鳴海邦彦 / KUNIHIKO NARUMI OFFICIAL

元参加型モータースポーツ専門誌副編集長。現在はメディアコンサルタント、メディアプロデュ…

鳴海邦彦 / KUNIHIKO NARUMI OFFICIAL

元参加型モータースポーツ専門誌副編集長。現在はメディアコンサルタント、メディアプロデューサー、昭和カルチャーの語り部、ジャーナリスト、コラムニスト、フォトグラファーとして活動中。

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鳴海邦彦 プロフィール

Planning&Produce SPECIAL STAGE 主宰 鳴海邦彦 / Kunihiko Narumi 鳴海邦彦 キャリア サマリー 株式会社山海堂 参加型モータースポーツ専門誌 月刊Speed Mind副編集…

My Favorite Music 「Phil Collins "Find A Way To My Heart" 」

AH-64アパッチ攻撃ヘリコプターのパイロットの活躍を描いたニコラス・ケイジ主演のスカイアクション「アパッチ(原題:WINGS OF THE APACHE / Fire Birds)」のエンディン…

カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA BFMR型ファミリア4WDを語る 」

BFMR型ファミリア4WDは思い出深いクルマである。 当時、取材でダートラ会場やラリー会場に行くとパドックはこのクルマに埋め尽くされていた。 モータースポーツ界、特に…

「デザインしないデザインが最も美しい」

"余白の美学"を理解していなければ一流の編集者にはなれない。

ショートエッセー 「メルセデス・ベンツW210型 190Eナルド高速トライアル」

メルセデス・ベンツW201型190E2.3-16(以下2.3-16)は、メルセデス・ベンツ初のコンパクトセダンW201型190Eのスペシャルモデルとして1984年よりラインナップに加えられた。…

My Favorite Music 「Herb Alpert " Rise "」

SA22C型RX-7と言えばこの曲。当時CMで使用されていたハーブ・アルパートの「Rise」である。 ハーブ・アルパートはアメリカ カルフォリニア出身のアーチストで、トランペ…

カーコラム「鳴海邦彦 1979年式 TOYOTA TA45型カリーナ1600GT4ドアセダンを語る」

鳴海邦彦3代目の愛車となったのは1979年式のトヨタ・カリーナ1600GT4ドアセダン。経費込みアンダー50万円で購入した車両だったが、ラリー車改造にしたため100万円オーバー…

ショートエッセー 「沸騰都市にそびえる摩天楼 ブルジュ・ハリファ」

United Arab Emirates (UAE), Dubai 現在世界で最も高い建造物 ブルジュ・ハリファ(206階建て・全高828.0 m) 一度ブルジュ・ハリファの154階特別展望台" At The Top Sk…

カーコラム「鳴海邦彦 MITSUBISHI E38A型 GALANT VR-4 RSを語る」

自らが副編集長を務める参加型モータースポーツ専門誌の企画や取材でVR-4の速さポテンシャルの高さを目の当たりに鳴海。またしても悪い虫が疼きは購入してしまう。

ショートエッセー 「傭兵の流儀」

漢(おとこ)の世界、プロ(職人)の世界にはそれぞれの流儀がある。 優しさと非情とは表裏一体。死は苦痛からの開放であると同時に魂の肉体からの開放である。それ福音で…

カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA SA22C型RX7を語る」

SA22C型X-7はデビュー当時、サバンナRX-7と呼ばれた。日本国内では、稀代の快速車・サバンナGT(RX-3)の後継車と位置づけられていたのだ。 日本全国の車好きの間でSA22C…

My Favorite Music 「いすゞのトラック 」

 自他共に認める筋金入のISUZUファンである。  その歴史は長く、人生初めての新車であるISUZU Gemini ZZ Rを購入した1981年まで遡る。  世界の数ある自動車メーカーの…

