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仙の道 7

第三章・醒(3)


翌日、戸枝から昼前に連絡があった。昼休みに、駅前のファミリーレストランに出てこられないかという相談だった。自分の休憩は一時からだと伝えると、その時間に待っていると言った。

戸枝は、最初に会った時と同じ窓際の席で、コーヒーをテーブルに置いて待っていた。
「すいません…お待たせしちゃいました?」
「いや、俺が勝手に少し早めに来てたんだ。おう、昼休みだろ?昼飯頼んでくれよ。ここは何が旨いんだ?」
「この店は、日替わりランチですね。一番安くておかずも多いし、あ、コーヒーも付いてますよ」
「あ、ちょおとお!…ここ日替わりランチ2つね!」
「一つはご飯大盛りにしてください。2つともコーヒーで…」
「元気そうだな…」
「戸枝さんは元気じゃないんですか?」
「俺あ、元気じゃねえよ…あれから、大変だったんだぞ…」
「怪我した人、大丈夫でした?」
「ああ、すぐ医者につれてって、何十針も縫ったってよ。なんでも神経までいってて、暫くは右手は使いもんにならねえって話だぞ」
「だから、喧嘩とか、そういうのさせないでくださいって言ったのになあ…」
「そんなこといくら素人に言われたって…ただのはったりにしか聞こえねえだろう…ま、今更言ってもしょうがねえか…」
「中川さんは、何か言ってました?」
「ああ…事務所帰ったら、もう気が狂ったみてえに怒っててさ、手が付けられなかったよ。顔真っ赤にしてよ…確かに…金魚みたいだなって思ったら、何だか馬鹿馬鹿しくなってきちゃってな…春田くん、昨夜別れ際に言ってただろ?」
「僕が子供の頃に飼ってた金魚にね、そっくりなんですよ…」
「分かった…出目金だろ?目えひん剥いて口とんがらかしてよ…あはは…」
「へへ…ね、似てるでしょ?」
「可笑しくってさ、へらへらしてたら、横っ面張り倒されちゃったよ、ほら…」戸枝が示した左頬が少し腫れていた。
「戸枝さん、前にも叩かれたって言ってましたよね」
「ああ…そうだっけ…まったくよ…40過ぎて、いちいちひっぱたかれてよ、子供じゃねえっつうの…俺、こんなとこで何やってるんだろうって、自分でも情けなくなるよ」
「で、僕は…どうしたらいいですか?」
「お、それだ。ちょっと相談なんだけどさ…」

戸枝の話はこうだった。社長の中川は、協力関係にある暴力団から雇っている取立屋3人全員を礼司が使い物にならない状態にしたことに逆上して、礼司を殺すと言っていたらしい。しかし、殴ろうとしただけで喧嘩のプロが重症を負わされたことを考えると、もし殺そうとしたらどんなことになるのかは想像するまでもないこと。戸枝は礼司の殺害は得策ではなく、むしろ温情を掛けて取り込み、後々その特殊な能力を活用すべきだと、説得したらしい。
「それで中川さんは、納得したんですか?」
「昨夜はまだ、腹の虫がおさまらなくて、ぐずぐず言ってたけどよ、今朝になったらコロッと納得してた。ま、親父もああ見えて馬鹿じゃねえから、ちょっと考えりゃどっちが得かはっきりしてるってことだよ」
「じゃあ、僕はもう許して貰えるんですね」
「それで、今夜さ、手打ちってことにさせて貰おうと思うんだよ」
「てうち?」
「まあ、平たく言えば、仲直りってことかな…そんな大袈裟なもんじゃねえんだけど、組長さんも立ち会うし、俺たちの世界じゃ、割と重要なことなんだよ。俺と一緒に、もう一回、事務所の方に来てくんないかな?」
「戸枝さんがそうして欲しいなら、僕は別にいいですよ。でも、できたら時間は昨夜と同じくらいでいいですか?」
「分かってる分かってる。俺さ、今日は昨夜のお礼に寿司でも買って持ってくから、な、春田くんが帰る頃に行くよ。お袋さんにそう言っといてくれよ」
「え?いいんですか?お母さん、きっと喜びます。じゃあとで電話入れときます」
「おう、旨い寿司、持ってくからよ」


