見出し画像

第14回 映画『福田村事件』を語る!!〜100年前に起きた惨劇。今を生きるわたしたちに関係ないことなのだろうか??私たちの中に棲む天使と悪魔の戦いは、時として思いもよらない事を起こしてしまうということへの自覚を忘れるな。今まさにこの映画が生み出された事をきっかけに、時空を超えて、過去と現在と未来をつなぐ。

くに:さあ、来ました、ここ最近で一番の手強い題材、今回は『福田村事件』です。

たけ:話題になってるね〜。公開規模も拡大してる!!編集大変になりそうね、、、よし気合い入れてやりましょう!!

くに:まず、福田村事件とはこのような内容です。

1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀で地元の福田村および田中村それぞれの自警団に暴行され、9名が殺害された事件である。

くに:この事件をもとにした映画です。どうだった?という前に、監督の森達也さんについてのちょっとした情報をあげとく必要あるんだよね?

たけ:そうなんですー。個人的にとても好きな映画監督で、小さい頃に森さんの『いのちの食べ方』という本を読んで、物事の見方とか考え方、とても影響受けた。日々当たり前と思っているものの背景について普段あまり考えてなかったんだけど、この本を読んで、当たり前だと思っていることに無自覚になる危険性みたいな視座を学んだんです。著書や映画たくさん紹介したいんだけど、今回はそこは深く掘りません!簡単にいうと、森さんの本や映画のベースとなる思考はこんなとこだと思う、「何が善で何が悪かというのは、はっきり分けられるものではない」ということ、そして、「集団は暴走する」っていうこと。例えば、90年代にオウム真理教が凄惨な事件を起こしたよね。テレビやマスコミはオウムを絶対悪として報道した。それは間違いないんだけど、森さんは実際にオウム真理教の信者の人にインタビューを行ったんだよね。すると、俺らと変わらないいたって普通の人ばかりだったというのを、自身の映画『A』『A2』を通して世に出した。つまり、普通の人が時としてあのような事件に加担する可能性がある。善は善のみであり続ける、なんてのは幻想。その逆もまた然り、ということ。実際に自分で取材して得た一次情報、すなわち誰かから聞いた、とかでなく自分の目で確かめたものを信じる、という信念からして、「この人は信用できる」と思ったなあ。

くに:あたし、知らなかったんだけどさ、たけの話聞いて凄い興味出た。これから色々見ていくわ!!ほんで、この映画はどうだった??

たけ:くにの先に聞いてみようかな(笑) どうだった?!

くに:俳優さんの演技凄かった!でも、、日本人が嫌いになってしまいそうなくらい、あまりの凄惨さにどんよりしてしまったね、、。だってたった100年前でしょ?しかも、あのようなことって今も色んなところで目にするよね?集団で特定の人を攻撃するっていうの、SNSとかで普通にやられてるよね。で、この映画を観た人にインタビューしていたのをテレビで観たんだけど、その内容が「もしあなたならあの時代のあの場所にいたら、虐殺に加わらないと断言できますか?」っていう質問で、結果「絶対に加わらない」っていう割合が約60%、「加わってしまうかもしれない」という割合が約4割。なんで絶対に加わらないと断言できてしまうのか、この結果からも大丈夫か、、、って思わざるを得なかったな。主語を一括りに「日本人」としちゃダメなのはわかってるんだけどね。

たけ:映画の内容と、映画見た人の意識両面から日本に絶望した感じか、、、。ん〜気持ちは凄いわかる、、。そのテレビのインタビュー聞いてとっさに思ったのが、小さい子供さんいる親御さんがお店の中で自分の子を怒鳴りつけてる時よくあるじゃない?あれ見ていて、「自分は絶対あんなことしないのにな〜」っていつも見ているんだけど、あまりにそういった場面多いし、凄い優しい知人が実際にそうなってしまっているのを見てしまったりして、少し前から「もしかしたら、自分に子供ができたらあのようなバイオレンスなことをしてしまうかもしれない」って思うようになったよね、、。だってホントによく見るんだよ!!親が小さい自分の子を怒鳴りつけているの。絶対良くないに決まっているのに、やはり子を持つことでその人の何が変わっていってしまうということは、それまで善だと思っていた自分の考えがあるきっかけで悪になってしまうことと、もしかしたら似ている事なのかもしれないなあと思う。生まれたときは愛おしくてしょうがなかったのに、少しずつ感情が変化していって、気づいた時には「こんなはずじゃなかった」と思ってしまうことは誰にでもあるんだろうな〜と。

くに:そうだね。だから、インタビューで「絶対に自分は加担しない」と答えていた人こそ、その考え危険じゃない?と思うよね。常に自分もそうなってしまうかもしれないという自覚が、ある一線を越えない最後の砦になるかもしれないから。で、たけは映画についてはどういった感想??