ワンマングルメ番外編「 サバのトマトソース シチリア風スパゲティ 」を作ってみた。

 ホールトマト缶とサバの水煮缶を使い " サバのトマトソース シチリア風スパゲティ " なんぞを作ってみた。  刻んだニンニクをオリーブオイルで炒め、香りが出てきたら…

ショートエッセー 「泡処(あわどころ)」

 その昔、当時トルコ風呂と呼ばれたいた現在のソープランドが、トルコ大使館からのクレームを受けて新たな名称を一般公募したことがあった。  当時、糸井重里に憧れコピ…

イルミナティは、今を遡ること248年前の1776年5月1日、神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領 インゴルシュタットにて、イエズス会の修道士だったインゴルシュタット大学教授のアダム・ヴァイスハウプトにより創設された秘密結社である。

本日5月1日は248回目の創立記念日である。

カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」

1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。 Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数…

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鳴海邦彦 プロフィール

Planning&Produce SPECIAL STAGE 主宰 鳴海邦彦 / Kunihiko Narumi 鳴海邦彦 キャリア サマリー 株式会社山海堂 参加型モータースポーツ専門誌 月刊Speed Mind副編集長 TDKコア株式会社 ビデオソフト事業部 制作第3課 プロデューサー カービデオセクション・ミリタリービデオセクション 統括プロデューサー PCCWJ株式会社  NOWディヴィジョン Car@NOW 総合プロデューサー 株式会社山海堂 参加型モ

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My Favorite Music 「Phil Collins "Find A Way To My Heart" 」

AH-64アパッチ攻撃ヘリコプターのパイロットの活躍を描いたニコラス・ケイジ主演のスカイアクション「アパッチ(原題:WINGS OF THE APACHE / Fire Birds)」のエンディングに流れるフィル・コリンズの ' Find A Way To My Heart '。 落日の太陽をバックに2機のヘリが飛ぶ美しいエンディングシークエンスは、今でも鮮烈に心に刻まれている。

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カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA BFMR型ファミリア4WDを語る 」

BFMR型ファミリア4WDは思い出深いクルマである。 当時、取材でダートラ会場やラリー会場に行くとパドックはこのクルマに埋め尽くされていた。 モータースポーツ界、特にナンバー付き競技の場合にはベース車両のポテンシャルがダイレクトに影響するため、そのクラスの高性能車を供給する数社で寡占状態となるのだが、BFMRは日本初のフルタイム4WDマシンという事もあり、特に土系競技ではほぼ独占状態だった。 1600cc DOHC ターボエンジンは最高出力140PSと決してハイパワーではないものの、フルタイム4WDならではの優れたトラクションと直進安定性によりライバル車の追随を許さぬ圧倒的なパフォーマンスを誇った。

「デザインしないデザインが最も美しい」 "余白の美学"を理解していなければ一流の編集者にはなれない。

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ショートエッセー 「メルセデス・ベンツW210型 190Eナルド高速トライアル」

メルセデス・ベンツW201型190E2.3-16(以下2.3-16)は、メルセデス・ベンツ初のコンパクトセダンW201型190Eのスペシャルモデルとして1984年よりラインナップに加えられた。 メルセデス・ベンツは、2.3-16の圧倒的パフォーマンスを世界に知らしめるべく、正式リリース一年前の1983年、南イタリア・ナルド・サーキットにおいてFIA承認世界速度チャレンジを敢行した。 トランスミッションのギヤ比以外は市販車と全くの同一スペックという2.3-16のプロトモデルは、5万kmを平均時速247.939km/hで走り抜き、見事に世界記録を更新した。

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My Favorite Music 「Herb Alpert " Rise "」

SA22C型RX-7と言えばこの曲。当時CMで使用されていたハーブ・アルパートの「Rise」である。 ハーブ・アルパートはアメリカ カルフォリニア出身のアーチストで、トランペット奏者、コンポーザーとして活躍、後にA&Mレコードを設立した。 軽快でありながらどこか気だるいトランペットの音色は、路肩を落ち葉に彩られたワインディングを風のように駆け抜けるSA22C型RX-7の走りと見事に調和していた。

