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My Favorite Music 「Goblin " Suspiria(Main Theme) "」
" 決っして、一人では見ないで下さい " のキャッチフレーズで日本でも大ヒットとなったダリオ・アルジェント監督作品 "サスペリア "。 1977年の公開当時、初日に渋谷東宝で観た。 当時は画期的だったサーカム・サウンド・システム(音響立体移動装置)とイタリアのプログレロックバンド" ゴブリン " のテーマ曲が異様にマッチしてめちゃくちゃクールな作品だった。 ストーリー自体は、宗教感と文化が異なる日本人にはち~とも怖くはないが、劇場内を音がグルングルン回るスーパーウーハーを中核としたマルチスピーカー方式" サーカム・サウンド " の効果もあり、突発的な脅かしシーンでは椅子から垂直に何回も飛びあがった。 ブルーと赤のコントラストを強めにフィルム処理されていることもあり、特殊音響と相まって西洋版 ' お化け屋敷 ' の趣が強い。イタリアンホラーの鬼才 ダリオ・アルジェントの真骨頂とも言える作品である。
My Favorite Music 「Isaac Hayes " Theme From ’Shaft 2000 ’ "」
1971年、リチャード・ラウンドトゥリー演じる黒人探偵ジョン・シャフトが、ニューヨークのハーレムを舞台に大活躍する映画「SHAFT(邦題/黒いジャガー)」は、空前の大ヒット作となった。 そのサウンドトラックアルバムは、グラミー賞の「映画・テレビサウンドトラック部門」とゴールデングローブ賞を受賞。メインテーマ曲である「Thema from SHAFT」は、アカデミー歌曲賞とグラミー賞インストゥルメンタル・アレンジ部門を受賞に輝いた。 激しい黒人差別の嵐が吹き荒れる当時のアメリカにおいて、名だたる音楽賞を総なめするという快挙を成し遂げた男こそ「ブラック・モーゼ」こと故アイザック・ヘイズである。 「SHAFT」の公開から29年後の西暦2000年、激動のミレニアムの年、スクリーンに再びジョン・シャフトが帰って来た。 主役はリチャード・ラウンドトゥリーからサミュエル・L・ジャクソンに替わったが、テーマ曲は不変。かの名曲「Thema from SHAFT」。 魂を揺るがすビートと、躍動感溢れるリズムは29年の時を経ても全く古さを感じさせない。 まさに永遠にして究極のテーマ曲である。
MY Favorite Music 「EPO "う、ふ、ふ、ふ”」
「う、ふ、ふ、ふ、」はシンガーソングライター EPO(エポ)の5枚目のシングルとして1983年2月5日にリリースされた。 同曲は資生堂1983年春のキャンペーンCMソングとして使用され、26万枚を超える最終セールスを記録した。さらにデビュー以来初のオリコンTOP10入りを果たした(最高7位)。 資生堂のCMソング以降、数多く(計8社)のCM・キャンペーンソングとして使用されている。 「う、ふ、ふ、ふ、」、「土曜の夜はパラダイス」、「DOWN TOWN」、EPOの曲をウォークマンやカーステレオで流しながら過ごした1980年代初頭。 重苦しかった1970年代が終わり、心が浮き立つような1980年代へ。EPOが歌うポジティブで明るい曲は、そんな時代の空気にピッタリだった。
My Favorite Music「ボーイズ・タウン・ギャング "When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)"」
「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」はスリー・ディグリーズの3枚目のシングルとして1974年にリリースされ、世界的な大ヒットとなった。 1983年、「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」はフランキー・ヴァリが1967年にリリースした楽曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off Of You)」のディスコカヴァーで一躍ヒットメーカーに躍り出たボーイズ・タウン・ギャング (Boys Town Gang)によりディスコヴァージョンとしてカヴァーされ、再び大ヒットとなった。 因みにこの曲、1984年から放送が始まったカーグラフィックTVの初代OP曲である。
My Favorite Music 「ヒカシュー "プヨプヨ"」
この静かな狂気はなんだ! 聴いているだけで脳細胞が死滅して行くような無機質な旋律! これが50年代・60年代にCIAが行った洗脳実験「MKウルトラ」で使われたブレインブレイクサウンドなのか !? いいえ違います。 70年代後半から80年代初頭、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を端尾とするテクノミュージックのビッグウェーブが日本中を呑みこんだ。 そんな熱狂の渦の中、プラスチックス、Pモデルと共に新生テクノ御三家の一翼を担った「湯河原の生んだスーパースター」 ” 巻上公一 ” 率いるヒカシューの名曲「プヨプヨ」である。 その独自の世界観とサウンドは、40年以上の時を経た現代でも全く色褪せることはない。
My Favorite Music 「Pet Shop Boys " GO WEST " in Moscow」
モスクワ " 赤の広場 " で聴くPet Shop Boys の " GO WEST " は感無量である。 思い起こせば、生まれて初めてヨーロッパに行ったのは1979年、大学生の時の冬休みのことだった。アエロフロートのイリューシンに乗ってモスクワ経由パリ。 当時は冷戦真っ只中からややデタントの時代。西側の民間航空会社が北回りでシベリア上空を通過するためには、モスクワでの給油が義務付けられていた。そのため、乗客は強制トランジットを余儀なくされた。 これは、ソビエト連邦の外貨獲得施策であると同時に、KGBの情報収集のためでもあった。降機する乗客は管制塔近くの空港ビルの一室からKGBの職員が望遠レンズで全員の写真を撮影しており、犯罪者とスパイの照合資料を作成するためのデータベースとされていた。 モスクワに着陸してタラップで凍てつく空港に降り立つと、AK47で武装したソビエト兵がずらりと取り囲み、一人ひとり乗客をチェックしていた。それが済むと、護送車みたいなバス(トラック?)に乗せられて、モスクワ市内のホテルに直行。もちろん、ホテルではパスポートを提出させられ、KGBの管理下に・・・。当然外出は一切禁止。もし規則を破って抜け出せば、逮捕か最悪の場合はその場で銃殺(マジで)すると宿泊ガイドに書いてあった。 真冬に給湯器がぶっ壊れ、お湯がでないホテルがなんと一泊素泊まりで1万円!文字通りボッタクリである。寒さに震えながら冷水のシャワーを浴び、「滝に打たれる修行僧か!」と一人突っ込みを入れていたのを懐かしく思い出す。 まさに、その後、ソビエト連邦共和国が崩壊し、ベルリンの壁が崩れ去るなどと、その時誰が想像したろう?? 世の中、そんなもんである。 ハラショー! ペレストロイカ、グラスノスチ!! 第三の雪解け万歳!!