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My Favorite Music

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70年代・80年代のリズム&ブルースとディスコ&ソウルミュージックをメインに、悪食音楽ファンの鳴海邦彦がノンジャンルで選んだ懐かしのヒットナンバー集。
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My Favorite Music 「原田真二 " タイム・トラベル(Time Travel) "」

すべてが眩く輝いていたゴールデンエラ、1980年代。 来るべき80年年代への期待と不安が交錯する1978年、後にネオクラシカと呼ばれる名曲が誕生した。 原田真二の’Time Travel ’である。 彼こそ現代のアマデウスである。

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My Favorite Music 「Goblin " Suspiria(Main Theme) "」

" 決っして、一人では見ないで下さい " のキャッチフレーズで日本でも大ヒットとなったダリオ・アルジェント監督作品 "サスペリア "。 1977年の公開当時、初日に渋谷東宝で観た。 当時は画期的だったサーカム・サウンド・システム(音響立体移動装置)とイタリアのプログレロックバンド" ゴブリン " のテーマ曲が異様にマッチしてめちゃくちゃクールな作品だった。 ストーリー自体は、宗教感と文化が異なる日本人にはち~とも怖くはないが、劇場内を音がグルングルン回るスーパーウーハーを中核としたマルチスピーカー方式" サーカム・サウンド " の効果もあり、突発的な脅かしシーンでは椅子から垂直に何回も飛びあがった。 ブルーと赤のコントラストを強めにフィルム処理されていることもあり、特殊音響と相まって西洋版 ' お化け屋敷 ' の趣が強い。イタリアンホラーの鬼才 ダリオ・アルジェントの真骨頂とも言える作品である。

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My Favorite Music「安部恭弘 " We Got It ! "」

1980年代、YOKOHAMAタイヤのCM、特にASPECのCMは日本のCM史上に残る傑作ぞろいである。 エモーショナルな映像に気鋭のミュージシャン達が奏でる珠玉のBGM。 軽薄短小な現代では、二度作り得ぬマスターピース。 日本が国家としての頂点を極めた時代、それこそが80年代なのである。

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My Favorite Music 「D2 feat. Dolph Lundgren " BREAKDOWN "」

D2は1994年にブルガリアの首都ソフィアで結成されたハードロックバンドである。 "BREAKDOWN"は、2009年に公開されたドルフ・ラングレン監督・主演のアクション映画"Command Performance"の劇中曲・テーマ曲としてD2がプロデュースした楽曲で、劇中にもドラマー役のドルフと共に出演している。 東欧系ロックバンド特有のワイルドでハードなストレートロックは必聴。

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My Favorite Music 「Larry Carlton " Room 335 "」

80年代フュージョン世代にとって外せないのがこの曲、ラリー・カールトンの神曲 " Room 335 " 。 夜な夜な第三京浜&湘南経由で箱根通いの日々を送っていた1980年代初頭、深夜に134号線を走る時には必ずこの曲を流してた。 もちろん窓全開。心地よい潮風に吹かれながらゴージャスな気分で流すのが粋だった。

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My Favorite Music 「Playing For Change " Stand By Me "」

Song Around The World.

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My Favorite Music 「Isaac Hayes " Theme From ’Shaft 2000 ’ "」

1971年、リチャード・ラウンドトゥリー演じる黒人探偵ジョン・シャフトが、ニューヨークのハーレムを舞台に大活躍する映画「SHAFT(邦題/黒いジャガー)」は、空前の大ヒット作となった。 そのサウンドトラックアルバムは、グラミー賞の「映画・テレビサウンドトラック部門」とゴールデングローブ賞を受賞。メインテーマ曲である「Thema from SHAFT」は、アカデミー歌曲賞とグラミー賞インストゥルメンタル・アレンジ部門を受賞に輝いた。 激しい黒人差別の嵐が吹き荒れる当時のアメリカにおいて、名だたる音楽賞を総なめするという快挙を成し遂げた男こそ「ブラック・モーゼ」こと故アイザック・ヘイズである。 「SHAFT」の公開から29年後の西暦2000年、激動のミレニアムの年、スクリーンに再びジョン・シャフトが帰って来た。 主役はリチャード・ラウンドトゥリーからサミュエル・L・ジャクソンに替わったが、テーマ曲は不変。かの名曲「Thema from SHAFT」。 魂を揺るがすビートと、躍動感溢れるリズムは29年の時を経ても全く古さを感じさせない。 まさに永遠にして究極のテーマ曲である。

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MY Favorite Music 「EPO "う、ふ、ふ、ふ”」

