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大矢のカンガルー 5

第5章 企画の行方

制作室に戻ると、野口は社長室から戻った末次と仲野とデスクで話をしていた。
「車動かしときました」

正治は野口に車のキーを渡した。
「おう、御苦労!お前え、お手柄だったんだってな」
「あ、はい、どうも…」
「企画書もなかなかよく書けてたじゃねえか」
「有り難うございます」
「ま、あたしの指導の賜物よねえ…」
「まあまあ、それもあるだろうけどよ、こいつあ素材がいいんだよ。なんたってSF作家の筆頭にカート・ヴォネガット・ジュニアの名前がぱっと出てくるなんざ、テレビ屋にしとくにゃもったいねえよ」
「なによ、それ?」
「まあ、おたくらに話しても分かんねえだろうけどよ…とにかくよ、良くやったな、インテリ。どうだ?自分の企画だ。現場にも立ちてえだろ?」
「はい、できれば…」
「本当ならフロアのチーフくらいはやらせてえとこだがなあ…まだ駆け出しじゃ荷が重いだろうし…」
「まあ、今回のとこは社会勉強でセカンドくらいで丁度いいんじゃないの?」仲野が口を挟んだ。

正治は企画部員としては認められはじめてはいたものの、現場では役職のない雑用係でしかなかったので、フロアの『セカンド』とはいえ、大抜擢であった。

「演出はクマがやんのか?」
「本人もそのつもりで会議もプレゼンも出てますよ」
「大丈夫か?あいつレギュラー以外にロスの出張も控えてんだろ?おいっ!クマっ!」

デスクで雑誌を読んでいた前山が気怠そうに舌打ちをしながらノッソリ近付いてきた。
「へい…」
「お前え、大丈夫なのか?」
「何でやすか?」
「インテリが企画した番組だよ。本当に出来んのか?海外出張はいつからなんだ?」
「今月の後半すけど…収録予定はいつなんすか?」
「編成の方はできたら今月中にスタジオやって欲しいって言ってるわよ」
「だって、オンエアは来月のケツの方でしょ?」
「改編前だから3月になっちゃうとスタジオの空きが無いんでしょ、きっと」
「そうか…」
「ま、いいや。今晩制作会議やって決めよう」

「で、前山君、スタッフの目星は付けてるの?」
「ええ…大体…」
「川村君セカンドにつけてあげてね」
「そりゃ、川村の企画だからそのつもりでしたけど…おい、川村、お前えチーフ仕切れねえのか?」
「………」
「まだ無理だろう。現場の経験少ねえからな。今回はセカンドでお勉強ってとこじゃねえのか?」
「そうか…川村、お前え、それでいいのか?」
「…はい…」
「じゃ、あとは大矢、梶井、シゲ…で、本番の時はうちからバイトもう一人出そうかな…」
「タイムキーパーは?」
「玉江じゃ駄目っすか?企画部員だけど…」

「あっ!あたし、やるやるっ!」玉江が近くのデスクから身を乗り出して叫んだ。
「ねっ、末次さん、いいでしょ?やらせてっ!お願いっ!」
「まあ、仕様がないわね…」
「やったあ!もう…現場やりたくてウズウズしてたんだからあ!」
「じゃ、大体スタッフは決まりだな。会議は夕飯食いながらでいいかな?」
「駄目ですよっ!夕飯は自前。制作費まだ決まってないんだから。食い物にしないでくださいよ」前山が釘を刺した。

「いいわよ。ケチねえ…お弁当代くらい企画部で出すから」
「へへ…ごっつぁんです」
「川村君、会議室にお弁当用意しといてね」
「はい」


正治は約束通り梶井が日曜日の収録の手順を香盤表にするのを手伝った。当日のチーフを勤める竹中も加わってくれた。

「お、感心感心…」若手ディレクターの三木が出社してきた。
「あ、お早うございます!」
「どれどれ?おう、出来てんじゃない。梶井もようやく分かってきたな」
「えへへ…」
「川村、手伝ってもらっていろいろ申し訳ないね」
「あ、いえ…」どうやら三木には全てお見通しのようだった。