礼司が仕事からアパートに戻ると、もう戸枝はとっくにキッチンに上がり込み、昌美と2人寿司折を前に雑談に興じていた。

「ただいま…あ、戸枝さん、もう来てたんですか?」
「おう、お先にお邪魔してます。奥さんとさ、先に始めさせて貰ってるよ」
「ほら、美味しいわよ、戸枝さんのお寿司…」
「へえ、旨そう…お寿司なんて、久し振りだね。俺も手え洗って、頂こう!」
「いいネタ沢山握らせといたからさ。ここのね、寿司屋、旨いんだよ。さっきから奥さんも結構食べてるんだよ。奥さん、もっとちゃんと食べてさ、酒減らさなきゃ駄目ですよ。そんな永い付き合いじゃないのに、随分痩せちゃってるよ、奥さん」
「そうねえ…」
「いくら言っても駄目ですよ。僕も散々言ったんだから…自分でやめる気がないんだもん…おお、美味しい!」
「な、旨いだろ?春田くん…でも…それ、違うぞ。中毒っていうのはさ、周りが諦めちゃ駄目なんだよ。いつもよ、しつこく言わなきゃ。本人だってどっかでまずいなって思ってんだから、そこを忘れさせないように…追い込んでいくんだよ。ま、借金の取り立てとおんなじだな。あ、奥さん、借金のこと言ってんじゃないすからね。あれは、もうすぐ片付きますから…」
「すいません…礼くんも、ごめんね…」
「大丈夫だよ…戸枝さんのおかげで、うまくいきそうだから…そうか…追い込むのか…」
「そう…俺みたいな仕事長いことやってるとさ、いろいろ見んだよ。抜け出した奴も抜け出せなくて駄目んなっちゃう奴もさ…親身になる奴が傍にいりゃ、何とか出来るもんだよ。だから放っといちゃ駄目だからな。ま、その話はそのうちゆっくり話すけど…それより、ほら、食べて食べて。美味しいもん食ってさ、楽しい話してさ、笑って…な、それが一番いい薬だからよ」
「礼くん…戸枝さんって、いい人ね…」
「うん…そうだね…」
「何だよ…そんなこと言わないで下さいよ。街金はいい人じゃ勤まんねえんだから…あはは…」

礼司は母の言う通りだと思った。戸枝は礼司と昌美に、久し振りに団欒の楽しさを思い出させてくれたのだ。


事務所に向う電車の中で、礼司は戸枝に話しかけた。
「戸枝さん…なんで僕たちにそんなに親切なんですか?」
「そりゃ、春田くんが、こう…変な力を持ってるからだよ」
「それだけじゃないでしょ?」
「…まあ、な…前から、お袋さんやお前と話してると、何だか気持が和んじゃうんだよ。あー、やっぱ、堅気の人っていいなあ…って…あ、これ、誰にも言うんじゃねえぞ。昨夜さ突然御馳走になっただろ?お袋さんの手料理…一口食べたらさ、この人達って、温かくていい暮らし方をしてきたんだろうなあ…って、分かるんだよな…そんな味がすんだよ。あんたたちは気が付かないんだろうけど、俺はずっと、ぎすぎすした世界にいたからさ…丁度君の歳くらいの頃から、親父の舎弟になって、もう20年以上だろ?最近親父を見てて思うんだよ、こんな風に年取りたくねえなあ…ってさ…あ、絶対誰にも言うんじゃねえぞ」
「はい…やっぱり、戸枝さん、いい人ですよ」
「春田くんがそう言ってくれると…ちょっと、嬉しいけどな…はは…」


事務所に入った途端に、戸枝はいつもの強面に変わった。
「お疲れさまですっ!」今夜残っている社員は2人だけだった。
「おう、親父、いるか?」
「はいっ!お待ちです」
「叔父貴も、もう来てるのか?」
「御一緒に、お待ちです」
「若え衆は付いてるの?」
「いえ、後でまた迎えに来るということで…」
「今晩は…お邪魔します…」
「いらっしゃいませっ!」2人は声を揃えて礼司に最敬礼したが、決して目を合わせようとはしなかった。
戸枝がノックする前に、社長室のドアが開いた。扉の向こうには昨夜と同じ女性社員が空のお盆を脇に抱え立っていた。

「いらっしゃいませ…」彼女も伏し目がちに頭を下げ、礼司を見ることはなかった。
「どうも…お邪魔します…」

礼司たちが部屋に入ると、彼女は黙って退室し、ドアを閉めた。
「叔父貴、どうも御無沙汰しております」戸枝が深々と頭を下げた。
ソファには品の良い中年男性が腰掛けていた。丁度父親の隆司と同じくらいの年齢だろうか、細身の身体にスーツをきちんと着こなし、白髪混じりの髪はオールバックに整髪され、上品に手入れされた短い顎髭を蓄えている。彫りの深い端正な顔立ちはまるで俳優のようだ。

「トエちゃん、どうも御苦労だったねえ…」優しそうな笑顔を浮かべ、立ち上がった。
彼の正面に座っていた中川が隣に移動する。巨漢の中川が隣に立つと、その紳士はやけに華奢に見えた。

