マガジンのカバー画像

Essay

330
鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
運営しているクリエイター

記事一覧

再生

緊急寄稿 「追悼 アラン・ドロン」

 いたいけな中学生だった1973年、日本で大ヒットしていたのがこの曲「アラン・ドロン&ダリダ 甘い囁き」である。  フランスの人気女性歌手ダリダと、当代きっての色男アラン・ドロンが、アンニュイな旋律に載せて甘い言葉のやりとりを繰り広げる(と、いってもドロンが一方的に囁き、ダリダがそれをガン無視して男に対する失望感を歌い上げる、と言った方がより正確)甘くアンニュイなこの曲は、多感な中学生のリビドーを激しく刺激し、ある天啓を与えた「そうだフランス語だ! フランス語で口説けば女にもてる!」。中学生ならではの赤坂、否、あさはか且つ短絡的な思考である。  その時から、いたいけな中学生は真剣にNHKのラジオフランス語講座を聞き始め、高校に進学する頃には日常会話初級のレベルにまで上達していた。不純なモチベーションほど強いものはない。 しかし、なぜか大学時代の第2外国語はドイツ語。やはりニュルブルグリンクは強かった。 冗談はさておき、アラン・ドロンの甘い囁きは男性でも鳥肌が立つ。自分がもし女性でドロンに言葉攻めされたら瞬殺状態で落されてしまうだろう。 しかし、ダリダは、「パローレ パローレ パローレ(言葉だけ、言葉だけ、言葉だけ)」とつれない。さすが酸いも甘いも噛み分けた百戦錬磨のフランス熟女は違う。 「ガ~ラメン ボンボン エ ショコラ~」甘い言葉だけ。何とも痺れる大人の男女の駆け引き。 フランス語特有の言霊は、女性の心をダイレクトに刺激する。 R.I.P アラン・ドロン 享年88歳

ショートエッセー 「ネガティブな思考」

 通常、1日の内におおよそ4000種類の思考が人の頭脳を巡るとされている。  そのうちの22~31%が、制御できずに頭に浮かんできてしまう好ましくない思考で、またそのうちの96%が何度も繰り返し浮かんでくる。  クリーブランドの健康増進プログラムによると、浮かんでくる思考の実に95%が何度も繰り返され、その80%がネガティブな思考であるとされる。

ショートエッセー 「細胞」

 肉体の細胞は、恐るべき速度で入れ替わりながら組織再生が進むようになっている。  肉体には実に37兆個ほどの細胞がある。現在知られている銀河の星の数よりずっと多いこれらの細胞は、古くなったものが死んで常に新たな細胞に入れ替わり、1秒ごとに実に81万個以上に及ぶ細胞が入れ替わる。例えば、1日あたりに体が作り出す新たな赤血球は1兆個だ。  動脈や静脈をめぐって体内の細胞に酸素と栄養分を運んでいる赤血球の寿命はおよそ4か月で、寿命を終えた赤血球からは肝臓で重要な要素が取り出され

ショートエッセー 「中華そばの至宝 "竹むら"」

   目黒 権之助坂の”中華そば 竹むら”の中華そばを食すと、改めてラーメンとは総合芸術であることを痛切に感じる。  大山地鶏や椎茸、昆布から抽出された出汁が渾然一体となり見事なまでの調和を見せるコクと旨味が凝縮されたスープ。  最高品質の国産小麦粉を数種類配合して作られる、香り高くコシのある食感豊かな自家製麺。  最高濃度の黄身が自慢の味玉。歯ごたえが楽しめる太い自家製メンマ。柔らかく、低温調理の手法により仕上げられた噛むほどに味わい深いチャーシュー。  そして作

再生

ショートエッセー 「本物は常にそれらしくない」

 パリ五輪、エアピストル10m、トルコ代表のこのオッサンのシューティングスタイルはコンペティションシューターのそれではないと思っていたら、案の定、バリバリの軍人さんとのこと。  しかもこのオッサン、オリンピック選手としての練習はほとんどしていないらしい。さらに通常の精密射撃では標準となる集中力を高めるためのギヤ(装具)は雑音を遮断するためのイヤープラグ以外一切装着していない。  Tシャツとトラウザーというカジュアルないでたちは、散歩の途中で射的場に立ち寄ったといった感じで自然体の極致。  しかし一旦銃を構えた後のホールドは一切のブレもなく、そして驚くのは精密射撃の常道である片目撃ちではなく両目を開けてのシューティング。実戦で片目を閉じて射撃に集中すると、敵の接近や周囲の状況変化に気づかず致命的な結果にも招くことにも成りかねない。そのことからしてもこのオッサンが実戦で鍛え抜かれたプロ中のプロであることがうかがえる。  さらに、射撃の際の顔面の位置。セルビアの選手が照準線を見下ろす形で、やや上からのエイミングになっているの対し、このオッサンは視線と照準が完璧に一直線になるような顔面配置を保っている。これはまさに実戦射撃で言う「指差すように照準する」"Instinct Shooting"そのものであり、これまた実戦経験がなければ為し得ない射撃テクニックである。  そして結果はほぼⅩX(テネックス)、つまりど真ん中。  やはり本物は常にそれらしくなく、そして自然体でさりげない。

