大人になった私から、自傷してまで生きたかった子供の私へ

自分にムチ打って恐怖によってがんばらせる生き方しか知らなかった。
そんな生き方しかしてこなかった。

言い換えればそれは「心のリストカット・心の自傷行為」と呼べるんじゃないかなって、以前につらつらと書いてみてて。
で、そんな生き方は悲しいよなーって。

でも、しばらくして、自分を傷つけてしまうなんて悲しいって思ってるのは今の大人の自分から見た視点でしかないよなと。
子供の視点から見たら、そうまでしてでも生きたいんだよってことなんじゃないかなって思い始めていて。

自らを傷つけること・痛めつけることが目的なんじゃなくて、その先に「生きるため」がきっとあるんだよなーって。

確かに手段として自傷することはちょっとよろしくはないとは思う。痛いし、長続きしないし。
けれど、子供の自分にしてみれば、他の手段を考えるのに及ばず、おそらくきっと両親や家族を手本にしてその手段を習得してしまったのだと思ってて。
子供の自分には「それしかない!」って思い込んでしまったんだろう。

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目的は生きるためであれば、それを叶える手段は無数にあるんじゃないかと今大人になった自分にはちゃんと考えられる。
大人になった僕が今からできることは自傷する以外の手段を見つけてあげることなんじゃないかなって。

自らを傷つけてまで、痛めつけてまで生きたかった子供の頃の自分。
すげえ生命力だなって思って、自分のことながら驚く。
そのエネルギーどこから湧いてくるんだろうって、今の生命力よわよわな自分からしてみると羨ましいほど。
生命力やエネルギーはほぼほぼないけれど、広く考える力は子供時代よりはある気がする。

だから、そうまでして生きたいと思った彼の願いをどうにか叶えてあげたいなあ。
手段としては危ういながらも生きたいと思った自分がいたから、今こうして考えられる力をちょっぴり身につけた30代の自分になるまで生きてこられた気もする。
生き延びさせてくれたからには、今からできることは傷つけない痛めつけないで生きられる人生っつーもんもあるんでねえの?って一緒に探してみることかなーと。

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リストカットや自傷行為に対して、それはいけないよ、ダメだよって思うのは分別ある大人からしたら当然の反応かもしれない。
けれど、子供だってダメなことだってきっと分かってる。

肝心なのはダメなことだと分かっていてもそうしてしまう背景や感情に思い馳せることなんじゃないかな。

そのあたりに表からは見えない彼らの願いや本当に言いたいことが隠れているように思う。

なんてことを言ってるけれど、まだまだ分からないことだらけで、この先も悩みながらとまどいながらやってくんだろうなあ。

僕は僕のことが分からない、僕は僕のことを知りたい。

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