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第68話 明日を夢見て眠ろう。

こんばんは。

なんだか、不思議なところが痛い、くみみです。
これは、筋肉痛なのでしょうか。
私は一体、どんな動きをしたのでしょうか。
謎は深まります。

最近、ぼんやり化が、猛スピードで進んでいます。
今朝はファンデーションを塗ったあとに、無意識にクリームを塗っていました。
スゴロクかと思いました。
強制的に2つ戻るになっていました。
驚きです。

これは、春のせいなのでしょうか。
花粉症のせいなのでしょうか。
それとも、おっちょこちょいな母からの遺伝なのでしょうか。。。


私の母は、せっかちのおっちょこちょいです。
包丁でめちゃくちゃ手を切ります。
だから私は、主婦はしょっちゅう手を切るものだと思っていました。
自分が主婦になるまで。
私は切りません。全く切りません。

そして実家の包丁は、恐ろしいほどに研がれています。
切れない事が、許せないらしいのです。
果物ナイフに至っては、もうすぐアイスピックになりそうな勢いで尖っています。
子供のイノシシくらいなら、一発で仕留められそうです。

ちなみに母は、畑にやって来たイノシシを、追いかけて追い払った。という武勇伝をもっています。


そもそも母には、客観的に物事を見るという機能が備わっていません。
冷静とか、客観的とか、何だそれ?という人です。
いつも焦っています。

心配性で、すぐ「やれ、困った」と言います。
しばらく実家に居ると、子供達に母の口調がうつります。
かわいそうを「おやげない」と言います。

そんな母から、なぜ私のようなのんびりが生まれたのかは、謎でしかありません。
ちなみに私は、人生で一度も「せっかち」と言われた事がありません。
走りません。なんなら、動きません。動きたくありません笑


☆☆☆☆☆

父が亡くなったとき、「1人にしないで」と泣いている母をみて、少しだけ羨ましいなと思った。
私にはこうやって見送ってあげる人も、見送ってくれる人も居ないんだなと思った。1人ってそういう事なんだなと。

当たり前の日常が、これからも続くという保障はどこにもない。

良くも悪くも、先のことは分からない。

父が亡くなってから父の部屋に入ると、まるでついさっきまで父が居たかのようだった。細かいことが好きだった父の、作りかけのプラモデル。道具もテーブルに出したまま。
母と自分のために付けたばかりの廊下の手すり。

入院前の父は、まさかもう自分の家に帰ってこれないなんて、夢にも思わなかっただろう。
そして、母も。


だから、一生懸命に生きようとか、頑張って生きようとか思わないし、言うつもりもない。
ただ、死は誰にでも平等にやってくる。
私にも、子供達にも、みんなにも。
年齢も何も関係なく、ある日突然に。


今を生きようと思う。
過ぎてしまった過去でもなく
来るかどうか分からない未来でもなく
今を生きようと思う。

眠いけど、もう少し子供達と話していよう。
好きな人に、好きだと言おう。
今の場所で、少しでも楽しい事を見つけよう。

来るかどうか分からない明日を、夢見て眠ろう。
朝になったら、新しい今日を迎えられたことに感謝しよう。
天気がよかったら、洗濯をしよう。
部屋を掃除しよう。

大切な人とたくさん話をしよう。
会いたい人に、会いにいこう。
子供達の顔をたくさん見ていよう。

繰り返される当たり前ではない毎日を、ただのんびり、優しい気持ちで過ごしていきたい。
そうやって、生きていきたいなと今は思う。





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