「お呼び立てしまして、申し訳ありません」
「いいよいいよ、中川から話聞いても、何だか狐に摘まれたような話だからさあ…こちらが春田さん?」
「はじめまして、春田です。戸枝さんにはいつもお世話になってます」
「はじめまして。えーと…何て言ったらいいのかなあ…春田さんが、怪我させた3人の、えーと後見人かな?浅川と言います」
「浅川組の組長さん、社長の兄貴分だ…」戸枝が礼司の耳元で囁いた。
「すいません…でも僕、喧嘩は嫌いですし。あの…」
「はは…分かってます分かってます。事情は戸枝くんから伺ってますから…そうか、言い方が悪いんだな…春田さんに絡んで怪我しちゃった3人、っていうことでいいんですよね」
「あ、はい…そういうことです…すいません」
「はは…何だ、礼儀正しいしっかりした若者じゃないですか。ま、どうぞ、座って下さい」
「あ、はい…」礼司は浅川の正面に座った。戸枝はソファを回り込んで中川の横に立った。

「で、春田さんは、お仕事は何をされてるんですか?」
「あの、コンビニエンスストアで働いています」
「アルバイト?」
「いえ、今年から正社員になりました」
「お母様と2人暮らしだって?」
「ええ、去年父が横領で捕まっちゃって、今服役中なんで…」
「そりゃあ、大変だねえ…で、春田さんが働いてお母様を養ってるの?」
「はい、今は、そうです…母がちょっと…」
「ああ、それも聞いてますよ。しかし…偉いじゃない。なあ?」浅川は中川に同意を求めた。
「あ、ええ…」
「いや、中川はね、私に気い遣ってんだよ。ほら、怪我した奴らはもともとうちから預けてある若い衆だからね。失礼なことしちゃったみたいで、本当に申し訳なかったねえ…いや、この通り、すみません。こら、お前も頭下げろ!」
「昨夜は、どうも…すいませんでした…」中川がテーブルに両手を着いて、禿げ頭のてっぺんをこちらに見せた。少し頬が引きつっていた。

「どうです?春田さんもこれで許してもらえませんか?」
「あ、いえ、はい…僕の方は別に怪我もなにもありませんから…」
「はは…そうですか、良かった。じゃ、一応これで、手打ということで…いいですね?」
「ええ…はい…」
「お前も…いいな」
「お、おす…」
「こちらには、もう一切余計なことするんじゃねえぞ!分かったな」
「おす」
「…っだよ…おすおすって…空手道場じゃねえっつうの…しょうがねえなあ…すいませんね、春田さん。このおじさん、歳は取ってるけど恥ずかしがりだから…でも、悪い奴じゃないんですよ。これからも仲良くしてあげてくださいね」
「あ、はい…はは…」
「じゃ、私はそろそろ…トエちゃん、若い衆呼んでくれる?」
「はい」戸枝はポケットから携帯電話を出して部屋の外に出ていった。
「後のことは、戸枝くんに任せてあるから、遠慮なくいろいろ相談して下さいね」
「はい、ありがとうございます」

浅川からそれ以上の話は無かった。礼司の不可思議な能力や、その経緯についても何も訊ねられなかった。礼司は、まるで当然のことのように事を収める浅川の振舞いに、底知れない叡知の深さを感じていた…

「叔父貴、もう下で待ってましたよ…今、上がってきます」
「おう、じゃ、春田さん、これで失礼します」
「じゃあ、俺が下まで…おい、トエ、お前え、坊やと一緒にいてやれ」中川が立ち上がった。
「誰が坊やだ!馬鹿たれっ!堅気の方は、ちゃんと名前で呼べっ!何度言ったら分かるんだ!大体茶の一杯も振舞わねえで、何やってんだっ!」
「はい…すいません…失礼しました…」中川はまるで親に叱られた子供のように、巨体を屈めて脅えていた。
「トエちゃん、いつまでこんな馬鹿の下にくっついてんだ?俺の杯受ける気はねえのか?お前が来てくれりゃ、うちも安心なんだけどなあ…」
「いや、俺ははんぱもんなんで…とてもそっちでは…それに親父には恩義もあるし…」
「まあ、トエちゃんのそういうとこがいいんだよなあ…じゃ、春田さんのこと、任せたぞ」浅川はそう言うと、礼司に一礼して部屋から出ていった。


その後、礼司と戸枝と中川の3人は暫く社長室で話をした。中川は昌美の借金の借用書をシュレッダーで廃棄した上で、礼司にここまでの慰謝料として分厚い現金の封筒を差し出した。礼司は、そんなことまでして貰う筋合いはないと、受取りを丁重に断った。しかし、戸枝から「頼むから親父の顔も立ててやってくれ」と頼まれたので、受け取ることにした。
さらに、中川から店を辞めて、自分の会社で働かないかと持ち掛けられた。今の数倍の給料を約束すると言われたが、今の店の店長には深い恩義があるので、それは出来ないときっぱり断ると、中川は渋々引き下がった。

第8話につづく…

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連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家のカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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