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少年ジェットがいた日.. 4

秘密基地(2)


坂を下り、社宅の横を通り過ぎ、学校の裏門を過ぎると、大通りにぶつかる手前左側に薄汚れた『五厘屋ごりんや』の看板の小さな古い駄菓子屋がある。
この駄菓子屋は社宅から近い北品川側にある店なのだが、買いに来る子供は殆どが南品川の子供たちである。小さな店構えの割には奥行きがあり、狭い店内には上手くコの字に通路が出来ていて、ゴチャゴチャと見事に豊富な品揃えの駄菓子や玩具の山の中を、常に5、6人の子供が棚を物色しながら右往左往することが出来る。

この店の主は『おばちゃん』と呼ばれる初老の女性で、口やかましい反面、子供の立場に立って実にきめ細かく商品情報を与えてくれる。
流行にも敏感で、子供たちから一目も二目も置かれる、指導力抜群の人格者であった。

「あら、あんた今日は何買いに来たの?メンコ?メンコはそっちの棚だよ。あー、だめだめ、あんたはいつも巻き上げられっちまうんだから、大メンはまだ早いよ。そこの小さい束のやつにしときな。しっかり蝋を塗って、反らないように少し曲げとくんだよ。近所のお兄ちゃん達によく教えてもらいな。上の棚の束なら月光仮面が入ってるからね。無駄遣いするんじゃないよ」
「グライダー?そこに下がってるやつ全部5円だよ。鉛の付き方で飛び方が違うからね。よく見て選びな」
「そんなにニッキ水ばっかり飲んだらお腹こわすよ。1本だけにして、あとは他のものにしなさい。そこの練り飴は美味しいし、安いよ」
「だめだよ、一人でそんなに買っちゃ。小遣いはもっと大事に遣いなさい」
「あー、学校帰りの子は駄目。ちゃんと家に帰って、ランドセル置いてからまた来な!」
「ほらほら、お菓子を買う子はそこの水道で手え洗っといでっ。そんな手の汚い子にはお菓子は売らないよ」

折角せしめたお小遣いを、途中で無くしてしまった可愛そうな常連には温情があったし、通ってくる子供たちそれぞれの指向や懐具合まで良く分かっていて、適確に助言を与えてくれる。
冬の寒い日には、店先に七輪と小振りの鉄板を出して『もんじゃ』や『どんど』(小さな薄い醤油味のお好み焼き)を焼いてくれるし、機嫌が良いときには、奥から三味線を出してきて、粋な小唄を一振り二振り聞かせてくれる…子供にとっては暖かい理想的な駄菓子屋だった。
通りを越えて遠くからやって来る価値は充分にあるのだ。

しかし、北品川の子供たちがこの『五厘屋』に来ることは殆ど無い。親達から一方的に駄菓子屋への出入りを禁止されていたからだ。


『五厘屋』のおばちゃんは、最近常連になった正治が店に入ってくるのを見ると、すぐに声をかけてきた。
「あっ、あんた今日はすごいの仕入れたよ。そこの棚にあるよ」

いつも正治が真っ先に向かう火薬玩具類の棚に派手な箱が飾ってある。箱には大きく『1B弾!』と書かれていて、中を見ると通常の2B弾より遥かに大きい全長10センチ以上もある太い爆裂弾が入っている。
「すごーい!何これ?」
「1Bだよ。2Bの倍の威力なんだってさ。2Bに慣れた子にしか売らないよ。危ないからね、広いところで離れて破裂させるんだよ。小さい子と一緒にやっちゃ駄目だからね。それとほら、着火のところがちょっと違うだろ。ローマッチとおんなじで、マッチ箱が無くてもどこでも擦れば火が付くんだ」
「すげえ…いくら?」
「1本1円。一箱は5本入り」