「う、ふ、ふ、ふ、」はシンガーソングライター EPO(エポ)の5枚目のシングルとして1983年2月5日にリリースされた。 同曲は資生堂1983年春のキャンペーンCMソングとして使用され、26万枚を超える最終セールスを記録した。さらにデビュー以来初のオリコンTOP10入りを果たした(最高7位)。 資生堂のCMソング以降、数多く(計8社)のCM・キャンペーンソングとして使用されている。 「う、ふ、ふ、ふ、」、「土曜の夜はパラダイス」、「DOWN TOWN」、EPOの曲をウォークマンやカーステレオで流しながら過ごした1980年代初頭。 重苦しかった1970年代が終わり、心が浮き立つような1980年代へ。EPOが歌うポジティブで明るい曲は、そんな時代の空気にピッタリだった。

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My Favorite Music「ボーイズ・タウン・ギャング "When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)"」

「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」はスリー・ディグリーズの3枚目のシングルとして1974年にリリースされ、世界的な大ヒットとなった。 1983年、「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」はフランキー・ヴァリが1967年にリリースした楽曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off Of You)」のディスコカヴァーで一躍ヒットメーカーに躍り出たボーイズ・タウン・ギャング (Boys Town Gang)によりディスコヴァージョンとしてカヴァーされ、再び大ヒットとなった。 因みにこの曲、1984年から放送が始まったカーグラフィックTVの初代OP曲である。

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My Favorite Music 「ザ・キングトーンズ " グッドナイト・べイビー "」

ザ・キングトーンズの " グッドナイト・メイビー "昭和43年(1968年)の大ヒットナンバーである。 日本におけるドゥーワップの先駆者であるメインヴォーカルの内田正人氏のクリスタルヴォイスは、美しくしかもソウルフル。ラッツ&スターや山下達郎といった後進のミュージシャンたちに多大なる影響を与えた。 2019年2月15日、天命を全うし死去。82歳。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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My Favorite Music「Average White Band "Pick Up The Pieces"」

Average White Band(アベレージ・ホワイト・バンド)は高校時代(1970年代後半)に超ハマったバンドである。 代表曲とも言える "Pick Up The Pieces "は、白人バンドとは思えぬグルービー且つファンキー、そしてアーバンでジャジーなナンバー。

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My Favorite Music 「ヒカシュー "プヨプヨ"」

この静かな狂気はなんだ! 聴いているだけで脳細胞が死滅して行くような無機質な旋律! これが50年代・60年代にCIAが行った洗脳実験「MKウルトラ」で使われたブレインブレイクサウンドなのか !? いいえ違います。 70年代後半から80年代初頭、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を端尾とするテクノミュージックのビッグウェーブが日本中を呑みこんだ。 そんな熱狂の渦の中、プラスチックス、Pモデルと共に新生テクノ御三家の一翼を担った「湯河原の生んだスーパースター」 ” 巻上公一 ” 率いるヒカシューの名曲「プヨプヨ」である。 その独自の世界観とサウンドは、40年以上の時を経た現代でも全く色褪せることはない。

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My Favorite Music 「横浜銀蝿 " ツッパリ High School Rock'n Roll (還暦編)」

やっぱね、男はいくつになってもツッパってロケンローな人生送りたいね。 還暦過ぎてもロケンロー!

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My Favorite Music 「Pet Shop Boys " GO WEST " in Moscow」

モスクワ " 赤の広場 " で聴くPet Shop Boys の " GO WEST " は感無量である。 思い起こせば、生まれて初めてヨーロッパに行ったのは1979年、大学生の時の冬休みのことだった。アエロフロートのイリューシンに乗ってモスクワ経由パリ。 当時は冷戦真っ只中からややデタントの時代。西側の民間航空会社が北回りでシベリア上空を通過するためには、モスクワでの給油が義務付けられていた。そのため、乗客は強制トランジットを余儀なくされた。 これは、ソビエト連邦の外貨獲得施策であると同時に、KGBの情報収集のためでもあった。降機する乗客は管制塔近くの空港ビルの一室からKGBの職員が望遠レンズで全員の写真を撮影しており、犯罪者とスパイの照合資料を作成するためのデータベースとされていた。 モスクワに着陸してタラップで凍てつく空港に降り立つと、AK47で武装したソビエト兵がずらりと取り囲み、一人ひとり乗客をチェックしていた。それが済むと、護送車みたいなバス(トラック?)に乗せられて、モスクワ市内のホテルに直行。もちろん、ホテルではパスポートを提出させられ、KGBの管理下に・・・。当然外出は一切禁止。もし規則を破って抜け出せば、逮捕か最悪の場合はその場で銃殺(マジで)すると宿泊ガイドに書いてあった。 真冬に給湯器がぶっ壊れ、お湯がでないホテルがなんと一泊素泊まりで1万円!文字通りボッタクリである。寒さに震えながら冷水のシャワーを浴び、「滝に打たれる修行僧か!」と一人突っ込みを入れていたのを懐かしく思い出す。 まさに、その後、ソビエト連邦共和国が崩壊し、ベルリンの壁が崩れ去るなどと、その時誰が想像したろう?? 世の中、そんなもんである。 ハラショー! ペレストロイカ、グラスノスチ!! 第三の雪解け万歳!!