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『小さなチーム、大きな仕事』を読んで

IT関係の人なら100%知っている、RubyonRailsという、有名なシステム開発方法の一つを作った企業の話。全世界に散らばった10数人の社員で今も運営されているらしい。まずそれに驚き。

仕事に対する考え方(哲学)をまとめた本、という感じだった。


内容をまとめてしまうと、要は、

・今すぐ始めよう

・小さく、有りものから始めよう

・自分のサービスにこだわり、ユニークさを保とう

・無駄を排除しよう

・利便性にだけ特化しよう(他のすべてを捨てよう)

というような感じだった。

特段、印象に残った部分を引用したツイートを以下に並べてみる。

観客を作る

SNS全盛期の今、「観客を作る」という視点はとても有用だと思った。何千万とお金をかけなくても、SNSの力で一気に10万人、100万人に告知ができる状況で、これを使わないのはコスパが悪すぎる、という話。

その中で、「観客」になってくれる人に注目しよう、という視点がなかったので勉強になった。そこから、自分のSNSのあり方も変わってきそう。いかに有用な発信をして、定期的に観戦してくれる人を作るか。


生産性

単に、時間を短くしよう、効率化しよう、ということではなくて、

極限まで生産性にこだわり、価値を生み出せているか、そうでないかと見た時に、長時間労働も、ワーカーホリックも、『価値を生み出すのに邪魔』というスタンスなんだ、と理解した。

効率化や時短に関しては「楽したいだけなんじゃないの?」と取られることが多いのだけれど、今後はそうではなくて、「それ本当に必要なの?(つかで時間を割いてまでやるべきことなの?)」ということを問いながら、価値を生む時間なのか、そうでないのかを問いかけていきたいと思う。

例えば、塾で言えば、授業の準備に1日最低1hはかかるとする。普段は生徒が来る前の時間でできるとして、講習の時は始業後30分で開校なので、残業せざるえないとする。

そうすると、「準備のやり方を変えて30分以内にできないか」という話になるが、それは「手抜き」とされてきた。(これまでは。最近は違う。ただ当時は逆に変えないのも手抜きじゃん、とも思ってきた。)

じゃあ「講習の時間を30分ないし1h短くしてまで、この準備の時間は確保するべきなのか?」という問いを立てたら、多くの人が「ノー」というだろうと思う。

結局、この章に出てきた「解決策を、時間を投入する以外に見出せないか」という視点が必要だと感じた。


身軽さと厳密性

最近これをすごく思う。どこまでを想定して、どこからは置いておけばいいのか。

先日教室の耐震工事をしたけれど、それを機に「したほうがいいこと」と「しなければならないこと」の違いを考えた。

命に関わる部分は最優先、というのは間違いない。

一方で、それ以外の多くのことは、想定することも、防ぐことも難しい。最善を記していることは大事だけれど、今の世の中、悪意ある攻撃を未然に防げるほど、シンプルな話じゃない。

裁量いえば、同様に別の章で以下のような記述があった。

出費に関しては、それぞれの裁量があるし、経営の話だから厳密さはあっていいと思う。

ただ、そんなアホな投資をするようなメンバーじゃないと信頼したり、逆にアホなお金の使い方、「経費」というものに対する間違った認識を正していく、という方法もあるのではないかと思う。

放っておけば湯水のように使うという状況はよくないとは思うが、それを防ぐ方法が、全部確認をするということだけでいいのだろうか、という思いはある。

許可制にすることで、トラブルは防ぐことができても、有効な投資を提案してくれる部下が育つようには思えない。


信頼について

職場で抱える課題や不満って、ほとんどすべて「コミュニケーション不足」に収束しがちだと思うのだけれど、あれは不足している原因を属人的な部分に持って行ってしまうと、結局上司との相性が合うとか合わないとか、そういう話になって行ってしまいがちなように思う。

”「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらない”という記事や、”ほらクラシー組織への誤解と本当の意味”という記事でも出てきたけれど、評価軸の属人性が高いほど、不明瞭な部分が大きくなって、動きにくくなるように思う。合う合わないももちろんあるし。

ふと、「上司が何を考えているかわからない」とか「上司から何を求められているかわからない」と感じる瞬間が歩けれど、そんなもの考えてみれば当たり前で、テレパシーがないのだから話をせずに分かることは絶対にない。

あとは、「今思うことはこれで」「その背景はこれで」と話していきつつ、同時に相手に興味を持たせるスピーチ力がないと話は通らないと思うのだけれど、それも簡単な話ではないよなーと思う。

チームメンバー全員に共通の文法っていうのがあってもいいと思う。先日社会人の先輩にアドバイスしてもらったのは、

・求める期待値がどのラインで

・現状差分がどのくらいあって

・いつまでに

・どういう状態で

・どういう方法で

達成するのか?という項目を伝えながら話をしていくと良い、ということだった。

これから先、属人的な評価、不明瞭な基準は減っていくことが望ましいのでは、と思う。

信頼というものの普遍的な価値は変わらないと思うけれど、それを獲得していくための方法はいくつもあっていいんじゃないかな?と思う。組織への貢献の方法が複数あるように、評価のされ方も復習あったほうが、「前の人は見てくれなかったけれど、今の人の下に来れたから活かしてもらえた」みたいな悲劇はないのではなかろうか、と思ったり。

評価軸が人ベースで決められてしまえば、その人の個人的な主観、価値観が出て、その評価軸に合う人は評価されて、そうでない人は評価されない、ということが起こる。


そういう意味で、新しい組織論であるホラクラシーとか、ティール組織的な話、どこかで実験的にやってみたいなぁと思う。

同時に、今までの組織体系の何が良くて、大事なポイントはどこなんだろう、ということも合わせて勉強していこうと思う。

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