見出し画像

Facebookで「お誕生日おめでとう!」というのに罪悪感がある。

今日も誰かの誕生日だ。
めでたい。本当にめでたい。

一方であまり人に言えなかったことがあって、それをそろそろ言おうと思う。言おうと思うんだ。。。

それは




Facebookで「お誕生日おめでとう!」っていうのにめっちゃ罪悪感がある!!


言ったった。ついに言ってやった。

まず第1にね、Facebookの友達が300人とかを超えたあたりから、誕生日にくるコメント、メッセージの量がちょっと今までの社会の想定していたものを超えてくる。
ましていわんや、スタートアップ界隈やシェアハウス界隈に一時期でもいた日には、この「友達」の数は1000人を優に超える。

このコメントに1つずつ返すことを考えると、

「僕のおめでとうに返事するの大変だろうな・・」

ってなる。


ついで第2にね、みんなから祝われるような人に限って、「おめでとう!」って一言に対しても一生懸命その人との思い出を振り返って、進捗や次の約束などを入れてくる。だからこそ、みんなから祝われる存在であるとも言えるんだけど。

この人は、自分が大勢に祝われていることと、祝ってくれている人にとってこの返信が1対1であることをしっかりと区別して理解できている。

そんな人に「おめでとう!」っていうことを考えると

僕から祝われるよりも、もっと大事な人から祝われたほうがいいよね、きっと・・・

って気分になる。


そして最後に、おめでとうは会ったときにさらっといいたい。

「おめでとう!」

「お、ありがとう!」

これだけの空気感が好きだ。
ここは完全に好みの問題だけどね。



そんなこんなで、Facebookで「お誕生日おめでとう」っていうのが苦手だ。

だから僕は

○○、久しぶり。元気にしてる?
○○と出会ったのは、社会人になって2年目の冬、まだまだお互い社会のことなんて全くわかってなかったのに、後輩もできたことから、「できる先輩」の振りを一生懸命してたね。でもたまに自分以上に見せることが苦しくて落ち込むこともあったけど、そんなときは○○と一緒に屋上でお酒を飲みながら他愛もない会話をすることで次の日もがんばれてた。あのときはちゃんと言えなかったけど、ほんとにありがとう。おかげで今仕事も楽しくなってきた。○○のおかげだと思ってます。
最近はお互い忙しくなってきて、前ほど頻繁に会えてはないけど、会ったらいつもの感じで他愛もない会話するんだろうね。そんな関係の○○がいてくれてよかったよ。あ、そうだそうだ、いい忘れてた。
お誕生日おめでとう!


・・・と、いいたい気持ちをぐっと抑えて、代わりに、誰かの「お誕生日おめでとう!」というコメントに「いいね!」だけして去っていきます。

この気持ちわかってくれる人いるかな?


おあとがよろしいようで。





twitterもフォローいただけると嬉しいです!

#エッセイ #生き方 #日記 #ブログ #ひとりごと #コラム

ここまで見てくださって...ありがとうございます!! 赤裸々な内容はメンバーシップ(100円/月)に書いてます。初月無料なので覗いてみてください。