正治は一本を手に取って暫く眺めていたが、やがてそれを棚に戻し、5本入りの箱を一つ掴んで、おばちゃんのところに持っていった。
「やっぱり買うかい?あんた、好きだねえ…こういうの」
「うん、えへへ…それとねえ、ジャムカステラ」
「はいよ、ジャムカステラね。両方で10円」
『ジャムカステラ』とは、カステラとは名ばかりの黄色く着色されたな甘いパン生地にオレンジ色のジャムを挟んだもの。ビニール袋に2つ入っていて、駄菓子のラインナップの中ではボリュームのあるものとして人気が高い。

正治がポケットから5円玉を2枚出して支払いを済ませると、いきなり後ろからポンと肩を叩かれた。
「よう!」
振り返ると、卓也がタコ糸付きの大きな飴を口の中に入れて、ニコニコしながら立っていた。
「あ、タクちゃん。来てたんだ」
「うん、クジやってさ、はずれちゃった…ほら…」
と赤い飴を口から出して、糸を持ってブラブラさせて見せる。卓也と『五厘屋』で合うのは初めてだ。

「正ちゃん、ここ良く来るの?」
「うん、内緒だけどね」
「でも北品川のやつら誰も来ないじゃん」
「うん、禁止されてるから…」
「なんで?」
「駄菓子は身体に悪いんだって…」
「ふーん…平気だけどな」
「平気だよね」
「正ちゃん、2B買ったんだ」
「ああ、これ1B。2Bの倍の威力なんだって…」
「へえ、どこでやんの?」
「権現山。来る?」
「おお、行こうかな」
二人は店を後にして、権現山に向った。


幸い、権現山には遊んでいる子供は少なかった。

高台の一番奥のひと気のない場所を見つけると、正治は手で地面に小さな穴を掘った。
「いい?やるよ」
足下の石から大きめの平らなものを選んで、買ったばかりの1Bの箱から一本を取り出すと、先端を擦り付ける。
『シュッ』と小さな音を発して1Bは火を吹いた。火がおさまると、モウモウと白い煙を吹き始める。正治は煙を吐く1Bを手に持ったまま、じっと変化を待った。

卓也が少し後ずさりして言った。
「正ちゃん、やべえ、危ねえぞ」
「まだまだ、大丈夫大丈夫」

やがて煙の色が黄色に変化しだした。
「よしっ」

正治は1Bを穴の中に置くと、手早く上から土を被せ、さらに上からギュッと靴で踏みつけると、「いいよ、タクちゃん少し離れよう!」と、卓也をうながして数メートル後ろに下がった。被せた土の表面から黄色い煙がゆらゆらと登りはじめている。
『ズボムッ!』突然くぐもった鈍い大きな音と共に地面の土が吹き飛び、細かい土塊つちくれが2人の足下付近にまでパラパラと落ちてきた。

「すげえ!」
「すごい!」期待以上の爆発力に、正治は胸の高鳴りを抑えきれず、直ぐに破裂した穴に駆け寄った。バラバラになった厚紙の残骸を拾い集めて、爆裂の具合を確認する。

「ねえ、俺にも一本やらせてよ」
「いいよ。ほら」と、正治は箱から取りだした一本を卓也に手渡す。

卓也は正治を真似て石を拾って擦り付けるがなかなか着火しない。
「だめだめタクちゃん。もっと平らな大きい石でなきゃ。ほら」
正治は石を選んで手渡す。
「でね、もっと先の方をもって、なるべく垂直に立てて強く擦るんだよ」
「こう?」
今度は首尾よく着火し、煙を発し始める。

「まだ、爆発しない?」
「大丈夫大丈夫。煙が黄色くなってから十秒ぐらいだったよ」
「そうか…」真剣に煙を睨んでいる…やがて煙の色が黄色に変化する…
「いち、にー、さん…」
さすがにタクちゃんは度胸がわっている。
「ごー、ろく、しち、はちっ」ここまで数えて卓也は爆弾を空高く放り投げた。

爆弾は空中に煙の弧を描きながら、落下の途中で『ドンッ!』と予想以上の物凄い音をたてて爆発した。遠くで遊んでいた数人の子供たちが一斉にこちらを振り返る。
『やった!』と言わんばかりに卓也は得意そうに中空の残煙を見上げている。

