【元外交官のグローバルキャリア】トライリンガルの脳内と語学を身体で覚えること
多数の言語が、脳内で共存している。脳神経を刺激して使える語学を増やしている。
他言語を視覚や聴覚や筋肉も使って、母語を覚えた時のように覚えた。大人になってからでも、全身を使って学習すれば脳神経細胞が繋がって新しい回路ができる。それをNeuroplasiticity、神経可塑性と呼ぶ。
運動感覚型学習
私は言葉を頭で訳して別の言語に変換しない。直接その言語で考えて話すのだ。言語を身体で理解して受け入れる。どんなに下手な言語でも。
ドイツで通った幼稚園で初めて覚えたドイツ語のフレーズは「手を洗いましょう!」Hände waschen!だった。毎日決まった時間にみな一斉に洗面台に向かえば、5歳児でもその言葉の意味が分かる。kinesthetic learning 運動感覚型学習だ。
周りの日本人幼児に支えられた一年間の幼稚園生活ではドイツ語は話せる様にはならなかった。しかし、就学前にアルファベットを覚えたのが幸いした。運動型に視覚型学習 visual learning が加わった。
視覚型学習
文字から入るのは視覚型学習だ。
ドイツに引っ越す直前に、日本でひらがなを覚えたばかりだった。字が読めるという不思議な感覚を覚え、看板のひらがなを読み上げていた。ところがドイツに到着したら、字が読めなくなっていた。母音と子音を表にしたヘボン式のチャートで両親がアルファベットを教えてくれた。
意味がわからずとも文字が音になるのが楽しかった。Apotheke アポテーケを「アポテヘケ」と読んだ。それが薬局と分かるのは先だった。
字を読むという行為がやる気が出る神経伝達物質のドーパミンを放出させていた。
ドイツ国内で引っ越して、現地の小学校に入った。周りに日本人は一人もいない。幼稚園での一年を経てもまだドイツ語での指示がわからなかった。
教室で先生が口を開いた後で、教室の皆が画用紙を取り出し、クマの絵を描き始めた。では私もクマを描こう。その時の記憶は言葉がついていない無声映像だ。まだ言語習得に結びついておらず、運動感覚、視覚、模倣で言葉が通じない新一年生として生き抜いている。
読み書きを習う前、生徒達が一人一人教室の前に出て、小冊子を音読させられた。つっかえつっかえで、誰も一文を最後まで読み上げられない。クラスメート達はまだ字を覚えていない。唯一私がたどたどしくも内容を音読をした。ドイツ語はできないが、ひらがなが使えてローマ字が読めた。みそっかすな私を見る先生の目が変わった。隅っこで聞かざる言わざるの自分が、人よりできることを見つけた。またドーパミンが刺激された。
現在、自己申告だと7カ国語を使える。日本語、英語、ドイツ語は不自由ない。インドネシア語とフランス語で合わせて五カ国だ。スペイン語とウルドゥー語は使えるに入らないがプラス2。学習歴ならば数ヶ月ずつのイタリア語と中国語もある。
発音は筋肉記憶
発音は、顔の筋肉や声帯の細かい動きを目と耳で捉えて覚える。
いつからか、ネイティブぶって成り切って発音する様になった。妹には大袈裟に真似している、と疎ましがられたが、それ以来どの言語でも発音の再現が自然になった。無理やりな模倣の時期が過ぎると、筋肉が運動を記憶し、脳がより早く音と口周りの動きを察知した。筋肉と脳神経というのは同じことの繰り返しで学習していく。muscle memory として筋肉が記憶する。いくつになっても脳は発達し続けるという。
脳とお腹で話す
頭で語学を使い分けているのではなく、全身で感じ取っている。言語が変わると仕草、姿勢、表情も変わる。性格や考え方も変わるという。ドイツ語で話す私は理路整然と、日本語だとかしこまって、英語だと饒舌だ。
私のお腹には色々なサイズの、違う言葉のスノードームがある。単語が雪のように下に積もっている。その言語のsnow globeを振ると、下に溜まっている単語が浮き上がってきて、それを脳で拾って口から音にする。
弱い言葉は、フレーズが沈澱している。お元気?Aap kaise hain? Apa kabar? Comment ça va? Como esta? そんな大きめな雪の結晶はいつでも上の方に浮いている。
何度も言っているフレーズは、身体感覚のmuscle memoryで口から出る。
弱い言語の単語の結晶を繋ぐときは文法や変換は二の次で、とりあえず単語を羅列して発する。
ドイツ語の本を読んだ後は、ドイツ語のスノードームが快調だ。あまり振らなくても単語が浮いてくる。英語と日本語は普段から振らなくても大丈夫だが、「ほら、あれ」what's that word? と単語が出てこないことは今に始まった事ではない。最近は同年代で「you mean, xx ?」「meinst du xx?」と助け舟を出し合っている。バイリンガルは認知症になりにくいという研究結果を信じたい。
右脳に加えて左脳でも学習する
身体機能と感覚を司どる右脳を使っての語学習得が可能かと思ったら、やはり論理的な左脳も鍛えないと無理だった。体系的な言語学習は語学習得に欠かせない。
パキスタンで勤務した初年度、同僚が使うウルドゥー語を毎日聞いていた。音のシャワーを浴び続けていれば、ある日言葉が話せる様になるのだろうと待っていた。しかし、いくら聞き耳を立てて、パーンチ・パーンチが半々だと分かっても、アッチャーがオッケーだと分かっても、会話の内容は微塵も理解できなかった。
個人レッスンを導入して、文法の基礎や言語の仕組みを学習して初めて会話の内容が耳に入ってくる様になった。それまでの日本語、ドイツ語、英語の全ては学校教育を通じて並行して学術的にも会得している。身体と感覚だけでは学んでいない。
言語の脳神経回路の拡張
最近フランス語の個人レッスンの最中に、ランナーズハイのようなエンドルフィンが出ているようだ。うまく流れている会話に高揚感や多幸感を感じている。
そこに至るまで、脳が汗をかいているのではないか、と思うくらい脳細胞を活性化させてシナプスを作っている実感があった。全くフランス語を話せなかった3年前から、フランス語でレッスンを受けている。
知らない言語は耳と目で慣れる。繰り返される単語やフレーズを身体で受け止める。そうやって私は脳神経に刺激を与え続けて語学を覚えてきた。
自分の中で劣等の入門編の言語でも、その言語でインプットしてアウトプットする。優位な言語から変換はせずに、少ない語彙を体内から探し当てて短い文章を作る。簡単な単語を使い回す幼児みたいな文体で話す。わたし昨日行く市役所、行った市役所。
フランス語のクラスでは、先生の手を借りて文ができてから言語比較をする。英語での展覧会のexhibition はフランス語だとune exposition。exhibitionは「露出」となるから。英語だとexpositionは万博並みにスケールが大きくなる。説明になると日本語や英語が混ざることもある。多言語との類似点や違いを分析して、新単語を脳に定着させる。
フランス語の先生との会話はまるで上質な新雪でスキーをするかのようにスムーズだ。優雅にスラーロムをするかのように、フランス語学習中にエンドルフィンもドーパミンも増加している。水分を含んだ普通の状態の雪の上では、自分のスキーの腕前を思い知らされることだろう。でも先生限定でも身体がスムーズな滑走を感じればそれで良い。語学学習が気持ちが良い、と感じられれば。脳神経の新たな回路が作り出されていれば。
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