所感諸々。19
世の中の動きを見過ぎていて
すっかり、更新していませんでした。
考えることも多過ぎました。
皆さんも同じと思います。
陰謀論から、新しい経済や医療の在り方や
ムーンショット計画なんて、SF丸出しの政策から
ハリウッドの映画から、日本の歴史から
いろんなものを調べて、考えていました。
今朝、指輪物語の録画を観ていて
ふと自分の中に答えのようなものが浮かびました。
更新の続きは、また後ほど。
※※※※※※※
自分の中で浮かんだ答えとは。
今年2020年に入ってから、日記にいろいろ
書き込みをしていました
5年日記を2018年に購入していて
毎日ではないものの、なにかトピックがあった時に
備忘録代わりに付けていました
この疫病が、豪華客船や春節の観光客と共に
やってきたところで、時系列を遡り
書き足したりしました
そこから次に、それまではエンターテインメントの
一つとして楽しむ程度だった陰謀論に
首を突っ込んでみました
するとそこには、もともと興味があってそれなりに
知識をつけているだろうと思っていた
スピリチュアルな世界へリンクしていたり
学校では教わらない歴史絵巻にリンクしていたり
経済などの社会を構成する事柄にリンクしていたり
陰謀論を紐解くというのは
一筋縄ではいかないのだと思い知りました
自分史の中で検証できる過去以外は
事実であったかどうかは、知り得ないものです
時代の覇者、勝者の理で自分たちに都合の良い
話ししか残さなかったであろうことは
少し深掘りすれば、容易に推察できます
その不確かなものに、熱を帯びて議論すれば
当然疲弊していきます
だって確証を出せるものではないから
これが答えだ!と直感で信じる自分を
自分で信じるほか、ないのです
宇宙人からの転生も、同じ
全てのこの論争や議論を、否定するものでは
ありません
むしろそれをすることは、今の自分や社会情勢と
向き合おうとするための大切な過程であると
感じています
みな自分の人生、ストーリーを生きています
望んでいないストーリーの中にいる人も
望み通りを歩いていると言う人も
周りの人は共感はできても
同じ体験をすることは不可能です
それぞれが見ている現象、事象や事柄
物語・ストーリーと言っても良いかもしれません
望む、望まざるに関わらず
各々が『選択』していることは間違いないでしょう
地球を住処にする生き物は、人間だけでは
ありません、自明の理です
意識を持つ、考える葦であると思っているのは
人間だけかもしれません
同じ哺乳類である猿より、器用に道具を使える
火を怖がらない
人間が他の動物より秀でているのを
大きく取り出せば、このぐらいです
同じ言語を使えないから、意志の疎通が難しいだけで
身近にいるペットとして寄り添ってくれる
犬やネコの方が、能力が上かもしれません
人間の言葉を理解し、指示に従ってくれ
テレパシーでこちらの意思を読み取ってくれることが
あるのですから
太古の昔から同じ星を住まいとする
異星人と考えても、通じる話しではないでしょうか
酸素を必要とし、3大欲求も同じ
共通の言語は持たないけど、共に暮らしていると
『テレパシー』で会話ができる
私達が、外国人と定義する母国語を同じくしない人
観光で訪れている人と会話するとき
ジェスチャーなどで会話をするのと、同じでは
ないでしょうか?
人間とはなにか?
なぜ精神世界を持つと思っているのでしょうか?
今でこそ、市民権を得ましたが
スピリチュアルと横文字にして
少しオカルトチックなスパイスをつけ
そんなものを信じているのは、可笑しなやつ
というような雰囲気を作ったりしたのは
なぜでしょう
精神世界と言えば、日本語を理解する人なら
しっくりくるのではないですか?
きませんか?笑
私は、本来人間は自由だと思っています
自分の望まない人生を歩んでいると思うなら
何がその原因なのか、考えあぐねると思います
社会の仕組みのせい?家族のせい?
環境のせいなら、変えることは可能だと思いませんか?
好き勝手に生きる人ばかりだと
秩序が乱れる?
そうでしょうか?
お金や領土(自分の陣地)を生み出したから
と私は思います
それに付随して、権威や名誉なんてものも作ったから
持つものと持たざるものの二極化を生み
争いが生まれたように思います
それらが無いと、本当にダメなのでしょうか?
穏やかに暮らせることが、一番なはずなのに
競争させられるような社会は
いつから始まったのでしょう?
