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偏見からは自由になれないと思うので、気をつけたいと思うこと

異文化コミュニケーションの授業を受けたとき、教授が「日本人が異文化について学ぶとき、中国とか韓国を比較対象に選びがちなんだけど、相手のことをフェアに見ることができないので、それはやめた方が良い」と言っていたのを思い出します。

相手の行動に疑問を感じるとき、欧米人だと冷静に分析できるのに、中国人だと「あいつらは○○だからな~」と考えてしまうってことです。

それくらい、自分の社会的バックボーンから受ける影響は強いってことなのでしょう。

そう考えると、反日教育をたたき込まれた中国人たちが、日本人のことを好きになれなかったり、何か事件や事故があった場合、理性的な視点で考えることができないのも理解できます。

今は、中国のテレビ番組を見ることができないので、番組編成表がどうなっているのかわかりませんが、10年くらいまでテレビのチャンネルの半分くらいは反日ドラマをやっているという印象があります。

あれを何も考えずにボンヤリ見ていたら、日本人のことをずるくて、欲深くて、それでいて頭が悪い奴らだと思う人が増えてくるのも当然でしょう。

でも、だからといって中国人全員が日本について消極的な見方を持っているわけではありません。

特に、わたしが普段接している日本語を学ぼうとする人たちは、少なくとも相手の言語を学び、日本が発信しているものを直に受けとりたいと思っています。

そういう人たちは、他の中国人と比較すれば偏見からいくらか自由になっていると言えます。

日本語学習者は中国人人口と比較すれば、ほんとうに一握りですが、それでも相手の文化を学ぼうとしてくれていることを喜ぶべきだと思っています。

ただ、だからといって彼らが心から日本のことを好きだと思い込むのは危険です。

子どもの頃から受けてきた教育の影響力は圧倒的です。

自分では偏見から自由になっていると思い込んでいても、そうでないことがあるものです。

ちょっとしたことがきっかけになり、偏見丸出しのコメントをぶつけられたりすることがあります。

ただ、わたしにもおなじ事が言えます。

わたしは、中国人と中国語でコミュニケーションをとるようになり、すでに17年以上が経過しています。また、この9年間は中国人社会で暮らしていて、彼らの気質や行動の背後にある理由も知らないわけではありません。

相手のトンデモナイ行動を見て、これだから○○さんは・・・と属人的な視点で判断するのではなくて、これだから中国人はとか、韓国人だからと主語を大きくしてしまうことがあります。

この偏見から完全に自由になることは、今の状態では無理だろうと思っています。

ただ、感じたことを表現する方法を変化させることはできるのではと思っています。

これだから中国人はではなくて、さすが中国人とポジティブな反応に変化させることができれば、互いに学ぶところも出てきそうですし、お互いに気持ちも良いのではと思います。

そんなことが可能かわかりませんが、すくなくとも自分の身の回りでは、できる限りそんな空気を出したいと思ってます。

最近、身近なところにド汚い人種偏見を見たので、思ったことをまとめておきました。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日

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