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散歩
夫婦で散歩していた。季節は初夏、穏やかな晴天で、散歩をするには最適な日和だった。
僕はもう60歳を越えているが、妻はいくつだったっけ?忘れてしまった。多分、僕より2~3歳年下だったと思うが、はっきりしない。子どもができなかったからだろうか? 妻は今でも若々しい。
「疲れたか?」妻は歩くのが遅く、遅れないように、たまに僕の後から小走りで着いてくる。その姿が昔から可愛らしくて好きだ。
妻は「大丈夫よ、あなたは大丈夫?」と言って微笑んだ。
「うん」と答えながら(妻とはいつまで一緒に生きられるんだろう?)と考えた。自分も妻も、いずれ死んでしまう。(一人になったらどうしよう?)などと縁起でもないことを考える自分がイヤになる。
「もうそろそろだな…」
「何が?」
「あ、駅前の喫茶店でコーヒーでも飲もうか?と思ってさ…」と誤魔化す。
「いいわね」妻がまた微笑んだ。
そのとき、町内放送が聞こえた。
「行方不明の方を探しています。年齢は64歳…服装は上下とも青のスポーツウェアを着ています…昨夜から自宅を出たまま帰宅されておりません…」
放送を聞いた妻が「また、行方不明だって。この間はお隣の佐藤さんの奥さんが隣町まで歩いて行ったでしょ?」
「そうだっけ?」
「あなたも気をつけてね」と言って笑った。
「バカ言うな、俺はまだ記憶力はしっかりしているぞ」
「それじゃあ、昨夜は何を食べたか覚えてる?」
「そりゃ覚えてるさ、ええっと…」
「ほら、ダメじゃない。うふふふふ」
すると後ろから女性と男性のふたり連れが声をかけてきた。(ん、どこかで見たことがある顔だな)と思った。
「あの…佐藤克之さんですか?」
「そうですが…」
「どうしたんですか?」妻が女性に向って聞くが返事がない。
「よかった…」女性と男性が顔を見合わせて喜んでいる。
「何がよかったんですか?」妻が二人に向って聞いた。ところがふたりは妻を無視して、僕の両脇に立って左右の腕を掴んだ。
「何をするんですか?」(誘拐されるのか?)恐怖で背筋が凍った。
「やめて下さい!警察を呼びますよ!」妻がふたりに向って叫ぶが、ふたりは無視している。
「あ、佐藤克之さんが見つかりました。はい、これから車でそちらに向います」いつの間にか男性が携帯電話を取りだしてどこかに電話している。
「俺は金がないぞ。誘拐しても無駄だ。腕を離せっ!やめろっ!」叫びながら必死でもがくが、男性も女性も力が強い。
「やめてっ!誰か、助けて下さい。夫が誘拐されちゃうわ。誰か、助けて!」妻が必死になって叫ぶ。
僕たちの騒ぎを聞きつけて、周りに人が集まってきた。(助かった…)と思った。人目があれば誘拐なんかできないだろう。
「佐藤さん、申し訳ありません。落ち着いて下さい」女性が言った。
「落ち着いていられるか。誘拐して身代金が出なかったら殺すのか?身代金なんて誰も出してくれないぞ」僕は、彼らの腕を振りはらって走った。しかし、(ダメだ、足が思うように動かない)足がもつれた。転倒した。妻が走り寄って「あなた、大丈夫?」と言った。
追いかけてきた男性が、驚くことに妻の身体をすり抜けて僕を抱き起こす。愛する妻は、追ってきた男性の勢いにかき消されてしまったのだ。
「妻を殺したな?人殺し!人殺し!」僕は泣きながら叫んだ。
「大丈夫ですから、安心して下さい。さあ、一緒に帰りましょう。あ、ほら娘さんが来ましたよ」
「出鱈目を言うな。俺には娘なんかいない」そこに中年の女性が走ってきた。
「おとうさん!」泣いている。
「誰だ、あんたは? こいつらの仲間だろう? 誰か、どなたか助けて下さい。さっき、妻が殺されるところを見たでしょう? わたしも誘拐されて殺されてしまうかもしれません。どうか、お願いします。助けて下さいっ」
これだけ助けを求めているのに誰ひとりとして助けてくれようとしない。中には「可哀想に…」と呟く女性もいる。
「私よ。おとうさん、祐子よ。もう…。皆さん、お騒がせして申し訳ありません」と言いながら周囲の人たちに頭を下げている。何だか気の毒な気がした。(もしかしたら、本当に僕の娘なのかもしれない)
「あ…」途端に力が抜けた。いつの間にか車の中に押し込まれていた。
「さあ、娘さんも一緒に乗って下さい」男性が運転席から僕の娘だという女性に声をかけた。女性は、集まった人々に「お騒がせして申し訳ありませんでした」と、頭を下げながら僕の隣に座った。
「じゃ、まず病院に向いましょう」
「はい」と娘が返事をすると車が動き出した。
「あなた!」妻の声がした。車のリアウインドウから外を見ると、妻が心配そうに僕を見ていた。
妻は、僕に向っていつまでも手を振っていた。
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