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カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」
1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。 Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数が義務付けられていたが、Gr.B規定の導入により年間僅か200台を生産するのみでホモロゲーションの取得が可能となった。 Gr.4時代、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニによる前衛的且つ未来的なボディフォルムに、フェラーリ・246ディノのV6パワーユニットをミドマウントした"ストラトス"で輝かしい戦績を誇ったランチャは、新たなGr.Bマシンとしてストラトスの正常進化モデルとでも言うべき2WDのラリー037を開発、実戦に投入した。 フィアット131アバルトのエンジンにスーパーチャージャーを装着したパワーユニットは、中速域でのレスポンスとトルク特性を重視したセッティングが施された。エンジンのチューニングはアバルトが手掛け、当初1998ccだった排気量は、1984年のエボリューション2では2111ccまで拡大され、最高出力も325馬力までパワーアップされた。 サスペンションは前後ともダブルウッシュボン式、リヤのショックアブソーバにはダブルダンパー方式を採用している。 1983年、4WDマシンであるアウディ・クアトロと激戦を演じ、僅か2ポイント差でチャンピオンカーに輝いたラリー037は、2WD最後のチャンピオンカーとしてWRCファンの心に刻まれる事となった。
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ショートエッセー「追想 千葉真一」
キーハンターで幼年期を過ごし、東映カラテアクション映画で青春時代を過ごした自分にとって、千葉真一はブルース・リーと並ぶ人生の師であり、憧れである。 そんなグレート千葉と初めて会ったのは今を遡ること23年ほど前の2001年のこと。当時働いていた香港系の外資系企業のとある女性を通して、グレート千葉と野際陽子さんとの間に生まれた長女(剣舞アーチスト)を紹介されたのがきっかけだった。 初見は今は無き六本木の旧防衛庁横のクラブ「エロス・グロッソ」の隣にあった、日本が誇るハリウツドSFX界の巨匠スクリーミング・マッド・ジョージが内装を手がけたカフェバー(名前は忘れた)。 物凄いオーラと共に現れたグレート千葉は、まさにグレート千葉(なんのこっちゃ?)。初対面の挨拶もそこそこに、ただひらすら一方的に熱く熱く語ること凡そ1時間、「それでではまた、ごきげんよう!」再び固い握手と共に颯爽と店を後にした。
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My Favorite Music 「C.W. McCall " Convoy (コンボイ)"」
70年代半ば、全米では大CB無線ブームが起こった。それまでごく一部のアマチュア無線愛好家だけのものだったCB無線が、トラック運転手たちの間で爆発的に売れ始めたのである。 CMディレクターの Bill Fries がCW MaCall(CW・マッコール)名でリリースした 「コンボイ」 は、そのCB無線でのやりとりされる専門用語・隠語を羅列して作った企画ソングであった。 この曲は元々CB無線のコマーシャル用に作ったキャンペーン・ソングだったのだが、思わぬ大ヒットとなってしまった。 1975年12月にビルボードのカントリー部門にチャート・インした 「コンボイ」 は、あれよあれよの間にチャートを登りつめ、チャート・インから僅か2ヶ月で1位を獲得してしまったのだ! 世の中、何が起こるかわからない。だから世の中面白い。
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カーコラム「その熱き走りは今も健在。韋駄天 ジル・パニッツィ]
2017年9月23・24日にフランス、LINAS(リナ)の"Autodrome de Linas-Montlhéry"において #3 Les Grandes Heures Automobiles 2017(第3回 グランド・ウール・オートモービル 2017)が開催された。 会場となった"Autodrome de Linas-Montlhéry"は1924年に建造されたサーキットで、51°のバンク角を持つ一周2,548.24mのオーバルコースである。 その歴史と伝統を持ったオールドコースを舞台に、90年代中期、当時WRCで主力カテゴリーだった4WDのWord Rally Carをも脅かす速さを誇ったF2 Kit Carの雄、"Peugeot 306 Maxi F2 Kit Car"を駆り華麗なるデモランを披露するのはフランスが誇る天才ドライバー ジル・パニッツィ。 歳を経ても、その熱き走りは今なお健在だ。
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