逃げるは恥だが・・・
今までエアコンのない部屋で過ごしていたのですが、エアコンのついている部屋が一つ空いたので、そちらに引っ越しをしました。
長年動かさずにいたものを一気に片付けたので、荷物をのけると埃の山💧
30リットルのゴミ袋に5袋と、いらなくなった服で3袋、その他埋もれていた粗大ゴミなど、出るわでるわゴミの山💦
ようやく1週間かけて綺麗に片付けましたε-(´∀`*)ヨカッタ
そんなどうでもいいようなお話はさておいて、ネットサーフィンをしていると、世界の諺のサイトが合って、そこにみなさんもテレビでご存知だと思いますが、あのドラマのタイトルも載っていました。
そうです
逃げるは恥だが役に立つ
この諺はハンガリーの諺なんだそうですが、あまり一般的には使われていないみたいです。意味は
なんだそうです。
これ以外にもセネガルの諺で、遊んでばかりでは成果を得ることはできないという意味の「猿の畑には実りはない」だとか、とにかく行動しなければ何も得られないという意味のフィリピンの諺である「イナゴを恐れる者は何も収穫できない」だとかあるそうです。
日本人からすると面白い表現をしますよね。
まあ、日本語の諺でも海外では面白い言い回しをするのもあるんでしょうけど、国が違えばこれだけも違うんですね。
詳しくは下のリンク先でご覧ください。
今回のnoteは諺のお話ではなくて、物事の受け止め方をテーマに書かせていただきます。
▼モラルというDiscord
一般的に「こうやるべき」と言われる基準として、「常識」や「モラル」という言葉を軸として言われることが多いのですが、この「常識」や「モラル」というのは、万国共通の基準なんでしょうか?
そもそも「常識」や「モラル」ってなんでしょうか?
「Weblio」ではこのように書かれていますが、その基準って明確な指標があるわけではないことは、この解説を見ていただくとわかるかと思います。
要は、誰か有力者や多数の意見が判断基準になっていて、明確な基準があるわけではないのです。
以前のnoteでも問題提起をさせていただいていますが、誰かの価値観が「常識」や「モラル」という基準を作り上げているなら、それは価値観の押し付けにしかならないわけです。
ですので、「逃げるは恥だが•••」の諺の意味の紹介の中で、「普通に考えると」という件がありますが、そもそも「普通に考えると」の明確な基準がないわけですから、逃げ出すことが恥ずかしいと当たらないのだと思います。
▼そもそも全てに向き合う必要があるのか?
そもそも論ですが、一般的に「向き合うことが当たり前」と思われていることって、全て向き合う必要があるのでしょうか?
その向き合うべきことって、本人のことなのか、他の人の話なのか、会社や社会の話なのか、それによって向き合い方も違ってくると思います。
よく職場で、職場の生産性を高めるためとか、職場環境を整えるためということで新しくルールを作ったりして、そのルールが息苦しさを与えていることってないでしょうか?
自分一人ではなく、職場や地域社会で生活する上で、それぞれの共通認識としての「ルール」は必要ですが、それはあくまで最低限に限定すべきだと思います。
そうでなければ、そこでいることが息苦しくなり、またルールで縛られると、思考停止になってしまい、そのルールが正しいかどうかも判断しなくなるだけでなく、間違いが起こったときにそのルールの責任にしてしまうのです。
▼逃げるは恥?