近くの団地のベランダで洗濯物を取込んでいた主婦が険しい顔で覗き込むようにこちらを見ている。まずいことに、団地から飛び出してきた大人に遊んでいた子供がこちらを指さして何やら説明している。北品川の大人たちはこういうことにはちょっとうるさいのだ。

「タクちゃん、ちょっと音でかかった。やばい、あっち行こ」
「え?何が?」といぶかる卓也を引っ張って、その場を離れ、雑木林の方に降りていった。
「タクちゃんさ、秘密守れる?」
「なになに?」
「この下にさ秘密の場所があんだけど、誰にも言わない?」
「おう、いいよ」
「じゃ、こっち」

秘密基地に初めて迎える同志として、卓也ほどふさわしい人物はいない、と正治は直感的に思った。


卓也は、雑木林の突き当たりに突然現われた小さな空間をキョロキョロと見渡している。
「ほら、ここ。そこの洞窟んとこが俺の秘密基地なんだ」と中の平台まで卓也を案内した。
「すげえ!ここ何?」
「前に見つけたんだ。防空壕の跡みたい。誰も来ないんだぜ、ここ」
「いつも正ちゃん一人?」
「うん。ここに居るときはね。ねえカステラ食べない?」
「おう。貰っていいの?」
「いいよ」と、袋からジャムカステラを出して、一つを卓也に渡した。

2人がおやつを頬張り始めると、雑木の隙間から薄汚れた白い大きな野良犬がのっそりと現われた。
「あ、日吉丸だ」
「正ちゃんの犬?」
「ううん、野良犬。ここによく来んだ。慣れてて可愛いよ」
「日吉丸っていうの?」
「うん。俺が勝手に名前付けたの。そんな感じでしょ?」
「そうだな。へへ…おい日吉丸、こっち来い!」

日吉丸は卓也に近づき、伸ばした手の匂いを嗅いで、ペロペロと舐めた。卓也がカステラを半分割って差し出すと、パクリとくわえて平台の上に登り、美味しそうに頬張る。

食べ終ると、次に正治にすり寄って、お裾分けを貰った。まるで自分が飼い犬だった頃を懐かしむ様に、正治がここに来ると、何処からともなく現われ、傍らに寝そべって一緒に時間を過ごすのだ。
「正ちゃん、いつもここで何してんの?」
「秘密の研究。見たい?」
「おう」
正治は隠し棚から箱を取り出して、一部始終を細かく卓也に披露した…


「…だから、爆裂弾は3種類の火薬を遣うんだ。これが発火薬、これが導火薬、それで爆薬だね」
卓也は正治のゲルマニウムラジオをいじりながら説明を興味深げに聞いていた。
「へーえ、正ちゃんて、爆弾作んだ」
「うーん…爆弾だけじゃなくって、地雷とかいろいろ作ってみたいけど、まだまだ無理だな」
「なんで?」
「だって、いろいろ試してみるのに、火薬もっと沢山いるし、そんなに2B買えないしさ。紙火薬とかとか、いろいろ沢山買えるといいんだけど…お小遣いあんまり貰えないしさ…」
「そうか…俺さ、協力するからさ、頑張れよ。ここ、時々俺も来ていい?」
「いいよ。良くなきゃ教えないもん」
「他にここ知ってるやついないの?荒井とか斉藤とか…」幸夫と昌志のことである。
いつもクラスで3人が仲良しであることを卓也は良く知っているのだ。
「幸夫くんと昌志くんとは一緒に漫画描いてるけど、爆弾のことは話してないよ。僕だけの秘密だし、あいつらあんまり危ないこと好きじゃないしね」
「じゃ、今んとこ2人だけの秘密なんだな」
「そうだね。絶対秘密だよ」
「おう。ここで、すごい爆弾作ろうぜ」
「うん」

2人が日吉丸に見送られて帰宅の途についた頃には、空は一面の夕焼けに覆われていた。

第5話につづく...

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