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「遅い日記」

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夜20時に公開されるエッセイ集。 速すぎる世界とは違う時間軸。 とても遅い文章。
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世界が速すぎる。だから「遅い日記」始めます。

毎日いろんな事が起こります。それら日々の変化についていかないといけない気がしてちょっとだけ焦る。 もちろん、その変化はとってもおもしろいものです。今世界は、今まで体験したことのないような事態が日々起こっているように感じます。もしかしたら、僕が気がついてなかっただけで、もともと世界ってそうだったのかもしれません。 ── 僕自身、速い世界、日々の変化とても好きで、ノリにノってます。今だとWeb3やNFTあたりはもともとの興味と相まってかなりハマっております。 僕の今のtwi

散らばりまくった行動を「1人でやる」というオリジナリティ。

中高生とムキになって対話するのは超楽しい。スタートアップ起業家と未来の話をするのはワクワクするし、真摯に創作に取り組むクリエイターの張り詰めた空気はとても好み。 我ながら一貫性ないとは思うけど、「色々やってます」っていう人と一緒にされたくない気持ちはあるし、「職業は自分自身」というほど働くことに思い入れはない。 そんな僕の1番困る質問は である。 んなもんない。 興味関心の赴くままふらっと軽やかに動くと、どうしても一貫しない。そりゃそうだ。 というかそもそも人間が複

ぼくたちは苦手な会話を避けるために会話しなければならない。

こういうイベントをやったりするせいで、人に会うのが好きな人だと思われるのですが、うん、嫌いじゃないけど、、。 という感じです。 いや、ごめん!嘘だ。きらい、というか苦手、ですね。それこそ上記のイベント開催からかれこれ2週間。いまだ疲れが抜けない。 なんというか、少人数で、自分の全てを曝け出しても受け止め、それ以上の力で返し合う場はすごく好きなんです。 最近だとキレッキレの中学3年生の子とよく話すんですが、彼が前提としている世界観を一つメタって切り替えしてそれを受け止めて

おもしろくない奴はしょぼい。という世界観で生きてきた。

頭の中がわーわーとうるさいのでサウナに行った。ただ、決して誤解してほしくないのは僕はそんなにサウナが好きってわけではない。 というか、「サウナ好き」を公言したとたん、サウナ好きコミュニティに入れられる感じがしてとても苦手。ひとりにさせてくれ。 とはいっても、ホテルにサウナがあったら嬉しくなるくらいは嫌いではないので、よく利用している。 岡山駅前にも1つサウナがあって、フットサルの後や何かしら煮詰まった時によく逃げてくる。今日はそこに入った。 最近来れてなかったし、やっぱ

お金も、名声も、モテも、夢も、幸せとは無関係だった。

お金持ちになった友達が沢山いる。 お金持ちになってない友達も沢山いる。 幸せそうなのはどちらも半々だ。 有名になった友達も、異性にモテまくる友達も、夢を叶えた友達も、幸せな人は常に半々だった。どうやら、お金も、名声も、成功も幸せとは無関係みたいだ。 ただなぜかずっと幸せそうな友だちがいる。何がそんなに楽しいの?と長年不思議だった。最近それがわかってきた。 彼女は表現をしていた。 それは音楽だったり絵だったり。場合によっては会社だったりサービスだったりイベントだったり。そ

春は出会いの季節。なんて嘘だ。

春は別れの季節。 SNSに投稿される新生活の話、転職先の話、新天地の話。それらはみんなキラキラした出会いを謳う。だけど、その反対には地元に残してきた彼氏や一緒に働いてた同僚が残っている。そして、この「別れ」は意識されない。新しく出会っているからだ。僕たちの脳は刺激に敏感で、古くなってしまったものは記憶に上らない。 思い出すのは残っている側だけ。 別れはいつも一方通行。 だけど、そんなに悲観していない。 家入一真さんの「すべての別れは一時的なもの」にあるように、僕たちは本

親同士がダブル不倫してる子どもたちは、嫌いあうしかないよね、みたいな話。

こっそりとまたエッセイ始めます。 というのも、なんかこう「生産性!」みたいなのを意識しすぎると本当バランス崩れるんですよ。みなさんは大丈夫なもんですか? スマホでぽちぽち打つので、あまり長くなくて500〜800字くらいでぐだぐだ終わります。読まれることを意識してないのに、つい公開してしまうこの現象にそろそろ名前をつけたいですね。 さて、きょうのミーティング。ちょっとおもしろかったのでシェアです。 あまり仲良くない人とのミーティングだったんですが、それはお互いの人格がどう

