「凍りついた私」と「過剰適応する私」に引き裂かれて
幼少期にショックを受けて「凍りついた私」と「過剰適応する私」に別れてしまった。そのふたりはあまりに断絶し引き裂かれていて、常に不安定で、コントロール不能にさせる。
私が私自身を生きることを放棄しているから、どんなに取り繕ってみても、心は虚しさと無意味感でいっぱいなんだよなあと。
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幼少期のショックな出来事によって、強烈な不安、恐怖、おびえの感情を持った。その感情を表に出せず、受けとめてもらえないままで、凍結せざるをえなかった。コールドスリープ。時が止まったまま。生き延びるため、か。
一方で生まれたのが、親や社会の期待に過剰適応する私。いい子、できる子、しっかりしなきゃ、ちゃんとしなきゃ。迷惑をかけない子、面倒を起こさない子。そうでなきゃ生きる価値がない。感情を排除し、ロボ化マシーン化していく。
◆ショックを受けて子供のまま凍りついている私
◆条件を満たさなければ生きる価値がないと過剰適応する私
そのふたりがいる。
そのふたりのあまりの隔たり、乖離、断絶、引き裂かれが私自身をしばしばコントロール不能する。とめどない虚しさ、無意味感、消えたい、自己破壊衝動でいっぱいだった。
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で、今はそんなふたりの私を「あたためること」と「極端な学習をほどほどにしていく学び」が自分自身のテーマ。
ずっと大切にしてこれなかったから、存在を認めて、いたわって、声をかけ続けたい。
きみがいてくれて、ぼくはうれしいんだよ。
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