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心にも「手当て」をすっぺし

ついこの前のクリニックでのカウンセリングの振り返り。

働いてる職場でこんなことを言われたのさあ。
「くぬすろさん、いたってふつうに淡々と仕事してますよね〜」
驚いたっす。自分としては緊張や不安がもろに伝わっているかと思っていたから。
それが外から見たら、「ふつうに淡々と」働いてるようにしか見えないっつーんだよ。
これが過剰適応なんだなあって。
自分の内側の感情や気持ちを大きく犠牲にして、まわりの環境や人に合わせてしまうこと。それはも自動的に、無意識的に。THEマシーン。
それで家に帰るとどっと疲れていて、体が悲鳴をあげている。ぐふうううううううううううううううううううううう

最初の数ヶ月は過剰適応でなんとかなるけれど、しばらくすると、イライラしやすくなって些細なことがムカついて。クソがクソがクソどもがあああああああああああああああああああああああああ。家に帰れば明日が憂鬱になり、朝の目覚めが死ぬほどつらくなって起きれなくなる。ぴえん。。。

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そうカウンセラーに話すと、それは「生きグセ」というものだと教えてもらった。
子どもの頃からずっとそうやって生きてきたクセ。で、カウンセラーいわく、それは直らない。
(たぶん、直すよりも別の回復方法を考えようということなのかも。生きグセが絶対に直らないかどうかはここでは置いておくね)

自分のなかに生まれた感情を心のゴミ箱に捨てて、まわりに合わせることを優先して生きてしまう。それはもう脊髄反射的に。そうしなければ生き延びられなかった家庭環境だったから。ワイはお兄いちゃんのパシリだったからよー。ドラクエはレベル上げだけとか、格闘ゲームのストⅡでわざと負けたりね、、、だって、激怒するからさー。

直すのではなく、過剰適応する際に心のゴミ箱に捨ててしまった感情を拾い上げることが大切なんだと。苦しい、つらい、嫌だ、ショックだ、こわい、、、そういうその時生まれていた感情をひとつひとつ拾い上げて改めて言葉にして感じてみる作業。
つまり、これは心の傷を手当てするってことみたいなのよね。
誰もがケアをして生きている。愚痴をこぼしたり、誰かに話を聞いてもらったり。それが心をアフターケア・アフターフォローしている行為なんだと。

機能不全家族で育った人は学ぶ機会がなく、手当てを一切することなく生きてきた。傷だらけ血だらけで生きてきた。そんな状態なら朝起きれなくなるのも当然だなあと腑に落ちたんすよね。

生きグセ=過剰適応してしまう自分。
生まれた感情を心のゴミ箱に捨てていた。
「手当て」っていう概念がまるでなかった。
僕が学ぶ必要があるのは心の手当ての仕方みたいなのよね。

まあ、ぼちぼちやってこ〜

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過剰適応についての理解は小林桜児さんの『人を信じられない病』が勉強になったよん


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