伝わらなかったモノたちの死骸

伝えたいことが伝わらない。 思い返せば6歳の頃。 たまたま1人で留守番してた。そのときクリーニング屋のお兄さんが洗った父のスーツを届けてくれた。ぼくは「少し待てば大人が帰ってくるよ」「その間は楽しませるよ」という趣旨のことを拙い言葉で伝え、幼稚園であったこと、最近発見したこと、珍しい虫の話をずっと話し続けた。 母が帰ってきて、ホッとしつつ、何か言い放ちながら去っていくお兄さんが見えなくなるまでずっと手を振っていた。 「あの人の言った『小生意気』ってどういう意味?」 そ

努力したら報われるわけではない。成功している人が全員努力しているわけでもない。

努力と成功は無関係。 これが結論。 だけどなかなかそう思えなかった。 だって周りの「成功者」すごいから。 孤独を抱えながら挑戦し、今のままの自分ではどうにもならない壁を変容することで乗り越え、半身をもがれる別れを享受する。 その結果として、会社を上場させたり、世界的に認知される創作をしたり、とにかくかこいい。あこがれる。 はたからみて、「努力」してる。 だからこそ報われてる。 これは「努力」する励みになった。 一方で呪いにもなった。 月日が経ち、 「努力すれば

何かしたいんですよね。

「何かしたいんですよね」 彼はよくそう言う。 Web3,NFT,DXなど、よく調べては 「これ僕も思いついてたんですよ!」 嬉しそうにそう教えてくれる。 「やってみたら?」 お節介にもそう言ってみた。 「いやいや、まだ自分の人生かけるもの見つかってないんですよ」 彼はそう言った。 正直な気持ちなんだろう。 「見つかるといいね」 本心からそう伝えた。 彼は今も 「何かしたいんですよね」 いつもそう言ってる。

「役に立つ」は疲れる。

最近息子の成長著しくて、なんとかこれを僕の脳みそに残し続けることはできないかと試行錯誤の末、10年日記を書き始めたやまだです。みなさんどうもこんばんは(毎日寝る前に書いてて楽しいです)。 さて、「役に立つ」ということばかりやり続けると体調崩すという話をしたいと思います。もうこの一文で終わりです。あとは蛇足です。 僕は属性の1つとして「弁護士」というものがあるので、法律のこと教えて!契約で困ってる!登壇して!みたいな話をいただくことも多いです(ありがたいかぎりです)。 ま

かんたんに「やりたいな」って気持ちが殺されちゃう今の時代

小学生から40代までが集まったフットサル。かれこれ2年ほど週一で続けてる。 このペースでもちょっとだけ上達を感じるので、人間の体と脳はすごいんだろうなぁなどと思いつつ、中高生にいいようにやられて悔しさもある。もっとうまくなりたい! ── 「あ、これやってみたい」 と思ったとき、どうせやるなら上手くやろうとちょっと調べる。 そうすると自分よりだいぶ先を進んでる人の親切丁寧なアドバイスがあり、「正しい」やり方が見つかる。それに乗っかると確かにうまくいくんだけど、どことな

ひとを歯車としてあつかう。

歴史的な漫画と映画が同時に公開され心のバランスがとれない。そんな中でも日々は動く。 ぼくたちは朝ごはんを食べるし、電車にも乗る。昼ごはんも食べるし、仕事もする。夕ご飯を食べたあと、お風呂に入って、寝ることさえする。日常が日常として当たり前に迫り来る。 漫画と映画で現実世界がとても非現実的だ。 なんとかピントを合わせないと生活がとても苦しくなる。 そんな喜びを送る日々。 ── ぼくたちは、自分たちを「人」として扱われてないと知ったとき、とても傷つき、憤る。 <道具扱

いつから走る側をやめたんだろう。

世の中の仕組みがわかってきて あれをすればこうなる やらないとこんなデメリットがある そんな風に自分の行動を決めて、うまく、そつなく生きることばかり上手になる。 人の行動を見てもそうだ。 あーあ、損するよ? そうそうそっちが正解だよ? そんな目線で誰かの一つ一つの行動を評価して、ぼくがもってる正解不正解の檻の中に閉じ込める。彼ら彼女らがどれだけの覚悟と、どれだけの勇気でその一歩を踏み出したかも勘案することなく。 理解あるふりをする大人を意識から追い出し、檻なんて初めか