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魂が食われてマヒしてるゾンビだらけの世界でどう生き抜けばいいのか

白井聡さんの新刊『武器としての資本論』。そのオンラインセミナー、アフターコロナに役立つ武器としての「資本論」が先日あったのよ。

『武器としての資本論』の中でも書かれていたけれど、キーワードは「魂の包摂」ってことなんだと思う。

「魂の包摂」を僕はこう解釈してる。
資本主義・新自由主義のロジックに無意識的に魂や感性までも支配されてしまい、人間の命や尊厳なんか知ったこっちゃねえってマヒしちゃってる状態。そして、ほとんどの人がその自覚がないっていう。

白井さん曰く、資本主義のロジックと人間が生きるために必要なロジックは別なんだよと。どこまでいっても違うもの。根本的には対立するものだとも指摘する。

けれど、資本主義というシステムは人間の都合などお構いなしに人間を飲み込んでしまう。当初は生産過程の包摂だけだったものが、時代を経て、魂や感性までを飲み込んで包摂してしまった。ポイントは飲み込まれたことに気づかないところ。

自覚できない、気づけない、当事者意識がない。ここがやばいんだよね。
罪の意識がない大量殺人鬼みたいなもので、無自覚にまわりの人を死に至らしめている。それがこの世界のいたるところで起きている。

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冒頭にパナソニックの子会社が内定者を自殺に追い込んだ事件が語られた。内定者にはSNS上にグループをつくって登録させ、そこでは血みどろの自己開示が求められたという。それができないやつは味噌糞に叱責され社会の厳しさ?を入社前から叩き込む行為が行われていた。
パワハラをして自殺に追い込む輩はもちろんのこと、そういうヤバいやつのいるところに近寄ってしまう若者の心理も魂が包摂されてしまっているという目線でみると理解できてくる。

振り返れば、僕自身も「魂の包摂」が今まさに行われている瞬間に遭遇したことがあった。社会人5年目で転職した会社で行われていた社員教育という名目の自己啓発セミナー。
各地の企業から100名ほどが集い、講師(←誰やねん)から不可能を可能にする思考というものを学ばせられる。金土日の三日間、朝から夜まで。
そこで僕が感じたのは、人間の命や尊厳が失われていく感覚だった。嫌だ、やめて、いいかげんにしてくれ。
この社会・世界に決定的な不信感を抱かせた体験だった。今になってあれが「魂の包摂」そのものだったんだなと個人的には思う。

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僕らが生きている世界には魂を包摂された人たちがウヨウヨしている。
政治のリーダーや会社の経営者や家族の長であることも珍しくなくて、囲まれまくっとるわけなんよね。
そりゃこの社会に生きる人は自殺したくなるし、働く人はうつ病や精神疾患にはなるし、子供はアダルトチルドレンや被虐待児にもなるよなって。

かく言う僕も包摂されているひとり。けれど、あの自己啓発セミナーのおかげなのかわからんけれど、この世界に違和感を感じて、魂が包摂されまくってるんだなって気づいてしまった。
とはいえ、自覚したらしたでしんどいのは変わらない。包摂されている状況からは抜け出せていないのだから。
マヒした人間だらけのなかで、マヒしていることに自分だけが気づいてしまった孤立無援状態。

それは本当につらいんだけれど、マヒした世界に戻りたくはない。ゾンビになってまで生きていたくない。暴力やハラスメントに罪悪感を感じない人間になりたくない。
気づいてしまったら、幸か不幸か、もう戻れない。ううう。


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