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母の誕生日に思う、母と娘の関係

今日は母の誕生日です。

81歳になった今も、とても元気で特に大きな病気もなく、
遠くに住んでいる娘としてはありがたい限りです。


3人兄弟の真ん中で育った私は、
親の目が一番行き届かない子供でした。
はっきり言って、ほったらかしにされていました。


父は自営業で家庭のことは母に任せっきりだったので、
母はワンオペで子供3人を育てたのです。

子育ての大変さを知った後は、
ほったらかしだったのも仕方がないなぁと思うけど、
子供の頃は、あまり愛されていないと感じていました。


兄弟ってはっきり言って、
親の愛情を奪い合うライバルですよね。

よく兄弟喧嘩していたのは、
親の愛情が足りてないよって嫉妬心からだったのかもしれません。


ほったらかされて、親の影響をあまり受けずに育ったので、
母にとって私は、何を考えてるのか理解できない子供でした。


あまり相談もせずに、自分で決めて事後報告。


大学でハンググライダー同好会に入会して空を飛んだり、
夏休み短期留学するってアメリカに行ったり、
卒業旅行でバックパッカーやるってヨーロッパに1ヶ月以上行ったり、
仕事を辞めてワーキングホリデーでNZへ1年間行たり、
年3回も海外旅行へ行ったり、
毎晩残業で帰りは夜中なのに、週末は山…

「そんなに遊んでばっかりでいつ結婚するの!」って言い続けてたら、
いきなりアメリカ人と結婚して上海に引越したり、
半年で上海から日本へ戻ってきたと思ったら、
今度はアメリカへ引越し。


自分で書いてて、
こんな娘の親なら心配でたまらないだろうなぁ
って思います。


母のすごいところは、反対はしなかったこと
心配するし、小言はめちゃくちゃ言ったけど、
ダメと言われたことはありませんでした。


大人になってから、妹と話して面白いことがわかりました。

子供の頃、
私は妹が親から愛されていて羨ましかった。
妹は私が親から信頼されてて羨ましかった。


そう。
私は親から愛されていなかったのではなくて、
信頼されていたってこと


私がこれだけ、
自由に自分らしく生きて来られたのは、
信じて見守っていてくれた親のおかげだと強く思います。


「信じて見守る」この子育てコーチングの考え方が広まれば、
愛情から過干渉しすぎて「毒親」と呼ばれる
悲しいことにはならないと思っています。

親子の間に愛はあるのに、愛が伝わらない
そんな悲しい親子を減らすべく、活動していきます!

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