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見ず知らずの人に脊髄反射で親切にされた私が学んだこと

また神様みたいな人に助けられた。

愛知の実家に帰省し、そろそろ自宅に帰ろうと父に駅まで送ってもらった。のんびりと家を出たために駅到着時間が発車時刻ギリギリすぎた。

ホームの一階下にある改札口を通過した時点で、既にプルルルルルと発車音が聞こえてきた。

一週間分の荷物に加えて、父お手製の干し柿を詰めたキャリーケースは体感値で10kgくらいある。本来ならホームまでエレベーターに乗りたいけれど、エレベーターが来るのを待ってる暇はない。田舎なので次の電車は18分後。できることならこれに乗りたい。

私は「あぁぁ、待って!待って〜」と運転手に届くはずもない独り言を言いながら、キャリーケースを片手で持ち上げ、降りてくる人達に逆行してわしわしと階段を駆け上がった。

ああでも無理だ、ギリ間に合わない。

そう思いながらも走りつづける私の10段くらい上で、いま到着した電車から降りてきた若い男性が、ちょっと迷いながらもとっさに階段を引き返していくのが目の端に見えた。え、この人もしかして?

プルルルルルルルルルルル。

もう今にも扉が閉まると思われたその瞬間、彼は電車に足を一歩踏み入れた。

ゼエゼエと階段を駆け上がってきた私の目の前には、暗いホームで煌々と光を放ちながら大きく扉を開いた電車が停まっていた。私だけを待って。

その彼は、私がキャリーケースと共に無事に乗り込んだのを見届けて、スッと足を引いた。

車内から振り返り「ありがとうございます!」と頭を下げる私の声が全部車外に出るか出ないかのうちに、シューーッと扉は閉まった。

駅のホームでこんなに感動したのは久しぶりだった。



この場合、間に合わなかったのは完全に時間の読みが甘かった私の落ち度だ。「自己責任」という言葉で見捨てたっていい。それを誰も冷たいとは言わないし、どうせ18分後には次の電車が来る。

でもこの人は、私のことを他人事として切り離さなかった。大袈裟な言い方かもしれないけれど、彼は、見ず知らずの私の痛みのようなものを、分かち合ってくれたのだ。

人はこんなにもあたたかくなれるのか。

自分は、目の前の人が落としたものを拾ってあげたり、お年寄りに席を譲ることはあったけれど、誰かのために走ったことはあったかな…

今思えば彼が一瞬迷ったのは、階段を降りて荷物を持ってあげるか、階段を戻って自分が電車を止めるほうが早いか、ということだったんだと思う。本当にコンマ一秒の出来事だ。

昔どこかで聞いた「人類みな兄弟」という言葉を思い出す。私も、あの人のようなあたたかな人でありたい。

すごく、いい夜だった。

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