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【バリ島一人旅の足跡_#3】そうだ、バリ島へ行こう、一人で。

男4人のバリ島旅行から帰国した後も、僕とバリ島の縁が切れることはなかった。現地でたまたま出会った花売りの女性、ニョマンからのメッセージが頻繁に届くようになっていたからだ。

Selamat pagi Nobu.
「おはよう、ノブ」

Nobu gemana kabarnya??
「ノブ、元気にしてる?」

彼女がメッセージをくれるたび、スマホのメッセンジャーアプリが「ピコーン!」と甲高い着信音を鳴らす。

仕事(彼女は花売り)の途中にメッセージを送ってくることも多く、早朝に叩き起こされた経験も一度や二度ではない。そのたびに僕は眠い目をこすりながら、スペルミスの混じった彼女の言葉をなんとか翻訳し、できるだけ分かりやすい言い回しで返信するという日々が始まった。

ニョマンと出会った街・トゥバン

あの日、たまたま早朝の散歩で出会った南半球の女性と、約55,000kmの距離を超えて言葉を交わす不思議。

アラフィフの自分に訪れた奇妙な出会いは、錆かけていた好奇心に火を点した。

「ニョマンに、会いに行ってみようか」

帰国から数カ月が経った頃、ふと、そんなイタズラ心に近い思いが脳裏に浮かぶ。もし、あの日、チャナン(小さな花のお供え物)を買っていった珍しい日本人の男が、自分や家族へのおみやげをいっぱい抱えてバリ島に戻ってきたら、さぞかしビックリするだろうな…。

ニョマンが花(チャナン)を売っていた場所

僕が中型バイクの免許を取ったのは、45歳の時だった。

グラフィックデザイン会社の社員として昼夜を問わず働き続け、東京支社への単身赴任を経て、フリーランスとして独立。「最初の3年は飯が食えないことを覚悟しておけよ」と妻に言った言葉は現実のものとなる。バイクの免許取得は、そんな起業の苦労をなんとか乗り越え、子育てもようやく終盤に差し掛かった時期と重なる。

世間では「クリエイター」と呼ばれる仕事をしておきながら、豊かな人生設計については、ちっともクリエイティブじゃなかった事を、しっかりと理解し始めたのも、この頃だ。

学生の頃に親に「危ないからダメ」と止められ、あれだけ専門雑誌を読みあさっていたのに、なんとなく乗らなかったバイク。「免許さえ取れば、いつでも乗れる」という当たり前のことにさえフタをしていた。「え、45歳でバイクに乗り始めたの!?」と驚く周囲のリアクションを密かに楽しみながら、中古で買ったアメリカンバイクにまたがるようになった。

人生のブレーキは最小限に。やりたいことをやる。

この頃から薄々気づいていたのだ。
すべての人生は、余生だと。

人によって寿命は違うから、余生は年齢によって決まるものではない。たとえば、20歳の若者に残された余生が1年なのか、80年なのかは誰にも分からない。ましてや45歳にもなると、あと10年生きられる確率はより短くなる。

いつ死ぬか分からないなら、楽しく生きよう。

そんな、今まで耳にタコができるほど聞いてきた、たぶん全世界共通の当たり前の哲学をようやく理解し、実践に移し始めたのが40歳を超えてからというのだから、クリエイティブも何もあったものじゃない。でも、僕は今でも「あの時に気づいて本当に良かった」と心から思っている。できれば、20代の頃に気づいておきたかったけれど、ね。

で、僕は決めた。
ニョマンに会いに行こう。
そして、一人で海外を歩いてみようと。

現地に詳しいカメラマンに先導してもらった男4人のバリ島旅行ではなく、移動も、宿泊も、行き先も、すべて自分の興味と責任で決定し、いつまでも色褪せない足跡を残したい。そして、お決まりの観光ルートや観光客向けの衛生的なレストランを巡るのではなく、もっと現地の文化や暮らしに根ざした体験をしてみよう。

想像するだけで、毛穴が開いた。

「お腹を壊すよ」とガイドから脅され、
1度も入れなかったワルン(ローカル食堂)。
一人旅では、こんな店を巡ってみたいと思った。


「ピコーン!」

そんな僕の心情を知らないニョマンから、冗談交じりのメッセージが届く。

Kapan kamu akan datang ke Bali?
「バリ島にはいつ来るの?」

約1年後の春、僕は再びバリ島を訪れ、彼女と感動の再開を果たすことになる。アマゾンの通販で買った、大きなバックパックを1つだけ背負って。

#4に続く

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