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カーコラム「鳴海邦彦 1979年式 TOYOTA TA45型カリーナ1600GT4ドアセダンを語る」

鳴海邦彦3代目の愛車となったのは1979年式のトヨタ・カリーナ1600GT4ドアセダン。経費込みアンダー50万円で購入した車両だったが、ラリー車改造にしたため100万円オーバーの大出費。まさに懲りない男の面目躍如。

ショートエッセー 「沸騰都市にそびえる摩天楼 ブルジュ・ハリファ」

United Arab Emirates (UAE), Dubai 現在世界で最も高い建造物 ブルジュ・ハリファ(206階建て・全高828.0 m) 一度ブルジュ・ハリファの154階特別展望台" At The Top Sky " から外界を見下ろせば人生が大きく変わる。自分が天界の神になったような優越感を味わうともう人間の世界へは戻れない。日本円で約15,000円の特別料金を払ってでも体験する価値は十分にある。

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カーコラム「鳴海邦彦 MITSUBISHI E38A型 GALANT VR-4 RSを語る」

自らが副編集長を務める参加型モータースポーツ専門誌の企画や取材でVR-4の速さポテンシャルの高さを目の当たりに鳴海。またしても悪い虫が疼きは購入してしまう。

ショートエッセー 「傭兵の流儀」

漢(おとこ)の世界、プロ(職人)の世界にはそれぞれの流儀がある。 優しさと非情とは表裏一体。死は苦痛からの開放であると同時に魂の肉体からの開放である。それ福音であり慈愛である。 「重傷を負って動けない者に出会ったら、傭兵として最後の贈り物を与えてやらなくてはならない。捕えられてゆっくりと殺されるよりも、すっぱり死んでいく方が本人もうれしいのだ。それが傭兵のルールであり、彼らはみな過去にそれを経験しているのだ。」 フレデリック・フォーサース著「戦争の犬たち」より。

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カーコラム「鳴海邦彦 MAZDA SA22C型RX7を語る」

SA22C型X-7はデビュー当時、サバンナRX-7と呼ばれた。日本国内では、稀代の快速車・サバンナGT(RX-3)の後継車と位置づけられていたのだ。 日本全国の車好きの間でSA22C型RX-7のデビューが大きな話題になったのには当時の時代背景が大きく影響している。 SA22C型がデビューした1978年は、折しもイラン革命を発端とする第二次オイルショックが始まった年である。1973年のオイルショックの時と同様に原油が高騰し、深夜のテレビ放送の自粛や、日曜・祝日のガソリンスタンド休業などが実施された。 さらに、第二次オイルショックに加え51年規制をはるかに上回る53年排出ガス規制の真っただ中。とてもじゃないがハイパワー車だのスポーツカーなど夢のまた夢といった社会情勢の中、ピュアスポーツを標榜して燦然とデビューしたのがSA22C型RX-7だったのである。

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My Favorite Music 「いすゞのトラック 」

 自他共に認める筋金入のISUZUファンである。  その歴史は長く、人生初めての新車であるISUZU Gemini ZZ Rを購入した1981年まで遡る。  世界の数ある自動車メーカーの中でも、ISUZUほど謙虚で誠実な自動車メーカーはこの世に存在しない。  かつてISUZUが乗用車部門から撤退する時は本当に悲しかった。  しかし、ISUZUと言えば、トラック、バスといった大型車両がお家芸のメーカーである。  その先進的且つ革新的な技術いおいてはライバルメーカーなどその足元にも及ばない。  近代自動車史に残る先進のテクノロジー " NAVI 5 " は、ギガシリーズに搭載されている究極のトランスミッション" スムーサーG " へと昇華し、日本の物流を支えている。  高速道路を一国の動脈だとすれば、荷物を満載し、昼夜を問わずそこを走るトラックは動脈を流れる血液である。  日本国民の豊かな生活を支えるのはISUZUのトラックと、昼夜を問わずそのハンドルを握る名も無き孤高のプロフェッショナル達のお陰なのだ。  ISUZUのトラックは我々の暮らしを、そして日本の経済の基盤を支えている。  因みに、ISUZUファンの聖歌とも言えるこの「いすゞのトラック」を歌っているのはシンガーソングライターの " KAZCO " さんである。  そしてその神曲を清らかな歌声でカバーするのは、"令和の歌姫"との呼び声も高い高校一年生の東 亜樹(あずま あき)さんである。

