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KUNIchannel
2023年7月15日 18:03
日本で自動車の普及が進んだのは、ある一台の軽自動車の登場による影響が大きいと言われる。それは、通産省(現・経産省)の「国民車構想」(1954年)に近い形で登場したスバル360であった。ちなみに、国民車構想とは、以下のようなものであった。4名が乗車した状態で、時速100kmが出せる(ただし、定員のうち2名は子供でも良い時速60 kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30 kmは走
2022年5月22日 22:20
メインストリームから消える「高級セダン」昨年末に、ホンダのフラッグシップである「レジェンド」が国内生産および販売を終了した。表向きは、国内生産体制の見直しとしているが、日本の高級車市場の変化についていけなかったということが、その本当の理由である。セダンという絶滅危惧種そもそも、セダン型の国産車は、2022年5月時点で、以下のラインナップが残るだけとなった。トヨタ クラウントヨタ
2020年8月2日 00:55
夜の街で「だるま」といえば、サントリー・オールドである。一方、クルマで「だるま」といえば、トヨペットコロナである。サントリーとトヨタは、フルラインナップ商法で、サラリーマンのハートをつかんだ。高度成長期のトリスバーで、サラリーマンにウィスキー文化を根付かせ、角瓶ハイボールで高級感を演出し、課長になったらオールド、部長になったらリザーブ、役員になったらローヤルなんていう、サラリーマンの心
2020年6月28日 01:10
自動車の排気ガスによる環境問題と、二度のオイルショックによるガソリン価格の急騰により、世界のマーケットから、低価格で高品質な日本車が評価され、特にアメリカのビック3が苦境に立たされた1980年代の話である。ヴィンテージイヤーは、米国貿易保護と超円高から当時のアメリカの主要産業は、自動車産業であった。GM・フォード・クライスラーの通称ビックスリーの苦境はすなわち、アメリカ経済の苦境であった。
2020年6月23日 00:26
1966年といえば、日本の自動車史上大きな分岐点となった年。1964年の東京五輪が終わって2年ほど経つと、360ccの軽自動車の時代から、小型自動車を持つ時代へと、購買力もまさに高度成長していた時代の話である。日本最古の自動車メーカーである日産からはのサニーが登場し、その数か月後にトヨタ・カローラが登場。そして、軽自動車メーカーだった富士重工も、スバル1000で小型車市場に打って出た。
2020年6月20日 18:18
自動車大国ニッポン。日本の歴史に輝くスポーツカーといえば、初代フェアレディZかトヨタ2000GTということになろう。トヨタ2000GTフェアレディZ(初代)日本の自動車を世界に広めるために産まれたともに、1960年代の終わりに登場しているが、これは当時の日本の自動車を世界に展開するにあたり、イメージリーダーとして重要なものであった。トヨタ2000GTは、1967年デビューで、そ