たけ:結論から言うと、実はあまり良かったと思えなかったのです。。
色々あるんだけど、まず上映時間、長かった、、、。それに加えて、前半の下りで「それなくてもよくない??」っていうとこが多くて。柄本明が死ぬくだりとか、なくても話進むし、柄本明の亡骸に娘が寄り添う場面のあの行為はどういう意味なのかよくわからなかった。(あの所作の意味があるなら知っている人教えて欲しい。。)次に、最初述べたように、森監督の放つメッセージは「善と悪ははっきり分けられるものではない」ということなんだけど、終盤、朝鮮人と間違えられて殺されてしまう行商団の人達の中には、一部朝鮮人を差別している立場もいれば、永山瑛太演じる親方のように、差別をしていないという立場もいる。さらに、親方がこういったセリフを言う。「俺たちは、自分らより弱いものから金を儲けることでしか生きられんのじゃ」これ、道徳的に良くないセリフだよね、でも自分たちは被差別部落出身で、生きる方法はそれしかない。差別されている集団の中にも、差別的な目で他人を見ている人がいるという図式。だから、この集団の人たちにはグラデーションがあるんだよね。多分、人間ってそういったアンビバレントな存在なずなんだけど、一方福田村の自警団、それから女性新聞記者の上司(ピエール瀧)は、最初から悪な存在として登場して見えてしまっていて、善が時として悪となりうるだったり、はっきりと分けられるものではない、というとても重要である視座をもってして映画に登場していないんだよね、、。少なくとも俺はそう見えちゃった。だから、「あ、この悪そうな人達が差別したり、その果てに虐殺したりするんだろうな〜」っていうように、最初の段階でそう見えちゃって。あれ?なんか大事なものが丸ごとなくなっちゃってない??って思ってしまいました。。自警団の人たちでさえ、もっとグラデーションがあるはずなんじゃないかなあと思った。さらにいうと、周りに流されて自分の考えを曲げてしまう弱さ、というのは日常誰にでもありうることなんだと思うんだけど、それが本当にこの事件を引き起こしてしまった人間の善悪の葛藤と違うんじゃないかな?と思ったりもして、、、といったところですかねえ。

くに:人の心の中には善と悪が共存しているけど、大半の人は理性があって、時折悪が顔を出しそうになるものの善が押さえつけてくれるっていうことで人は人を傷つけずに済んで、社会はなんとか成り立っている。じゃあ、善が悪を押さえつけてくれていられるこの心を支えているものって何なんだろう?って考えた時に、この映画はそれに対する答えを出してくれていたと思う??

たけ:くにちゃんまさにそれなんです。多分俺もそこを期待していたんだと思う。でも、結局何かわからないまま映画が終わってしまったように思う。
「わずか100年前に、こんな酷い事件が起こっていた、これを忘れてはならない」それは確かにそうなんだけど、俺たちが学ぶべきことって、そうならないように生きていくためにはどんな努力が必要なんだろう?っていうことだと思う。けど、この映画はそれについて描かれていたのか、あるいは何かヒントとなる描写があっただろうか、と思うとほぼ無かったように思う。さっき言ったように、多数派の勢いに流されて虐殺に加担してしまう、という描写が終盤あるけど、多数派に流されてしまうことって普段の生活でよくあることじゃないか?善と悪がひしめき合っている時、間違いを犯してしまう乗って本当にそれだけの理由なのか?って思ってしまったんですよね。自分たちを最終的にギリギリ善である存在として維持できている理由、その支えとなるものって他にあるはず、というような気がするんだよね。

くに:たけは、それは何だと思う?

たけ:ん〜難しいね。おそらく、歴史認識、記憶を大切にする、ということなんじゃないかなあ。過去に起こったことをしっかり記憶し、それがいかに間違っていたかを認識する。さらにいうと、人は記憶の生き物であると同時に忘れる生き物だからそれを繰り返し繰り返し記憶を呼び起こしていく努力をする、ということ。最近、公文書偽造とか廃棄とかニュースになっているけど、都合の悪いことは消し去ってしまおうっていう構えが、また同じ罪を犯してしまうことのきっかけじゃん。今この時代に生まれたんだから過去の戦争なんて関係ない、じゃなくて、自分らの意識次第でまた起こしてしまうかもしれないんだってどうして考えられないの?っていうことだと思います。だから、責任というと大袈裟かもしれないけど、昔の日本人がどんなことをしてきたか、ということを何も知らない、というのは実は危うくて、同じことを自分たちが起こしてしまわないようにするためにも、歴史は学ぶべき、なんじゃないかな。俺も勉強不足だから偉そうなこと言えないけど、この映画観てそう思いました。そう考えると、行き着く先は「教育」っていうことなのかもね、、。

くに:なるほどな〜。あたし、そこまで考えることができなかったな、、。

たけ:でも、福田村事件について知ることができただけでも凄い大きかったんじゃない?これを映画にできたっていうだけでもかなり奇跡的だと思うし、この映画に出演した俳優さんにはほんと拍手だよね!!

くに:かなり重たい映画だけど、もう一回観直してみたくなってきたな!いや〜お疲れ様でした!

たけ:ヘトヘトですな、、甘いもの食べましょうか、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?