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コンプレックスの正体との簡単な向き合い方

おっす!

くにくににーです!


早速ですが、

あなたは、コンプレックスを感じていることがありますか? 


コンプレックスとは?


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コンプレックスという言葉をネットで調べると、

心理学、精神医学用語で、感情の複合体のことを意味するらしいのですが、日本で一般的な使われ方は、インフェリオリティ・コンプレックスと言って、「引け目」や「劣等感」の略として使われ、自分が他より劣っているという感情と結びつく「複合的な心的表象」を指すことが多い。

と、書いてありました。


対義語はないですが、「複雑に絡み合う感情」を指すことを考えると、相反する言葉は、「純粋」や「単純」などの意味が挙げられます。


今回お伝えしたかったことは、コンプレックスは必ずしもネガティブなものでばかりではないということです。

なぜかというと、結局は「他人からどう思われているか」という、相対的な感情からきているからです。

他の人と比べるのは、競争ともなるし、他の人が比べる尺度によって異なるので、自分がその劣等感を勝手に生み出している場合が多いんです。


Mr.Childrenさんの「擬態」という歌の歌詞にこんな一節があります。

__________________
・・・
富を得た者はそうでない者より
満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
目じゃないとこ
耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまう
何かに擬態したものばかり
・・・
__________________

すごく深い言葉だなと感じます。

この歌のタイトルを「擬態」にするセンスがまたすごい。

アルバムのタイトルがまさにその「sense(センス)」だったので、鳥肌が立ったのを覚えています。


自分の価値は自分が決める

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他人の意見や、評価に振り回されて、自分というものを見失っている人を山ほど見てきました。

・外見や、仕草、雰囲気だけでも差別を受けたことがある人もいるでしょう。
・心ない言葉で、傷つけられたこともあるでしょう。
・誰にも言えず、一人で悩んだこともあるでしょう。
・悔しい思い、悲しい思い、辛い思い。


でも、安心してください。

その差別や、劣等感、引け目は、あなたが生み出すことも、無くすこともできる感情なんです。


例えば、

「恥ずかしい」という感情は、世の中に自分一人だけだったら生まれるはずがありません。恥ずかしいと思う「相手」がいることで、その感情が生まれます。

つまり、相手ありきの感情です。

他の感情も同様に、相手がどう思うか、相手からどう見えるかが基準で生まれる感情なんです。

だから、まず考えて欲しいのは、「自分のことを自分がどう思うか」ということ。

自分のことだけ考えて、自分の生きたいように生きられる人だったら、コンプレックスは存在しません。


ただ、そんな簡単にはいかず、

・ヒゲや鼻毛を剃らないで、外出すれば不潔な人と思われます。

・服を着ないで、すっぽんぽんで街を歩けば、警察に通報されます。

・学校に行けば、テストやら徒競走やら何かしらで順位をつけられて他人と比べられてしまいます。


社会の仕組みが、コンプレックスを生んでいると言っても良いでしょう。

そう、あなたのせいでもなければ、あなたは比べられる必要がないはずなんです。


生まれてすぐに、体重や身長を測られます。

途中までは、自分の成長過程を知るために測る(自分との比較)ので、他人は関係ありませんが、幼稚園や学校に行くと、比較されるようになります。

比較されることから避けて通るのは、難しい国であるのは間違いないので、自分の中の考え方を変えて欲しいんです。

全ては、その人の個性、他の人との違いは才能なんです。


Mr.Childrenの歌詞にもあるように、障害を持つ人が不自由と決めたのは、社会の仕組みです。いつの時代も、何らかの障害を乗り越えるときに、大きな進化を遂げています。

人間全体の中で、たまたま両手両足がある人が多いから、その人に合わせた社会になっているだけです。

片手がない人ばかりの社会だったら、今の社会にはなっていません。

車はもっと早くに自動運転になっていたかもしれないし、パソコンはもっと早く音声入力になっていたかもしれない。


たまたま、その他大勢に社会が順応していっただけなんです。


つまり、それだけ世の中は適当だし、曖昧なんです。

自分の価値を、そんな曖昧な社会や他人に委ねたらダメだという話です。


自分の価値は、自分が決める。


そこに、コンプレックスは存在しません。


それでも比べちゃう人へ

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理屈では、理解できることだと思うのですが、

人間の感情は複雑でして、わかっちゃいるけど比べちゃうんですよね。


わかります。僕も例外なく比べちゃう人です。

仕事がうまく行って、稼げてる人はうらやましいです。

カッコいい車に乗っている人と自分とを比べちゃったりもします。


それでいいんです。

自分の価値を自分が決めてさえいれば。


例えば・・・

背は低く、毛深くて、地味な性格で、食べれないものが多い、人と話すのが苦手

歌うのが好きで、家でピアノを弾くと落ち着く、納豆ご飯が大好物。

と、いう人がいたとして、

全部ひっくるめて、どこかの誰か。唯一無二の存在です。


誰かと比較しても意味はないんです(競技をしている場合などは別ですが)。


一部分だけを比較して、劣等感を抱いたり、引け目を感じるのは、自分で自分の価値を下げるだけで、もったいないことなんです。


話ができない人は、手話をマスターします。

話ができない人を障害者と呼ぶのは、全く無意味なことなんです。


話をできる人から見たら、話をすることが言語になるけど、

話をしない人からすると、手話をすることが言語となるので、話をする人が会話に入れないんです。そうなったら、どっちが障害者なのでしょうか。


だから、僕は障害者という言葉は好きじゃないし、劣等感という言葉も苦手です。


あなたの価値を、あなた自身が認め、育ててあげてください。

誰かと比較しちゃっても、自分に立ち返ってください。

自分は自分と。


自分が好きなことをしている時の、その自分を大切にしてください。


僕は、うまくいかなかったり、不安になったりする時は、いつもそう考えるようにしています。


他人は他人、自分は自分、それで良し。


劣等感や引け目を感じたとしても、最終的には過去の自分と比較できればOKです。それくらいの気持ちで、人生を楽しみましょう!


したっけね!


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