見出し画像

ある賢人投資家と、彼に教えを乞うた凡人のお話。

ある会社に、実績もあり人格的にも優れた投資家がいた。ここでは彼を賢人と呼ぼう。

ある時、ある同僚がこの賢人に投資について教えを請うた。彼のことはここでは、凡人と呼ぼうか。彼は学校で思想を学んだ、非常に真面目で勤勉・優秀な人物であった。賢人は彼に、実に気さく・懇切丁寧に投資の極意を教えた。どういう気持ちで相場に向き合うのかというような、主に心構えに関する話であった。すべてが正論で、頷かされる内容であった。凡人は礼を尽くして賢人に感謝の意を述べた。賢人は「勤勉な彼ならば、ひょっとしたらモノになるかもしれない」と、嬉しそうに期待を口にした。

その後、賢人が凡人の投資の様子をきくと、凡人は負けに負けを重ねていた。賢人は困惑した。「なぜそこで買いそこで売ったのか、サッパリわからない。全部セオリーの逆をやっている」。賢人はさらに凡人に状況を確認し、損切り・明確な判断基準の大切さなどをさらに教えた。凡人はまたすべてを同意し、感謝の意を述べた。しかしその後も結果は芳しくなかった。

賢人が親切に教え、凡人は頭で理解し感謝を口にするが、行動に表れず負け続ける、これが繰り返された。凡人は最終的に資産を大きく減らし、投資から足を洗った。賢人は非常に残念そうにそれを見ていた。

その後会社で組織変更があった。賢人は上層部と交渉し、自分の望む地位(出世というわけではない)を手に入れた。組織変更に特に異を唱えていなかった凡人は、それを見て不服を唱え、賢人と同じ処遇をしてほしいと会社に訴えた。会社は受け入れなかった。凡人は「なぜあいつを贔屓するんだ!」と会社を去った。

これは私の身の周りで実際にあった出来事である(念のため言っておくが、私は当事者ではなく、賢人でも凡人でもない)。間接的に話を統合したところもあり実際とは異なる部分もあるかもしれないが、概ねはこの通りである。

この二人の人物のストーリーは非常に示唆に富んでいる。勤勉で優秀でも、頭でっかちになって実行に移せないことがあること。理解・納得と実行には大きな隔たりがあること。礼を尽くすことと真に感謝することは異なること。素晴らしい師が親切に指導しても、生徒に未熟さがあると正しく学べないことがあること。おそらく、人格的な成熟度と投資の技術には一定の関連があること。まだまだ言語化できない含蓄がある。なんとなく、凡人が「教えていただいて本当にありがとう。こんな機会があって僕は幸いだ。会社に雇ってもらっている状態で投資も学べるなんて、ありがたい。会社にも、賢人にも心から感謝している」と思っていれば、投資の結果は違ったのではないか。そんな気がする。

時折思い出して、自戒の糧にしたいエピソードである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?