第44話 ただ愛されたい。

人を愛するとはどういうことだろう。
人はなぜ愛されたいと願うのだろう。

ただ愛されたいという願いを叶えるのは、どうしてこんなにも難しいのだろう。


友人の話を聞いていた。

「ただ愛されたいだけなのに。」彼女の言葉が頭から離れない。

友人の彼の話は前にも聞いたことがあった。その時の彼女は、とても幸せそうに見えた。でも、そう見えていただけだった。

苦しい思いを抱えていたことに、私は気付かなかった。彼女自身も、見ないふりをしていたのかもしれない。電話口で泣いている彼女に、何も言えない自分がいた。

どうして、会いに行こうか?と言わなかったんだろう。後悔した。もし目の前に彼女が居れば、背中をさすってあげられたし、抱きしめることもできた。

話を聞くことの重要性は知っている。彼女は一緒に心理学を学んだ友人だから、頭ではどう考えていけばいいのか分かっているはずだ。それでも苦しくて、私に話してくれた。

彼女と私の境遇は似ている。1人で子供を育てるという事が、どれだけ不安なのかもよく分かる。誰かに頼りたいという気持ちも、寂しいと思ってしまう気持ちも分かりすぎるほど分かる。

愛されたいのだ。その気持ちを否定することは、私には出来ない。相手がどんな人であったとしても。

彼女の気持ちが分かるからこそ、別れたほうがいいよとは言えなかった。それは、彼女が決める事だから。ただ、自分を大切にしてね。それだけ言って電話を切った。

苦しいなあ。と思った。

愛ってなんなんだろう。この歳になっても、よく分からない。見返りを求めないのが愛なら、愛されたいという想いは愛ではないのかもしれない。

ただ楽しくて幸せな恋愛の話を聞くことは、ずいぶん少なくなった気がする。大人になればなるほど、純粋に人を想うことは難しいのかもしれない。

誰かを愛したい。愛されたい。必要とされたい。それはきっと誰にでもある素直な思いなのに。


まっすぐで居たいと思う。

愛する人にも、自分にも。たとえ愛してもらえなくても、想っていたいと思う。それで苦しくても、寂しくても。

無償の愛なんて、自分の子供以外には無理だ。

それでも自分の気持ちを大切にすることが、自分自身を大切にするという事だと思うし、そんな自分なら好きでいられると思う。

日々、心は変化していて、まっすぐで居られるときも居られないときもある。相手の反応が気になって怖くなるし、逃げ出したくなる。

でも自分にだけは嘘はつきたくない。もう自分のことを嫌いになりたくない。不器用でストレートしか投げられなくて情けなくなるけど、そんなふうにしか振舞えないから仕方ない。


それでもやっぱり、愛されたいと思ってしまうんだろうな。それが人間だし、私だ。

まずは、自分を愛そう。今、思いつくのはそれしかない。いつも1番近くに居てくれて、けっして裏切らない自分。

ありがとう愛する自分。

ありがとう大切な人。

ありがとう。


お読み頂きありがとうございます。

たくさんの人が幸せな時間を過ごせますように。



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