三木龍平はこのプロダクションでは最も若いディレクターで、正治や竹中と大して歳は変わらない。しかし歳の割には落着いた物腰で、ひょろりと背が高く、いつも地味なジャケット姿で黒縁の眼鏡をかけている。激することは殆どなく、アシスタントたちにも優しく接し、面倒見も良い。尊敬できるというよりは、頼れる兄貴分といった存在である。

小さいながらレギュラーの科学情報番組も手堅くこなしていて、目立ちこそしないものの、信頼される若手ディレクターである。まだ20代なのに既婚で子供も二人いるという話だ。ただし、カリスマ的な存在感と押し出しの強さが求められるディレクターという立場としては、少し役不足の感もある。

「さっき聞いたけど、川村、特番の企画決めたんだって?」
「ええ、お陰様で…」
「そうか…すげえな。竹中もあっと言う間に現場仕切れるようになったし…俺も頑張んなきゃ、すぐに追い越されるなあ…梶井もうだうだしてねえで、ちょっとは頭使うこと覚えろよ。川村に抜かれるのも時間の問題だぞ」
「…はい…」

「本番の準備はもう問題ないのかな?」
「あとは備品関係と技術打合せだけです」
「技打(ぎうち)は竹中に任せていいかな?」
「はい、いいですけど…三木さん立会わないんですか?」
「ああ…ちょっとな…人と会わなきゃなんないから…悪いな…頼むわ」
「分かりました。やっときます。サブカメ一台でいいですよね?」
「おう、任せるよ。あとで外から連絡入れるから…」
そう言い残すと三木は出掛けて行った。

「なんか三木さん元気ないねえ」
「ここんとこずっとあんな調子だな…」
「ディレクターにはよ、ディレクターの悩みってもんがあるんだよっ!お前らも現場積めば分かってくるよ」梶井が知ったような口をきいた。
「はは…そうかも知れないな。さ、さっさとやることやっちゃおうぜ。お前ら二人とも夜は会議だろ?」竹中は正治が企画書作りで振り回されているここ最近の間にも、どんどん制作マンとしての自覚を増し、頼れる存在になっていた。


「お早うございますっ!」
「お早うっす!」
「おいっす!」
「ございますっ!」
突然制作室に緊張が走った。

テレコープの幹部としては最も若い岩本豊彦PDが出社したのだ。PDとはプロデューサーでありディレクターでもあるということであり、制作現場では絶対的な権限を持つ存在である。

岩本はまだ30代半ばを過ぎたばかりだが、局の制作からこのプロダクション立ち上げの時に発起人に加わった手腕家の制作マン。主に科学ドキュメンタリー番組を手掛けている。話では有名国立大学出身のインテリらしいが、不健康そうな痩せた身体にブランドもののポロシャツの襟を立て、真っ赤なカーディガンを肩に羽織り、ダブルニットの細いスラックス、レイバンのサングラスをかけ、もみ上げを伸ばし、短髪の髪には強めのパーマがかけられている。絵に描いたようなヤクザ型テレビマンである。

岩本はいつも通り片手に競馬新聞を持ち、サングラスを外すとスタッフを威圧するように睨みつけてどっかと椅子に座り靴のままの足をデスクの上に乗せた。

「おい、そこの兵隊!コーヒー」声は意外と甲高い。

アルバイトが一人厨房に走る…数人の番組スタッフがピリピリと緊張した面持ちで周囲に集まり、話しかけている。その様子を横目でチラリと見た前山が不愉快そうに舌打ちをした。

