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あの言葉に今も救われている

「原則は、破るためにある。なぁ、わかるかミユキ」

遅刻してそそくさと教室に入った私に、現国のY先生は朗らかにこう言った。仲の良いクラスメイトがクスクスと笑う。授業の内容は全く覚えていない。きっと、現代文における何かのテクニックを説明していた最中だったのだろう。

当時の私は、遅刻魔だった。担任教諭が数学担当だったので、その日の数学の授業までに行くのが自分の中の決まり。それにも遅れたら、部活の時間までに行くのが決まり。
私にとって学校は「行っても行かなくてもよい場所」になっていた。しかし行かないと何かとバツが悪い。親、先生、友人から「なぜ休んだのか」と聞かれるのが面倒で、自分の中の落としどころが「担任の授業までに登校する」だった。

その日は数学の前の時間、現国の授業中に到着した。いつもなら休み時間を狙って教室に入るけど、その日はなぜか授業の最中に入室。
そして、冒頭の言葉を先生に投げかけられたのだ。


「原則は、破るためにある。なぁ、わかるかミユキ」


高校三年生の時、私は卒業後の進路についておおいに迷走した。
家業が傾きかけていた時で、親は何かと忙しそうだった。学校には普通に通ったし、部活もした。食事もきちんと用意されていた。けど、月末がくるたび経理担当の母が沈んだ顔になる。親の落ち着かない様子は、私が進路について思考停止するにはじゅうぶんな環境だった。

とりあえず卒業ができればいい。
そう考えた私は、学ぶ意欲を失い、形だけの登校を繰り返すことになったのだ。私が通った高校は学区では中くらい偏差値。窓ガラスを割るような荒くれモノもいなければ、学外で活躍して目立つような個性的な子もいなかった(気がする)。授業中は平和も平和。学級崩壊なんてどこ吹く風で、どのクラスも授業がのんびりと行われていた。

そんな中、毎日のように遅刻を繰り返す生徒が、先生たちにとってノーマークなわけがなかった(これは、大人になってから知った)。
当時は全く気に留めなかったけれど、現国のY先生が私に放った言葉には、おそらく何らかの含みがあったのだと思う。


「原則は、破るためにある。なぁ、わかるかミユキ」


この言葉、社会人になるまで忘れていた。
高校卒業後は働いてお金を貯め、自力で夜間の専門学校へ通い広告デザインを学んだ。やがてその道で就職し、世の中の理不尽に対峙し始めた時、なぜかその言葉を急に思い出したのだ。


原則 : 多くの場合に共通に適用される基本的なきまり・法則


「多くの場合」ということは?
原則の裏には、必ず例外や特例がある。私は社会人になってから、いくつもの原則の裏を探った。社内の体制、取引先の「できません」、知らぬ間に自身に課している多くの「決まり」。大きな壁、ヘンテコな壁にぶち当たる度に、どこを紐解けば例外や特例にたどり着けるのか考えた。Y先生の言葉を反芻し、原則を破ろうとしながら仕事をしてきた。
そんなふうに書くとちょっとえらそうだけど、「初めに良い話を出して、それから難題を出す」その程度のこと。物事の順序を少し変えたり、根回ししたりするだけでお固い慣習は少しずつ変わっていく。どんな難題にも、意外と突破口はあるものだった。


そして今。私はまたその言葉を唱えている

15年前、結婚後三か月で妊娠が発覚した。新天地で就職活動中だった私は、そのまま職探しをやめて子どもを産んだ。赤ん坊の世話は、今でいうワンオペ。第一子が産まれた頃の夫は相当な激務で、私が仕事をしていなかったこともあり「育児は夫婦で」体制が全く作れなかった。
これ、私が会社勤めするのムリでは…?と考え、元いた会社やこれまでの人脈をたどって仕事をもらい、在宅で仕事を再開したのが今の私の始まりだ。
(残念ながら幼子育児中は思考が麻痺していて、「夫婦で育児」に関しては「原則は、破るためにある」が浮かばなかった)

そして今、子どもたちは成長し、私が仕事に充てる時間も増えてきた。そうなると、人間欲が出てくるもの。時間の制約なく取材に出たいし、いい話があれば泊まりで出張もしたい。

先日、思い切って夜6時からの取材を引き受けた。予定は1時間程度。自宅から車で10分程度の場所で行われたので、押しても7時半には帰宅できると目論んだ。
朝食の席で夫と子どもたちに「夕方の取材なので、帰宅は7時半を過ぎるかも」とだけ伝えておいた。ここで、私の痛恨のミス。「お腹が空いたら、先に夕飯は済ませておいて」と付け加えるべきだった。

目論見ははずれ、終了は8時過ぎになった。取材進行における私のファシリテーション力の不足といえばそこまでだけど、お会いした人の話があまりにも想定外で興味深く、ついあれもこれもと聞き出してしまったのだ。ああ、これだから取材は面白い。

しかし、家族は夕飯時に台所担当である私の不在に慣れていない。8時半、大急ぎで惣菜を買って帰宅すると、娘が不安そうな目に笑顔をはりつけて「おかえりー」と言った。タイマーでご飯は炊けていたので、腹ペコに耐えかねた息子は、冷蔵庫のゴハンの友と残り物でどんぶり飯をすでに平らげていたけれど、生真面目な娘は、「お母さんが何か(献立を)決めてたら、悪いかなと思って…」と何も食べずに待っていた。
あら?夫はすでに風呂にいるようだ。聞けば7時半過ぎには帰宅していたらしい。と、そこで私は急にモヤモヤし、こう思った。
「私が不在でも、何か食べに行くか、作るかしてくださいよ…」
私は、不満を飲み込みながら配膳の用意をする。いくつもの「なぜ?」が頭をぐるぐるした。

でもまてよ。
長らく我が家は、私が夕飯を作る体制だった。その他の家事はちょいちょい家族が分担していたが、調理となると私の出番。そして何より、平日の夕飯の時間に私が不在なんて状況はこれまで滅多になかった。

これは、わが家の原則だ。

そうだなそうだなしょうがないねと思い直し、9時を過ぎた夕飯時、私は予定外に帰宅が遅くなったことを家族に詫びた。子どもたちにはこれからこういう仕事が増えるかもと伝え、夫にはなるべくすぐに食べられる物を置いておくけど、外に食べに出てくれても、何か自分たちで調達してしてくれてもかまわないと話した。
夫は「まあそういうこともあるよね。子どもらもどんどん大きくなるんだから大丈夫」とビールを飲みながら楽観的に言う。
娘は「お母さん、私が何か作って食べると、〇〇作ろうと思ってたのにー!って怒るじゃない。そういわれるのがイヤで、今日は夕飯待ってたの」と、日頃の私の行動をチクリと刺す。はい、ごめんなさい。母さん、これからはそんなこと言いません。
息子は「母ちゃん遅いから、ケータイに電話しようかと思ったんだよ。でも、おねーちゃんに仕事なんだからやめなさいって怒られた」と、惣菜の唐揚げを頬張りながら文句を言う。あら、そんなことがあったのか。

結婚当初に「働くこと」について夫婦で擦り合わせをしなかったのは少し後悔しているけど、これまでの生活にはなんら悔いはない。家族は元気だし、軌道修正はいつだってできるはず。

やりたい仕事を諦めたくない。
私は、これからわが家の原則を破るために頭を捻る。もしかしたら、最大の難関は「子どもたちの夕方から夜の寂しさ」かもしれない。そう考えると、少し及び腰になる。
でも、大丈夫。いつだって、この言葉を胸に手探りを続けよう。


「原則は、破るためにある。なぁ、わかるかミユキ」 

















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