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歴史に残るあのクルマ

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軽自動車は、毒饅頭か?劇薬か!

軽自動車は、毒饅頭か?劇薬か!


日本で自動車の普及が進んだのは、ある一台の軽自動車の登場による影響が大きいと言われる。
それは、通産省(現・経産省)の「国民車構想」(1954年)に近い形で登場したスバル360であった。

ちなみに、国民車構想とは、以下のようなものであった。

4名が乗車した状態で、時速100kmが出せる(ただし、定員のうち2名は子供でも良い

時速60 kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30 kmは走

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高級セダン、もはや伝説?

高級セダン、もはや伝説?

メインストリームから消える「高級セダン」
昨年末に、ホンダのフラッグシップである「レジェンド」が国内生産および販売を終了した。

表向きは、国内生産体制の見直しとしているが、日本の高級車市場の変化についていけなかったということが、その本当の理由である。

セダンという絶滅危惧種
そもそも、セダン型の国産車は、2022年5月時点で、以下のラインナップが残るだけとなった。

トヨタ クラウン

トヨタ

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サラリーマン文化が育てた「だるま」

サラリーマン文化が育てた「だるま」

夜の街で「だるま」といえば、サントリー・オールドである。

一方、クルマで「だるま」といえば、トヨペットコロナである。

サントリーとトヨタは、フルラインナップ商法で、サラリーマンのハートをつかんだ。

高度成長期のトリスバーで、サラリーマンにウィスキー文化を根付かせ、角瓶ハイボールで高級感を演出し、課長になったらオールド、部長になったらリザーブ、役員になったらローヤルなんていう、サラリーマンの心

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日本車のヴィンテージ・イヤー

日本車のヴィンテージ・イヤー

自動車の排気ガスによる環境問題と、二度のオイルショックによるガソリン価格の急騰により、世界のマーケットから、低価格で高品質な日本車が評価され、特にアメリカのビック3が苦境に立たされた1980年代の話である。

ヴィンテージイヤーは、米国貿易保護と超円高から当時のアメリカの主要産業は、自動車産業であった。GM・フォード・クライスラーの通称ビックスリーの苦境はすなわち、アメリカ経済の苦境であった。

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マイカー元年の教訓

マイカー元年の教訓

1966年といえば、日本の自動車史上大きな分岐点となった年。

1964年の東京五輪が終わって2年ほど経つと、360ccの軽自動車の時代から、小型自動車を持つ時代へと、購買力もまさに高度成長していた時代の話である。

日本最古の自動車メーカーである日産からはのサニーが登場し、その数か月後にトヨタ・カローラが登場。そして、軽自動車メーカーだった富士重工も、スバル1000で小型車市場に打って出た。

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日本のスポーツカーの夜明け

日本のスポーツカーの夜明け

自動車大国ニッポン。

日本の歴史に輝くスポーツカーといえば、初代フェアレディZかトヨタ2000GTということになろう。

トヨタ2000GT

フェアレディZ(初代)

日本の自動車を世界に広めるために産まれたともに、1960年代の終わりに登場しているが、これは当時の日本の自動車を世界に展開するにあたり、イメージリーダーとして重要なものであった。

トヨタ2000GTは、1967年デビューで、そ

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