「おい、岩本ちゃん!ちょっとこっち来てくれっ!」野口が本部長席から声を掛けた。
「おいよっ!」

岩本を加え野口、末次、仲野の幹部4人が何やら話をしている…

時々「けっけっけけ…」とか、「そら、すげえや…」とか、「俺にやらせろっ!俺にっ!」と、一際大きく甲高い岩本の声が聞こえる。

暫くすると、前山が4人の元に呼ばれた。前山は憮然とした表情で暫く会話に加わっていたが、やがて「へい…了解しやした…」と軽く頭を下げてその場を離れた。その足で前山は資料棚の前の大矢に何やら声をかけて部屋を出ていった。大矢は慌てて資料を片付けると正治のところにやってきた。

「川村君」
「はい?」
「ちょっといい?」
「はい」
「クマさんがボルトで待ってるって。俺と君と…仕事片付けてすぐに来てくれってさ」
「あ、んじゃ、すぐ行きます」


局内の広い喫茶室『ボルト』では、いつも色採り採りの人間を眺めることが出来る。ここには、テレビ局に出入りする様々な人間同士が様々な形で出会いを繰り返している。

何日も風呂に入っていない様子の薄汚れたジーパンにトレーナー姿の長髪の男性がテーブルの上に原稿用紙を広げて懸命に万年筆を走らせている…その向かい側では見るからに制作アシスタントと思しき青年がイライラと腕時計に目をやりながらコーヒーを飲んでいる。
「あと三十分ですよっ!大丈夫ですかっ?」
「大丈夫大丈夫、何とか間に合わせるからよっ!」

「なんであたしがそんなことしなきゃなんないのよっ!」
「まあそう言わないで…ねっ…ここは協力しといた方が…ね…」中年のマネージャーが若いタレントを必死で説得している。

「だからさあ、俺言っちゃったわけよ、分かるだろう?」

「申し訳ありませんっ!本当、よく注意しときますからっ!」

「これ、ほら、ここんとこスコア間違ってるじゃん。これフラッテッドファイブでしょ?ベースライン下にいっとかなきゃあ…ねえ…」

「あそこはやっぱ単玉(たんだま)で突っ込まねえとだろうっ!ぼうっと突っ立ってズームかけてんじゃねえぞっ!お前え、足でも悪いのかあ?」

「ここでもう一踏ん張り、何とか数字上げますから…なんとか我慢してくださいよ…」

「はっきり言わせて貰うけどさ、おたく等ちょっと舐めてんじゃないの?」

「もう一つ、いいアイデアがあるんすよ。いやほんっと、面白いっすから…」

「馬鹿野郎!お前え、社会党はな、社会主義なんだぞっ!分かってんのか?」

「支払いの方なんですけどお…何とか少し早めにしていただけないですか?」

「俺達これってナニ待ちなワケ?もう2時間だよ、2時間」

「私、やっぱり思うのよねえ…この業界向いてないんじゃないかなって…」

「はいっ!頑張りますう!宜しくおねがいしますぅ!」

「おー、どもどもっ!久し振りい!元気い?たまには電話してよお!」

作家、プロデューサー、報道記者、制作マン、タレント、歌手、ミュージシャン、マネージャー、撮影技術者、ディレクター、俳優、メイクアップ・アーティスト…等々…老若男女、マス・メディアに巣食う様々な人種の自己主張が所狭しと渦を巻く。それに対し、余程の怒鳴り合いや殺傷沙汰でもない限り、喫茶室のウエイターやウエイトレスは我関せず、無表情無愛想を貫いている。有名人や文化人達が毎日入れ替わり立ち替わりテーブルで繰り広げるドラマのあまりの面白さに感情が麻痺してしまっているのかも知れない。