ワンマングルメ番外編「 サバのトマトソース シチリア風スパゲティ 」を作ってみた。

 ホールトマト缶とサバの水煮缶を使い " サバのトマトソース シチリア風スパゲティ " なんぞを作ってみた。  刻んだニンニクをオリーブオイルで炒め、香りが出てきたらサバ缶の中身をスープごと投入。そこにさらにホールトマトを投入して塩、胡椒、それに顆粒のコンソメ少々、コストコでガメてきたピザ用クラッシュド唐辛子を入れ暫し煮込む。  味見をしてOKだったら、そこにアルデンテより若干固めに茹であげたスパゲティを入れ、手早く馴染ませできあがり。  サバ缶は煮汁に出汁が出ているの

ショートエッセー 「泡処(あわどころ)」

 その昔、当時トルコ風呂と呼ばれたいた現在のソープランドが、トルコ大使館からのクレームを受けて新たな名称を一般公募したことがあった。  当時、糸井重里に憧れコピーライター志願だったワダスは、喜び勇んで応募した。  トルコ風呂の新名称は、  " 泡処(あわどころ)"  我ながら天才的なネーミング。自らの才能に鳥肌が立ち勝利を確信した。これで賞金はオデのもの、一人ほくそ笑み選考結果を待った。  だがしかし、審査員は"ソープランド"などという情緒もへったくりもない名称を採

イルミナティは、今を遡ること248年前の1776年5月1日、神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領 インゴルシュタットにて、イエズス会の修道士だったインゴルシュタット大学教授のアダム・ヴァイスハウプトにより創設された秘密結社である。 本日5月1日は248回目の創立記念日である。

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カーコラム「Lancia Rally 037 Spec 1983」

1983年、前年の移行期間を経てWRC(世界ラリー選手権)の車両規定はそれまでのGr.4からGr.Bへと変更された。 Gr.4の公認を取得するには年間400台(当初500台)の生産台数が義務付けられていたが、Gr.B規定の導入により年間僅か200台を生産するのみでホモロゲーションの取得が可能となった。 Gr.4時代、ベルトーネの鬼才マルチェロ・ガンディーニによる前衛的且つ未来的なボディフォルムに、フェラーリ・246ディノのV6パワーユニットをミドマウントした"ストラトス"で輝かしい戦績を誇ったランチャは、新たなGr.Bマシンとしてストラトスの正常進化モデルとでも言うべき2WDのラリー037を開発、実戦に投入した。 フィアット131アバルトのエンジンにスーパーチャージャーを装着したパワーユニットは、中速域でのレスポンスとトルク特性を重視したセッティングが施された。エンジンのチューニングはアバルトが手掛け、当初1998ccだった排気量は、1984年のエボリューション2では2111ccまで拡大され、最高出力も325馬力までパワーアップされた。 サスペンションは前後ともダブルウッシュボン式、リヤのショックアブソーバにはダブルダンパー方式を採用している。 1983年、4WDマシンであるアウディ・クアトロと激戦を演じ、僅か2ポイント差でチャンピオンカーに輝いたラリー037は、2WD最後のチャンピオンカーとしてWRCファンの心に刻まれる事となった。