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キャリア迷子 1

人生において定期的に訪れる、「キャリア迷子」の時間。
今までの自分を書き出しながら、自分でそれを眺めつつ、次の一手を考えてみようと思います。


第一の迷子時期:大学受験前

小学生の時から近所の英語教室に通っており、英語が大好きで大得意な科目。高校時代は塾に行かず通信教育(当時は郵送のみ)でしたが、解答用紙にいつも志望校を書く欄がありました。大学のことはあまりよく調べていなかったのですが、漠然と「東京外語大学 英語学科」的なことを書いていました。

しかしある時、「自分が大人になるころには、英語を話せるなんて当たり前で、全然価値にならないのでは。英語を使って何するかの方が大事かも?」と思い直しました。高校2年生の半ば、きっかけは覚えていないのですが急激に物理に目覚め、面白いほどわかるようになってから、環境問題にからめて何かできないかと、理科系に転向しました。

高校3年の選択科目だった物理の先生が最高に面白く、物理専攻の気持ちにますます拍車がかかりました。この世のなぜを解いてくれる学問に、わくわくしていました。

第二の迷子時期:就活

第一希望の国立大学には落ちたものの、東京理科大学理学部第一部物理学科という、由緒ある理論物理系の学科に入学することができ、親には学費と通学費で迷惑をかけましたが(横須賀から東京までの2時間通学)、いざ学び始めることになりました。

大学1年の、大講堂での最初の授業のことは、今でも映像ではっきり覚えています。300人くらい入りそうな奥行きのある大講堂で、真ん中あたりに座り、初の授業を待っていました。そこへ、おじいさま年齢の教授が入り、おもむろに授業を開始。ぼそぼそと話しながらチョークで板書しているのですが、文字が小さい&筆記体で全く読めず、声も半分ぐらいしか聞こえない。90分の授業で、「全くわからない・ノートも取れない」という衝撃体験でした。これが4年間続くの???と、お先真っ暗・・・・

他にも、さまざまな種類の数学の授業のオンパレード。楽しかったのは、実験と英語と独語の授業だったかな・・・
高校から大学になると、
 化学は物理に
 物理は数学に
 数学は哲学になる
と言われていたのですが、まさにその通り。

これはまずい。
1年、2年は、友達のノートを借りてテストをなんとか乗り越えて進級し、3年生になったとき。物理学科のメインイベント「相対性理論」の授業が始まったのですが、公式の中に「i(虚数、-1の√  )ができてきたときに、完全にこりゃだめだ。と思ってしまいました。本当にもったいないことをしましたが、古典物理に興味は持てても、量子力学には関心が持てなかったのです。

3年の後半で就活が始まる時期になって、困りました。物理の研究を極めるとか大学院なんてもっての他で、お金もないので留学も無理、家業もないので、自ずと就職を選ぶことになります。
当時はインターネットが普及してませんので、自宅に分厚い辞書のような会社総覧みたいなのが送られてきて、後ろについているハガキで会社にエントリーする仕組み。この会社一覧を最初から最後までパラパラめくって数百社の説明を見た後、端にも棒にもひっかからず、ここでまた愕然。「興味が持てる会社が、1つもない。自分はこれから何をしたいんだろう。」虚無感にさいなまれました。

このあと死ぬほど色々悩んだり情報収集したり色々した結果(割愛)、今でも毎年発行されている、杉村太郎さんの「絶対内定」シリーズを読んで死ぬほど自分と向き合い、「何かアイディアを考え、具現化し、それによって変革した社会の中で、誰かが喜んでいる姿が見たい」という、自分軸、コンピテンシーみたいなものが持てるようになりました。これは今でも変わりません。この時に、苦しみながらも悩んでおいてよかったとづくづく思います。

第三の迷子時期:初めての転職

自分軸は見つかったのですが、バブル崩壊直後の就職氷河期、初年度。昨年までOB訪問できた会社に断られ、一般募集枠も企業の推薦枠も大幅に減り、つらい就職活動が続きました。

なんとか内定をいただいたのは、今はもう存在しない会社ですが、主に原子力発電に関する情報収集・調査を行なって、行政や電力会社などに報告書を収める、専門コンサルタント会社。米国の英語資料が情報源であることも多いので、「英語」x「物理」で強みが活かせそうだということで入りました。

ところが、物理はろくに勉強していなかったし、どちらかというと工学系の知識がないとできない仕事。背景知識がないので英語を読んでもよくわからない。頑張って作成した翻訳資料・まとめ資料は、上司のほぼ全面的に赤入れされ、愛のある赤入れだったはずなのですが、当時は毎日全面否定されているような気持ちで落ち込みました。キャリアプランも描けず、社会人人生のつらいスタートでした。メンタル寸前だったかも。ノートに苦しい思いを
書き殴って、頭の整理をしようとしていました。

入社2年近くなったころに、ふと『ゴールが見えてないのはつらいんだけど、それ以上に、仕事内容・プロセスが、全然楽しくない』と、はたと思ってしまい。またしても、「やりたいことは、なんだっけ?」と考え直すことになりました。当時は、実家を飛び出すようにして一人暮らしを始めていたので、一人で悶々と悩んでいました。

考えているだけじゃ分からない。動いてみよう。

英語熱を思い出して、通信教育で翻訳を勉強したり、通訳のトライアルコースに行ったりしていました。そこで分かったことは、英語はあくまで媒体で、それを使って何を伝えるか、専門知識が必要だということ。文芸翻訳、医療翻訳、技術翻訳、といった世界で活躍している方の事例を知って、「自分にはバックグラウンドが一切ない。英語も大したことない。得意分野を育てて、出直そう」と思いました。

初めての会社をやめて転職するときに選んだのは、バブル後にメジャーになってきた派遣での働き方でした。最初の会社で、部のIT担当みたいなことをしていたので、企業の社内ヘルプデスクの仕事を、いい時給でできることになったためです。派遣で働きながらもう少し翻訳の通信教育を続けて、次のキャリアを考えようと思ったのです。

つづく


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