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子供が感ずる世界

連休に入りました。

とは言うものの、
世の中は混沌としています。

そんな中、
私のレッスン室では
いつもと変わらず
生徒との音楽の時間が
繰り広げられています。

小学生低学年が
今年は何人か通ってくれています。

このみんなが
すごいのです。

みな、自分をしっかり持っています。

これが好きだ
これをしたい

これはいやだ

あれは楽しくない

など、、

それまでも、そんな光景はありましたが
今年の低学年は、
自分の内から出てくることを
真っ直ぐに私につたえます。

そんなとき、
私はずっと

うん、うん、

と聞いています。

そして、何か衝動的にしたくなり
その行動に没頭しているときも、

私は、
ずっとそれを見守っています。

いろいろ先導することも
出来るとおもうのですが、

それは私の思考です。

それは彼らには必要ないものなのです。

彼らの内なるところより
わき出るものを
素直にあらわす。

それこそが「その人たること」
かと思います。


音楽を教える
ということは。

教える、

ということは、

もしかしたら
余計なことかも知れません。

私がレッスンにて
何かをするとすれば、
まずは、彼らのすることを
すべて受け入れること。

そして、
彼らがしたいことに対し、
何かが足りない、
何かが欲しい、とシグナルを発したとき

いくつかの提示ができること。

そして、
私の思考からなる「完成形」を
彼らにもとめないこと。

なぜなら
彼らは私の所有物ではないから。

みな、明らかに見えるものを外に求め、
そこに共感し、
安心し、
それが自分の気持ちなのだと思うけれど、

本当の根っこの自分は
そうなのでしょうか。

子供たちを見ていると、
そんな意見だれも求めていない。

自分が欲するものを、
そのまま欲している。

大人である私とは
幸せの定義すらも違う気がします。

音楽のレッスンを通じ、
たぶん多くの親御さんは
「上手でなくてもいいから
楽しんで弾けるようになってほしい」
と思われていると思います。

その、
「楽しい」とはなんでしょう。

弾けるようになるから楽しいんでしょ?
という人は多い。
親御さんもたぶん、
そう思われているでしょう。

けれど、
子供はまた違うのです。

もちろん、弾けると楽しいけれど、
それ以外にも楽しみを見つけているのです。

大人の考える以上に、
よく物事をみて、
よく感じ、
まっすぐにキャッチしているのです。

毎回
キラキラする音を求めて、
いろんな音色のボタンを
隅からすべて押して、
いろいろ聴きくらべ
うっとりしている様子

和音を左手で弾くという概念ではなく
両手で交互に弾き
音楽のゆれを大きく感ずる様子

いろんな指でひいて
指のそれぞれの動きを
体感する様子

、、、
、、、

すべて、
突然彼らがレッスンの中で繰り広げたこと。

横で見ていて、
私が幸せでした。

さまざまな発見が
このレッスン室にあふれでる。
その中に私がいることに。

こどもは、
人それぞれのタイミングで、
ふと気づき、
自分の選んだ道のなかで
様々なことを学んでいきます。

なので、
道を否定したくないなぁと
思うのです。

でも、
いまの世の中は
まだそれが難しい環境にあります。

音楽教育の場は
まだまだ課題がたくさんあると
私は思っています。

kumi_kie

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