こういったことを考える、『哲学』を
いつから教育から外したのでしょう?
哲学者以外でも思いを馳せることのあるこの事柄を
心を許した相手と話し合うことを
堅苦しい、クソ真面目なんて馬鹿にし始めたのは
何がきっかけだったのでしょう
一億総白痴化 なんて言われだしたのは
いつからですか?
分け合えば足りる、奪い合えば足らぬ
先人が残した言葉に信頼を置かなくなったのは
いつからですか?
そうなったことに、誰か他者からの力が
介入しましたか?
全て自分自身が選んで享受したものです
自分が作ったストーリーです
そして、集団になった時に
忖度や同調圧力で肥大化した集団意識が
歴史を作り出しているのではないか
そう、仮説を立てています
持論、といっても良いと思います
世の中の流れは、誰かが提示した考えに
共感してくれる人が多ければ多いほど
主流になります
そして、水は低きに流れるというように
簡単な方へ向かっていきがちです
自分で決めることを忘れてしまった人間は
余計にそうなることでしょう
息苦しさしかないマスクを
熱中症になりながら、自衛や家族を守るために
賢明に使いつづけたり
ストレスフルな社会に生きることを
束の間忘れさせてくれる仲間との語らいや
エンターテインメントに興じること
それらを封じ込められても
従順に秩序を優先させる人たち
そんな世界は間違っていると声を上げる人たち
どちらも悪ではありません
日本人は他国と比べて、自己主張がうまく
出来ないように思います
学生運動以降、デモはメーデーでやるぐらい
でしたか?
その意図も正しく次世代へ伝わる前に
終息を迎えてしまったように思います
若者の自由度は格段に上がっていると
昭和の世代からは感じますが
その行動に他者への思いやりが含まれているか
と思うと、少しばかり足りていない人が多いことも
確かな氣がします
そう、伝えられていないから
教えられていないから
自由度を上げれば、個人主義になりがちです
全体主義になれば、自分を殺してしまいがちです
今の世の中、全体主義を押し付けられていると
感じませんか?
先の戦争中と変わらないようなスローガンが
TV CMで流れるたびに、強烈な違和感を感じるのは
私だけでしょうか?
得体の知れないウィルスが蔓延しているから
仕方がない
かもしれません
だけどこれだけ技術の発展を推進し
信頼おけるものと定義してきた先進国の
いずれの国もはっきりと事実が確定するまで
保留し、検証を重ね確実なものとしていないのに
ワクチンを推奨するのは、なぜでしょう?
人口削減計画があるなら、
本当はもう準備されている特効薬を
出し惜しみすれば
人間は自然淘汰されていくはずです
出し惜しみせず、候補はいくつか上がっています
一喜一憂させるためだけのツールですか?
治験が必要なのは、薬もワクチンも同じですが
ワクチンを押し出す理由はなんでしょう?
ワクチン自体、このウィルスに対するモノ以外で
問題ありなモノ、たくさんありますね?
それらの検証もおざなりなのに
製薬会社に信用を置いて大丈夫?安心できますか?
周りがそう言うから、で
流されて大丈夫ですか??
周りの言葉や出来事に、いたずらに怖がっては
損をすると思います
不適切な言葉ですが、敢えて『損』と言います
私はもともと、ファンタジーが好きです
冒頭でお話しした指輪物語
ロード オブ ザ リングも好きですが
一番好きなのは、ネバーエンディングストーリーです
紆余曲折あっても、ハッピーエンド
誰もが望むストーリーです
クリスマスキャロル
賢者の贈り物
電車男
苦境にあっても、最後は人との繋がりで
ハッピーエンドを迎えるお話し
時代を超えて愛されつづけたり
新たに生み出されるお話し
そして、誰も損をしていないお話し
損する人がいると言うことは
得をする人が居るということ
不平等を生み出すので
半沢直樹は痛快ですが、のめり込めません(笑
でも、人気が出るということは
共感が多いということでもあると思います
現代人は、どの国の人も抑圧され過ぎているのでしょう
その際たる場面が、2020年で起こりました
抑圧され続けることを、奴隷と現すストーリーも
あります
貴方は、どのストーリーで生き続けますか?
人生とは何か?生きるとは何か?
考える葦ならば、考えることはやめられませんよ
乱筆乱文、失礼致しました。
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