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傘がない、そういうことです


私のTwitterにDMをくれたあなたへ。


先日のnoteは、私の中の澱のようなもの。最後まで読んでも何の解決も書かれていませんが、記録することで思考が整理された気がしています。


そんなエゴの塊のようなエッセイに対して、「Twitter捨てアカウント」を作ってまで意見をくれたあなた。ありがとうございます。これは皮肉ではありません。


ただ、私はあなたを知らない。あなたの子どもも、もちろん知らない。
「知らない」は、「面識がない」という意味です。決して「知ったこっちゃない」ではありません。


私は人並みにニュースを見ます。読むことが好きで、毎朝新聞2紙に目を通す人間です。読書はルポルタージュが多く、私の介入できないところで起きている「学校」の現実に、決して無関心ではありません。

学習における教育問題のほか、不登校、体罰、いじめ、その末の子どもの自死、教員の責任、学校の責任、親の責任、それらの問題を報道で目にするたび、心が痛みます。

しかし残念ながら、そこにどんな憤りを感じても、私は報道された学校問題の当事者にはなれません。
当事者の気持ちを、その状況を、想像することしかできません。
(もちろん、私が当事者になる可能性、それはゼロではありません)


想像しかできない出来事に共感や憤りを抱き、意見を述べることはできます。しかし実際に手を差し伸べるのは、現実には難しい。


ましてや、匿名の書き込みに対して、私に為す術はありません。


先日、地域の重鎮にこんなことを言われました。

「地域で子育てを、それはわかる。私も子どもは可愛い。ただ、町内会や自治会、子ども会に参加しない家庭も多い。そうなるとどこのお子さんなのか親はだれなのか私たちは知る由もない。だけど、公には地域で子育てをと謳われる、私たちはどうしたらいい?」

耳が痛くなりました。

私は世間知らずじゃない。世の中の問題にだって目を向けている。子どもたちを取り巻く環境にだって、ほら、こんなに関心がある。
心の奥底に抱いていた自分の考えが、どんなに驕り高ぶっていたものだったか思い知らされました。

目の前の状況ひとつ改善できないで、学校教育だキャリア支援だと語ってくれるなと、暗に叱責された気がしました。


私がしなくてはいけないのは、身近にある問題に向き合うことなのかもしれません。家族の通う学校で何が起こっているか、地域で何が起こっているか。

私が守るべき一番の対象、まずは私の子どもたち、その周囲の子どもたちが、学校でどう過ごしているのか。そして教員の先生が、子どもたちにどう接しているのか。
世の中の心痛むニュースに無関心になってはいけない。その上で、身近な子どもたちを取り巻く環境に、どんな問題が隠れているのかを知りたいのです。
まずはそこから、です。

傘がない、です。

どうかあなたも、匿名を使わずに相談をしてください。
信頼のおける学校関係者、友人、それが無理だったら実名で自治体や行政に。それもかなわない過酷な環境だったら、事実を冷静にweb上に投稿するのもひとつの手です。
私への匿名のDMでは、何の解決に繋がらないのです。


あなたとあなたのお子さんが、今の苦しい状況から抜け出せますように。
温かい助言をくれる人が現れますように。
味方になって寄り添ってくれる人が現れますように。
心から、お祈りしています。




井上陽水さんの「傘がない」を知らない方々はこちら。
ただ、この歌詞の解釈は個々様々なので、あくまで今回は私の想いということです。


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