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Back to the late 90’s 第16話 今は無きクラブ②

CLUB JJ'Sに続いてRING & BOOM。RING & BOOMは略して“リンブー”と呼ばれていたクラブで、CLUB JJ’Sと同じく四ツ橋駅近くにあった。オーナーの名前はオスカーで、彼もまたJAY同様に確かアフリカンだった筈だ。


フライヤーを見ればイベント名は『酒池肉林』で開催日時は、1999年3月26日だ。因みにこの『酒池肉林』の第2回目が、前回『Back to the late 90’s』第15話で登場したCLUB JJ’Sで6月5日に開催されている。


3月26日の出演者を見ると、DJは、まさかず君を筆頭にDJ A.G.O、Warnner、私、Room。ラッパーはBip's、Erase、Natularu$Mstic、LAST EMPEROR、SAL、YUKIとなっていて、第2回目となる6月5日を見ると、まさかず君とSAL君が抜けて、代わりにA.K.O君とASS君がDJで、COS MOS、MAMU、YOKOがラッパー/シンガーで参加し、ダンサーが第2回目から参加している。


第1回目から第2回目で、まさかず君、SAL君が出演しなくなった理由の詳細はわからないが、この時期ぐらいから、まさかず君、SAL君ともに、関西HIPHOPシーンの顔役と言うべき立ち位置になり、RING & BOOMやCLUB JJ’Sよりもメジャーなクラブでのビッグ・パーティーに出演していたのかも知れない。

2000年2月号の『FRONT』誌。
そこに掲載されているSAL君。当時のSAL君を知る事ができる貴重なインタビューで、インタビュアーは、今は亡き凄腕のライター二木崇さん。余談だが、もし二木崇さんがご存命ならば、私が執筆している90年代関西HIPHOP史『Back to the late 90’s』に是非ご協力頂きたかった。二木崇さん視点で90年代関西HIPHOP史を振り返った文章を読みたかったと痛感している。


この時期、四ツ橋にある小さなクラブでキャリアを積み重ねながら、アメリカ村にあるCLUB ItoIやDONFLEX Lounge、GRAND Cafeと言ったメジャーなクラブでのレギュラー出演や、そこで開催されるビッグ・パーティー出演を目指してDJやラッパーは競い合っていた。言い換えば、四ツ橋の小箱に出演しているうちはアーティストとしてはまだ二流で、アメリカ村の大箱に定着して出演する事で、一流の仲間入り果たす認識だった。


上記のフライヤーに掲載された出演者に話を戻すと、DJのA.G.O君とラッパーのBip's君は、2000年代に入ってから『音麻心』を第12話で登場したBUTCH君達と結成し、シーンで躍進していく。彼等が『音麻心』で活躍していた時期、既に私とは疎遠になっていたのだが、実は彼等が私の『Back to the late 90’s』を読んでくれていて、24、5年ぶりに彼等から連絡をくれた。いやあ、実に嬉しいものだ。もし当時の演者で、この『Back to the late 90’s』を読んでくれている人がいれば、遠慮なく、是非とも私宛にメッセージを送って欲しく思う。


長くなったのでDJ WannerやA.K.O、ASS君……、他の出演者については次回取り上げたい。

つづく……

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