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クロワッサンとカフェオレで細々とフランス語を 

コロナ禍にスキルを一つ足そうとフランス語を習い始めたので、もうかれこれ3年になる。外交の言語とフランス語話者がうそぶくように、国際会議の非公式の場で会話が突如フランス語に変わることがある。ヨーロッパのフランス語を母語とする人たちから、アフリカのフランス語話者、そしてオランダ人やドイツ人までがフランス語を話し始めると、爪弾きにされた気分になる。英語がスペイン語に変わってもそんなに気にならないのは、中南米大陸の人たちの明るさからだろうか。

外務省で、ご一緒したドイツ語の権威である大先輩に、「フランス語はお使いになりますか」と尋ねたことがある。その時、いかにも残念そうに、「いやあ、僕はフランス語はできないんですよ」と答えられた。その気持ちは私にもよくわかる。ドイツ語が堪能な日本の外交官として、フランス語ができないというのは片手落ちのような気がしてならない。同じ仲間であるはずのドイツ人外交官たちまでもが時に、自分が使えないフランス語を流暢に使うからである。

長らくフランス語を読み上げることができないのもコンプレックスの一つであった。ドイツ語はローマ字読みが可能であるため、理解する前から音読ができたのだ。現地の小学校で1年生のクラスにおいて、唯一の外国人である私が誰よりも早くドイツ語を読むことができた。ドイツ語を話せない日本人の私が教室の前に立ち、ドイツ語の冊子を朗読したことがある。ひらがなを覚えるのが遅かった私は、ひらがなを覚えたばかりのときにドイツに移住し、再び文字が読めなくなった。それが悔しくて、親にローマ字を教えてもらい、そうしたらドイツ語を読むことができるようになった。少なくとも、音読はできるようになったのだ。

インドネシア語だってスペイン語だって、イタリア語でさえ、分からなくたって書いてあることはそれらしく読み上げられる。ところがフランス語はそうはいかない。アメリカでディスカウント酒屋に行ってロゼワインを買おうとした時に、そのボトルを「アイ?」と読み上げた。若い店員に「アックス(AIX)!」と明るく訂正された。なぜ田舎の代名詞みたいな中西部の若者にフランス語をアメリカ訛りで直されるのだ!と理不尽に腹を立てた。

実際、インターナショナルスクールの12年生、すなわち高校3年生のときにフランス語Iのクラスに入ったことがある。スペイン語IIを選びたかったが、スケジュールの都合がつかず、仕方なくフランス語を選択した。スペイン語の宿題は帰りのスクールバスで終わらせ、ほとんど勉強せずにまずまずの成績を得ていたが、フランス語はなかなか頭に入らなかった。それが癪にさわった。加えて、クラスは語学を始めたばかりの9年生、つまりは中学生でいっぱいだったため、最高学年の自分はそのクラスを落とし、科目を「経済」に転向してお茶をにごした。

フランス語と縁遠い私が外務省で年に6回パリ出張を課される国際機関の担当になった。老体に鞭を打ってエコノミークラスで2ヶ月に一度パリに数日間滞在し、会議に参加した後に日本に戻り、すぐに次の出張の準備をするなんて考えただけで気が滅入る。せめて、出張中にレストランでフランス語を使ってスマートに注文し、その店を出てこられるようになりたいと切に思った。そうすれば、多少は憂鬱を解消できるのではないかと。そんな後ろ向きな姿勢でフランス大使館系列の日仏学院(アンスティチュ・フランセ)の門を叩いた。

一学期が終わる頃には、コロナのため通学オプションがなくなっていた。元々、延々と続く発音練習のあるクラスの進行には飽き飽きしていた。私はただひたすらに音読をしたいだけで、レストランで注文する程度の会話ができればいいし、細かい発音にはこだわらない。重要なのは、文字を読むことができるようになることだ。クラスメイトは英語に堪能な日本のプロフェッショナルたちで、交流は楽しかったが、コロナ禍で彼らにも会うことができなくなった。そこで、個人レッスンを探し始めた。外務省の研修所で教わることができないかと探ったが、簡単には受講できる状況ではなかった。講師には個人レッスンを依頼したいと考えたが、私が支払ってもよいと思う金額ではなく、講師との相性にも保証がなかった。


家から徒歩5分のところにフランス人のマダムと日本人のご主人が経営するカフェがある。そこでマダムがフランス語の個人レッスンをしているのを見かけたことがあり、週末に教えてもらえないかと尋ねたことがある。コロナの影響でテレワークが始まり、平日の朝にレッスンを受けることができるようになった。それがきっかけで、週に一度、朝食時に30分間フランス語の会話を学ぶことになった。習い事は近所か通いやすい場所が一番だ。

日本語にも堪能なナタリーは、普通は日本語でフランス語を教えているらしい。私は基本的に全てフランス語で授業を進めてほしいとお願いしている。ゆっくりと滑舌良くフランス語で話してくれる。ドイツ語も英語も使えるので、言語を比較しながら単語を説明してくれる。基礎となる文法も学んだ。でも基本的には、身振り手振りと英語の単語の語尾をフランス語風に変えながら、ぶつ切りの文を組み立てながらナタリーと会話する。彼女は根気よく私が言いたいことを聞いてくれて、それを訂正し、紙に書いてくれる。そうしているうちに、30分間があっという間に過ぎていく。

気候が良い間は犬を連れていく。テラス席のあるカフェでカフェオレを飲みながらクロワッサンを食べ、予習も復習も宿題もせずにナタリーとおしゃべりを楽しむ。もはやフランス語を学ぶ目的や目標はどうでもよくなっている。相変わらずフランスにはそれほど関心がなく、ナタリーとの会話も特有のものだろう。ナタリーがフランス語のネットコンテンツや映画を勧めてくれても、週に一度の30分以外にはフランス語に触れていない。

どちらかの旅行で2週間空いてしまうと、取り戻すのに3週間かかる。「一日1分、フランス語で考えれば衰えが遅くなるから!une minute!」とナタリーは言う。毎回自分の話したい内容を話すから、覚える単語は押し付けられたものではなく、自分が話すために必要な単語だ。振り返ると、結構な数の語彙が増えている。音のリズムが良い絵本で勉強した時期もあったが、絵本に使われる言葉は難解だった。逆にルモンド紙の外交版の日本に関する記事は読みやすかった。これは、日本語が堪能な外国人が日本経済新聞でひたすら勉強するのと同じ手法だろう。

切羽詰まっていなければ、語学を勉強するのは楽しいほうが良いと思う。継続は力なりの最たるもので、普段使っていない脳の一部を使うのは気持ちが良い。まるで脳のストレッチのような爽快感がある。顔の筋肉や顎の使い方、フランス語での特有の音の連結方法であるリエゾンを学ぶ。同じ単語を英語とは異なる意味で使ったり、言語に対する見方を変えることになる。フランス語を学ぶ中でドイツ語やスペイン語と比較して、英語が他の言語に比べてどれほど独特な発達を遂げたのかを客観的に考えたりもする


あまり難しいことを考えず、高い目標も掲げず、今日も私は犬と一緒にクロワッサンを食べてフランス語風におしゃべりをしにカフェに行く。そんな感じで語学に接するのもありじゃないかと思う。

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