、どうかなぁ。。。


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