「えーとお…あ、クマさんあそこにいるっ!」
前山は一番奥のテーブルで雑誌に目を通しながら気怠そうに煙草をくゆらせていた。

「おう、二人とも仕事大丈夫だった?呼び出して悪かったな」
「いえ…大丈夫です…」
「まあ、座れや。好きなもん頼んでいいぞ」
「クマさん、有り難うございます。俺、フロアに推薦してくれたって…」
「おう、お前も仕事あぶれてるみてえだしな、ちゃんと番組につかねえと金になんねえだろ?」
「…すんません…」
「いいんだよ。それよりよ、番組乗っ取られたぜ」
「乗っ取られたって…どういうことですか?」
「岩本だよ岩本…突然割り込んできてよ、どうしても演出やらせろってゴリ押ししてきたんだよ」
「何でですか?…」
「知らねえけどよ、ほら、岩本班、ここんとこ赤字続きだろ?」
「そうなんですか…」
「そうだよ、ちょっとよ社内でも問題になってんだ。経費の使い過ぎなんだよ。ま、あんなにアシ抱えちゃってよ、毎晩飲み会だマージャンだってやってりゃ赤字もこくよな…」

岩本を中心とした制作班は大型の科学情報番組をシリーズで制作している。シリーズとはいっても、特番規模のものなので、年間3、4本程度のことである。幻の古代文明やら未確認巨大生物やらUFOやらといった類いのもので、海外取材や大掛かりなスタジオ収録など、制作予算からいっても人員からいっても資本力がものを言う制作体制が必要となるが、それほど量産が出来るわけではなく、親分肌で見栄っ張りの岩本は常時レギュラーで多くの人員を抱えているので、派手に見える分、実状は火の車だったのかも知れない。

「だからよ、今度の企画みたいに、黙ってても黒字が稼げる番組、やっときたいんだろ。みえみえなんだよ」
「じゃ、スタッフも岩本班でやるんすか?」
「そうしたがってたけどな。そういう訳にはいかねえよ。なんたって川村の企画だからよ」
「じゃ、乗っ取られたって、どういうことなんですか?」
「DもPも岩本がやるってことだよ」
「え?じゃクマさんは?末次さんと仲野さんは?」
「多分…降りることになっだろうな…でもよ、お前らは予定通りスタッフに残すように言っといたからよ。野口さんも末次さんもそこんとこは了解したからな」
「岩本さんの下につくのかあ…いやあ…俺、あの人苦手だなあ…」大矢は困惑の表情を浮かべた。

「残念ながらADがDは選べねえからな。ま、癖は強えけど、仕事の腕は確かだし、勉強のつもりで我慢するこったな。お前えがどうしても降りてえんなら外すように言ってやるけどな」
「いえ、やります。やらせてください」
「川村も自分の企画だ。現場やりてえんだろ?」
「はい」
「そこで話だ。夜、制作会議があっだろう?」
「ええ」
「お前えらは何があってもやる気満々でいろよ。自信ありそうな顔してろ。岩本はまだ諦めていねえからな。いろいろ難癖つけて自分とこのスタッフと入れ替えようとしてくるからよ。脅されても絶対弱気になんなよ。それだけ言っとこうと思ってよ。分かったか?」
「はい…」大矢と正治は顔を見合わせた。

「でもクマさん…川村君は自分で書いた企画ですから抜擢される理由充分でしょうけど…俺は…」
「そこだ。俺はよ、最近大矢が仕事あぶれてるみてえだったから、丁度いいかなって思った訳よ。川村とも気が合いそうだしな」
「僕も、一人で岩本さんのチームに入んのは、ちょっとなあ…」
「だからよ、あの企画書き上げるのに、大矢にいろいろ相談したことにしとけ。な、それで万事理由が立つだろ?」
「でも俺…なんにも手伝ってませんけど…」
「ばーか、方便だよ方便」
「…そういえば大矢さん昨夜は泊まり込んでましたよね」
「ほんとか?丁度いいじゃねえか。じゃ、そういうことにしとけよ。会議の席でもその線で押すからよ」
「でも…いいの?」
「いいですよ。その方が僕もやり易そうだし…」
「じゃ、そういうことで決まりだな。辻褄が合うように二人で口裏合わせとけ。大矢、お前え企画書よく読んどけよ」
「分かりました。宜しくお願いします」

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