ショートエッセー 「機能美こそ究極の美」

 基本的にEyewear(サングラス)は、最低でも米国国家規格ANSI Z87.1をクリアしたものでないと着用しない。  米国国家規格ANSI Z87.1とは、厳格で有名なアメリカ国家規格協会で定められている工業規格である。  サングラスの適用規格として下記の7点。 ① 光拡散力= 光を拡散させるレンズに対してどんな角度で光が入り込んでも、対象物を正確な位置にとらえる事ができる。 ② 不均衡な分光= 左右のレンズで光の屈折が違う場合、目に映る像が1つの像として捕まえに

ショートエッセー 「粛々と淡々と」

 情熱があって何かを始める人なんてほとんどいない。普通は何気なく始めたことに無意識のうちにのめり込んで、そこから情熱が生まれる。  自分に何が向いているか考える暇があったら、眼前にある仕事を粛々と淡々とこなしゆくことに専念すべき。  こなした仕事が実績となり、その結果が評価となる。

ショートエッセー 「P.R.S技法」

 戦争は「起きる」のではなく「起こす」のである。最近はP.R.S技法という社会工学的手法を駆使している。  因みにP.R.Sとは「問題(Problem)→反応(Reaction)→解決(Solution)」の頭文字を組み合わせたもの。  P.R.S技法=ヘーゲルの弁証法、と理解すれば間違いない。  その具体的手法は、 ① 問題をわざと作り出す。 ② 危機回避による脊髄反射を起こす。 ③ 混乱に陥れ判断力や理性を喪失させる。 ④ 彼らが望む解決策を予め用意し、早く

ショートエッセー 「非ゼロ和ゲーム」

 ゲーム理論においてはゼロ和ゲームと非ゼロ和ゲームが存在する。  ゼロ和ゲームとは、例えばAとBの対立において、最終的にはAあるいはBのいずれかが勝利を収め終息するというゲームである。これはこの世のほぼ9割にあたる事象が当てはまる。  対して非ゼロ和ゲームとは、勝者も敗者も存在せず、利害が一切生じなないゲームである。具体的な例として挙げれば、地球規模での全面核戦争や地球的規模での制御不能な感染症の拡大がそれにあたる。  現在、地球的規模で進行しているグレートリセットは、

エッセー「"運転手"と"ドライバー"の違い」

 運転手とドライバーの違いは?? と尋ねると殆どの人は、「バカじゃね? どっちも運転手じゃん!」と答えるだろう。  否、違うのだ、そう、違う。両者は決定的に違うのである。  では、何が違うのか?  運転手とは「クルマという機械を操作する人間」、ドライバーとは「クルマを操縦する人間」を意味する。  分かりやすく言えば、運転手=オペレーター、ドライバー=運転者 と換言しても良い。  それでは、両者を分ける境界線は?  運転が手段の場合には「運転手」、運転そのものが目的

ショートエッセー 「女神が見守る街 ニース」

 南フランスのNICEは古代ニカイア人により造られた街である。  ニカイアとは「ニケの街」という意味で、街の守護神としてギリシャ神話の勝利の女神「ニケ(NIKE)」が祀られている。  プロムナード・デ・ザングレから旧市街に抜ける海岸通り沿いの広場には、塔頂に女神ニケを頂くモニュメントがある。  因みに、スポーツシューズメーカーのNIKE(ナイキ)もリシャ神話の勝利の女神「ニケ(NIKE)」由来のネーミングであり、ロゴマークもニケの代名詞である美しい羽をモチーフにしている

再生

ショートエッセー「Group B」

"Group B"は、人気TVドラマシリーズGame of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)で"北の王"スターク家の長男ロブ・スタークを演じたRichard Madden(リチャード・マッデン)が、過去の辛いトラウマを克服し、長い苦悩の末にカムバック果たすラリードライバーを演じたショートムービーである。 本作品は2016年の英国王立テレビ協会賞を受賞すると共に、学生アカデミー賞とAFIフェスト審査員大賞にノミネートされた。

再生

ショートエッセー「"Enter The Dragon(燃えよドラゴン)" The Art of Fighting Without Fighting. 」

ハン主催のトーナメントに赴く船上で、同じくトーナメントの参加者であるニュージーランドのパーソンズに"お前は何流だと?"と問われたブルース・リーはこう答える。 "You can call it the art of fighting without fighting." (戦わずして戦う技術と言ってもいい。) これぞまさに孫子の兵法。

ショートエッセー 「他者に畏怖と敬意を持て」

 世の中、自分のことを知っている人間よりも知らない人間の方がはるかに多い。  物凄い数の友人・知人がいると豪語する人間でも、地球規模で見ればその数は全人口のほんのわずかに過ぎない。  が故に自分は初見の相手に対峙した際には常に敬意と畏怖の念を持って接するようにしている。  翻ってみれば、日本人ほど見てくれや年齢、人相、風体、そしてなによりも肩書で人を判断する輩が多い国は他に例に見ない。  その手の輩は、いずれ致命的な判断ミスを冒し、自ら墓穴を掘ることになる。  取る