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文章を書いててよかった。本当に良かった。

秋、いいですよね🍁

正直、この雰囲気だけであがる。結構いろんなこと許せる気さえする。そうあんなことでも...。


と、意味深に始めてみましたが、特に何があるわけでもなく。今日もまた狂ったようにnoteを書いています。みなさま、こんばんは。


「なんでそんな狂ったようにnote書くの?」と言われることも多いんですが、シンプルに答えると「楽しいから」です。

ただ、とはいっても、なにが?ってはなしではあるんですが、こればっかりは書くこと、文字を綴ること自体、としか言いようがなくて、今この瞬間タイピングしている一秒一秒がずーっと楽しいです。ある種、無心。僕にとっての瞑想はこれですね。なので全てが赦すならずっと書いてたいくらい。流石に飽きるかもだけど。


とはいえ、とはいえですよ?
現実的にいいことも多いことが、僕の「楽しい」を加速させてくれていて、それは意識してもいいかなって思います。


まず、僕の文章が多くの人の目に止まったのは、(mixiとかをのぞくと)これです。

辻村深月は天才だと思う。残念ながらね。

彼女は、彼女の中にある一つの世界を、いろんな切り口から僕たちに魅せてくれる。
とある作品の主人公が他の作品でのキーパーソンになっていたり、小さい小さい設定が別作品のメインテーマとなっていたりと、僕らを驚かせる。

感覚としては、
「仲良くしていた田舎の幼なじみに、大人になって偶然街なかで会った時の気持ち」
に近い。

今読むと何を書いているのがよくわかんないですが、当時辻村深月が好きすぎて、その世界のすばらしさを伝えるためだけに書ききったもの。これが、めちゃくちゃ読まれました。なんなら今でも毎日誰かに読まれてます。

この広い広いネットの世界で、誰かがずーーっと訪れてくれる場所を作ったのに感動したのを覚えています。



次に名前を出してから(山田邦明として書いてるとわかってから)は、こんなのが多く読まれました。

イメージとしては、その人がいると仕事が減っていくのが優秀な人で、いると増える人が凄い人。
たとえば、その人が仕事を休むと、なんかのんびりしてんなーって感じになると凄い人の可能性が高いです。
そこから凄い人はトラブルメーカーみたいに見られることも多く、若い時に評価されることが少ない。

「あいついると仕事増えるんだよね…」

というのは主に悪口で言われるのだが、実はこういう風に言われている人は、凄い人なのかもしれない。

当時スタートアップの人たちに、めちゃくちゃシェアされました。Facebookの投稿がこれで埋まるのは中々すごかったです(緊張もしました)。
これを見たってことで、違う会社の人が連絡くれて、友だちになったり、今でも仕事の相談できるようになった人などいて、ありがたいかぎりですよほんと。

普段から感じてたことを、マッピングしただけなんですが、これですごく多くの人に共感してもらったのは、良い体験でした。まだあんまりブログみたいなものを書く人がいなかったってのも大きいかもしれないですね。今同じ内容を書いてもバズらないような気がします。


そして、これ


「なぜあなたは退職しないのか?」
これに明確な答えがあるのなら退職する必要はないと思います。
だけど、もしその理由が

会社が好き

だったり、

一緒に働くメンバーが好き

っていうのだったらもう一回考えてもいいかもしれないですね。
だって、退職したからといって会社やメンバーと縁が切れるわけではないですよ?

めっっっっちゃくちゃ、読まれました。やばいっす。
退職ブログってのは、当時あんまりなかったのかな?注目されましたねー。ビビった。こんな感じになるの?みたいな。

このブログのおかげで、ぼくは「アカツキで働いていた人」から「アカツキを辞めた人」という謎のポジションに。

今でも「アカツキ」で検索すると割と上位に出るので、これ見てアカツキに入りました!って人がいることとかアカツキの友達から聞いて感動しております。今でもめっちゃ好きな会社だし。


そして極めつけがこれ

ただまあ、そろそろそれも卒業かなと思わなくもないです。
その先に何があるのかは今はまだはっきりしていないですが、こんな風に荷物を1つずつおろしていくことで見えてきたものもあるし、その状態で手に入れたモノたちは本当に大切なものばかりだということを確信しているので、ちょっとこのまま進んでみたいと思います。

その結果、本当に助けたかった人を助けられるかもしれない。

なんかそんなふうに思うんですよね。

そんな感じでおあとがよろしいようで。

いやー、叩かれましたね。結構。ネット怖いってなりましたw

「なれない人もいるのに、なったなら義務を果たすべきだ」

的論調で叩かれたのは衝撃でしたね。このときくらいから、世界の見え方みたいなものを意識するようになりました。きっとぼくが認識している世界と、他の人が認識している世界は全く違うんだろうなーと。脳科学とか心理学とを経て、仏教とか東洋哲学とか興味の分野になっていきました。

そして、意外にももういちど弁護士をすることにしました。


その頃からnoteに移行をしはじめ、noteでは割と実利的じゃないことというか、答えがないことみたいなのを書くことにしてました。

中でもよく読まれるのはこれですね

だけど、全部中途半端な僕が、ちょっと気になる「好き」なものを手当たり次第に手を出して味わっているのだって中々わるくない。

自分でなければできない使命を見つけてそれに殉じるのではなく、ちょっとした「好き」をすぐにやってみることができる状況で在り続ける。
それこそが「好きに生きてる」ってことだと今は思ってます。

当時の迷いがよくわかりますw
「好きに生きる」みたいなワードで検索したときに上位にでるのかな?たぶん。今でも毎日誰かに読んでもらえてて、とてもありがたいです。


あとは、これで地元に帰ろうかどうか悩んでる人から連絡くるようになったり


成功しなきゃ、成功しなきゃ!って苦しくなってる人からこれみて連絡もらったり


今の自分が選んで進んでる道が否定されたと感じた人からこれで、助かったといってもらったり


全部のnote読みました!って連絡もらったりw



こう改めてまとめてみると、僕は文章に生かされてますね。
これらがなかったとき、僕は特に個性のない、覚えてもらいにくい人だったと思います。そして、「やまださんは文章の人だから、会うと、ね...。」みたいなことを言われなくてもすんだんだと思いますw

書いててよかった。。


正直、誰から何の反応もなくても、書き続けることはできます。ある種そこに対する誇りみたいなのもあるような気がする。これ自体も、何の反応もないことを苦しいと思っていた時期があったからこそ気付けたことですね。

だけど、いや、だからこそ、「読めてよかったです!」と言ってもらえるだけで、ボーナス感がやばいです。えええええぇぇえええ、ありがとうございます!ってなります。これ、僕くらいでさえ思っているんで、文章を本職にしているような人たちもそう感じてるんじゃないですかね?
読者さんのちょっとした一言で、よりやる気になった、は普通にありそう。

スキ、だけでもそれはそう。


と、書いてしまうとスキ押さなきゃいけないようなプレッシャーが生まれてイヤなんですが、まぁ、なんていうの?まぁなに?そう感じてしまったなら、それを解消する意味でスキでも押して帰ってもらっても、僕としては一向に困らないというか?なんというかそういう気持ちはあるというか?



...w
今日もこの文章を書いて、誰かとちょっとでも仲良くなれたんならこんなに嬉しいことはないですね。文章を書いててよかった。本当に良かった。
おあとがよろしいようで。






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