冒頭でも書かせていただきましたが、「逃げるは恥だが役に立つ」という諺では、問題と真正面から向き合わずに逃げ出したとしても、最善の解決策になる場合があるということを紹介した諺だと考えています。
人が言ったことや、一般的には常識と思われていることをしなかったら、「ダメ」と言った暗黙の了解的なことが起こり、他の人の目を気にしない人はともかく、そうでない人は人の目を気にし過ぎてしまいます。
例えば、SNSのメッセージが届いたとしたらすぐに返信することが当たり前と思っていたり、役職についた人が全て仕事の指示をするべきだと思っていたりする人が、私の周りでも少なからずいてます。
でも、本当にそうでしょうか
SNSは自分の使える時間で楽しむからいいのであって、他の人の時間に合わせてする必要のないものですし、仕事でも役職があるから、全ての仕事をきめ細かく指示することはあり得ません。役職についた人はその役職で与えられた職務もあり忙しいため、きめ細かい仕事の指示をすることはできません。
仕事に関して言いますと、そういう指示待ちの人こそ、給料に見合った自分の「仕事」をしろって感じです。
「仕事」と「作業」の違いは過去のnoteに書かせていただいていますので、そちらを参考に見てください。
そういう人たちにとって、要は他の人と群がっていたいとか、自分の責任の放棄でしかないのです。
真正面から向き合って自分の意見を言ったところで、そういう人たちには自分の目線の高さにある価値観でしかモノを考えていないため、無益な論争だけが延々と続き、体にも精神的にも変な疲れを残すだけですので、言い争わずに放置しておく方がいいでしょうw
▼「リノベーション」という考え方
「自分が正しい」と思い込んでいる人は、「こうあるべき」という自分の勝手な価値観を往々にして人に押し付けがちです。自分の目の高さを変えることで、例えば上から見たり、下から見たり、横から見たりすることでモノの見え方は変わってきます。
もし議論や整理することが必要であれば、何が目的かということをしっかり頭に刻みつける必要があります。なぜかと言いますと、議論などをするときは自分の意見を押し通そうとする場合、劣勢になった時に本題から離れたことを非難したりすることがあるからです。直結する話であれば別ですが、直結しない話で議題をすり替えようとし、「悪者」を作り出すことで優位に話を進めようとする人が少なからずいてます。
そういう人たちとはまともに議論するのは無駄な時間を費やすだけです。
また、真正面から全て答える必要もなく、相手がこう答えるものと思い込んでいて、そう答えないと怒ってくる人もいたりしますが、自分の思い通りの返答をしなければ「悪」という考え方も間違っています。
今、空き家などが増加し続けていますが、我々一般社団法人バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)ではこうした空き家を活用して新規に事業を立ち上げる拠点の整備のお手伝いをしています。
空き家を住居として活用する場合、新基準の建築設計で建てられた物件であれば、安心して住む人を探せますが、そうでなかったりするとなかなか住む人を探すのはしんどいのです。特に人口減少化社会になっている今となると尚更です。
そのため、VRSでは空き家で格安でお借りできる物件であれば、リノベーションという手法で、その物件の使い方をコンバートすることでその物件に新たな息吹を与え、その物件の寿命を全うさせようという考え方です。
これは物件に対する考え方ですが、この「リノベーション」を人とのやりとりの中で取り入れることもできると思います。
「一般的に」とか「こうあるべき」とかは、「こう考えられていることが多いけど、こういう考え方もできるんじゃないかな」とか「多くはこうなっているみたいだけど、こうなってもいいんじゃないかな」とか、リノベーション的な発想を取り入れることで、豊かなアイデアが浮かんできます。
そういうリノベーション的な発想が、自分たちの作り出したフレームワークの外にあるものを見えてきて、豊かな人生の最適化につなげてくれます。
▼お知らせ
VRSのお知らせコーナーですw
まずは、10月1日(土)15時30分〜 埼玉県草加市で「シェアアトリエつなぐば」の運営などを手がける松村 美乃里さん(つなぐば家守舎取締役)の講演会「まちのこともわたしごと」をオンラインで開催します。
チラシは鋭意作成中につき、また完成し次第、お知らせします。
それと前回もご紹介しました「浜街道リノベーション実践塾」です。
10月14日(金)19時から事前レクチャー、10月23日(土)9時30分〜10月24日18時30分までワークショップ・最終プレゼンを行います。
こちらもチラシを鋭意作成中につき、完成し次第、お知らせします。
物事全てに真正面から受け止めるとしんどいだけですので、自分に合った受け止め方を身につけてくださいね。
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