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木田元『反哲学入門』第三章「哲学とキリスト教の深い関係」後編

はじめに 前編から後編へ

 前回はギリシャ哲学がキリスト教と結びつく過程を整理し、ガリレオが残した課題までを見ました。今回は「我思う、故に我あり」という有名な言葉を残したデカルトの登場です。デカルトはこの言葉を、ガリレオの残した課題の解決途中に残します。どのような経緯があったのでしょうか。

デカルトの生涯 彼も肺炎で死んだ

 ルネ・デカルトは1596年に中部フランスの法官貴族の子として生まれます。彼は20歳までに、イエズス会経営の学院で当時のヨーロッパの最高教育を受け、その間に人文学やスコラ学、一年間だけポワチエ大学に通って医学、法学を学びます。
 その後、デカルトは軍隊に入ってヨーロッパ各地を旅行して歩きます。当時貴族の子弟にとっての軍隊経験とは直接戦闘に加わることではなく、旅行をして見聞を広めるものだったと筆者は言います。
 各地で様々な知見を得、1622年にフランスに戻ります。それからイタリアで過ごしたりフランスで過ごしたり、その間に協力者と共に数学や光学の研究をしますが、1629年に「研究の自由を得ようとして」オランダへ移ります。そこでは形而上学の研究に専念し、その後に展開する思想の見通しを立てています。
 没年は1650年2月。スウェーデン女王に招かれ講義をしていましたが、肺炎にかかりその地で客死しました。
 デカルトはこの世を去るまでに『方法序説』『省察』をはじめとする著作の中で、数学的自然研究の存在論的基礎づけを行い、ついには「近代的自我」を発見したとされます。以下ではそれについて詳しく整理します。
 また、本文ではデカルトが欧州行脚の終わりごろに構想を得た「普遍数学」についても一部言及していますが、大筋で関係はしないかと思いますので省略します。

デカルトの証明 「我思う、故に我あり」

 デカルトの証明すべき課題の一つ目は、自然科学と数学の結びつきは必然的であると証明することです。
 問題となっているのは、数学は量的諸関係にあり、自然は質的諸関係にあるという点でした。そこでデカルトは、自然の真の姿は量的諸関係にあるということを論証する方向を取ります。
そのためにまず行ったのが「方法的懐疑」でした。

いっさいの学問的認識を支える基礎となるような「万古不易な」真理、つまりどう疑おうと思っても疑えない真理を発見しなければならないと思い、その真理発見の手段として考えたのがこの「方法的懐疑」なのです。

 また、デカルトは「あくまで絶対的真理獲得のための方法」としての懐疑だとして、その懐疑自体が疑わしいといったような自家撞着(「絶対」は絶対にない、と同じようなもの)に陥るのを避けました。
 そうしてデカルトは外的世界が存在すること、自分の肉体が存在すること、数学的認識など理性の教えてくれることなど一切を懐疑します。そして「どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所もない(『方法序論』)」と仮想した際、最後に残ったのが「考える私」でした。

どれほどいっさいを疑い、「すべてを偽と考えようと」、そうして疑いつつある「私」、「そんなふうに考えているこの私」は「必然的になにものかでなければならない」ということに気づくからです。

「そして〈私は考える、ゆえに私は存在する〉というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なことを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理としてためらうことなく受け容れられる、と判断した(方法序説)」とデカルトは結論しています。

 疑うという「行為」の前提をついた発想。これが一般に「近代的自我の自覚」と呼ばれるもののようです。次に、存在が確実とされた「私」について詳しく整理します。
 まずデカルトは「私とはなにかを注意ぶかく検討」した結果として、

①身体、世界、自分のいる場所がないことは考えられるけど、自分が存在しないとは考えられない。
②自分が疑念を持つこと自体が、明確に私が存在することを証明する。
③私が考えることを止めれば、私の存在を信じる理由は全てなくなる。

というふうに整理します。それを受けて、『方法序論』より引用です。

これらのことから私は、次のことを知った。私は一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。

 この「実体」とは「存在するために他のいかなるものをも必要とせずに存在するもの(『哲学原理』)」で、つまり本来は「神」を指します。
デカルトはさらに続けます。

したがって、この私、すなわち、私をいま存在するものにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全に今あるがままのものであることに変わりはない、と。

 つまり、デカルトの考える「私」とは、身体から区別され分離した「精神」や「理性」のことなのです。すると、このとき身体は精神の単なるおまけになってしまいます。また、「私」は実体だと言いましたが、ではこの「考えている私」は神ということでしょうか。それはありえません。そこで、本文では「私」という精神や理性は、神が人間の内に創造した、神の精神の一端だと考えられています。
 なので、「肉体的感覚器官に与えられる感覚的諸性質は(……)単にわたしたち人間にとって偶有的なものである身体への現われ」にすぎず、「「物体」つまり「自然」を真に構成しているのは、わたしたちの「精神」が洞察する「量的諸関係」だけ」です。確かな手段で判断できるものだけが、確かであると言える、ということでしょうか。
 ここまででデカルトは、「私」という(神の)理性は確かに存在するものである、その理性で知ることができる量的諸関係こそ物体(自然)の真の姿である、というふたつのことを証明しました。

 では、量的諸関係で知ることのできる「物体」とはどのようなものかを整理します。
 方法的懐疑の段階で理性は身体から分離されました。よって非・身体的な理性にとって、光や音、温度といった感覚器官を通じた諸性質は物体の性質とみなされません。このようにありとあらゆる感覚的諸性質をはぎ取った先で最後に残ったのは「その物体が占めている空間的な拡がり」だけでした。

実際にデカルトは、それを、「延長、すなわち長さと幅と深さとに拡がり、そのさまざまな部分が、さまざまな形体をもち」、「さまざまな形体をもったそれらのものの相互の位置、および運動、すなわちこのような位置の変化」と言っています。

 デカルトは、その物体が占める空間、およびその物体の「きわめて機械的」な運動だけが物体の量的諸関係であり、数学的に処理できない要素を排除したのです。
 このようにして、デカルトは数学と自然研究を結びつけたのです。

 最後に、デカルトが証明に先立って行った「神の存在の論証」の効果について整理します。
 デカルトの目的は、数学的諸観念や神の観念といった生得観念の客観的妥当性の確保にありました。理性が確かに知覚しうるのは生得観念だけですが、この「確か」というのはあくまで理性の主観でしかありません。なので、生得観念が客観的に存在することを別の手段で保証しなければいけませんでした。
 そこでデカルトは神の存在を証明し、神が人間に与えた生得観念が存在することを保証したのです。そうしなければ、そもそも生得観念は存在しない、と考えられてしまうのでしょう。

量的自然観はキリスト教の信仰に背くか?

 結論としては背かない、とデカルトは主張したようです。
 基軸に据えた「理性」は精神と肉体の分離を謳っていますが、これは当時精神を肉体から浄化するプラトン―アウグスティヌス主義復興の運動と一致するからです。

subject/object誕生前夜 超自然的原理の近代的更新

 デカルトの証明は、実は彼が本来意図したことよりもさらに大きな影響を持ちます。
 二章からこのかた、この記事では「超自然的原理」を中核に据えて進行してきました。世界は超自然的な「      」によって制作されたのであり、「なにが存在しなにが存在しないのか」の決定権はその「      」に委ねられているという考え方が、プラトン以来西洋世界を支配してきたのです。
そして、「      」の内容は時代によってイデア、純粋形相、神と名前を変えてきましたが、それらは一様にして人間を超える存在でした。
 しかし、デカルトの証明によって「      」の中に「人間理性」が放り込まれたのです。すなわち、理性でその存在を知覚し得るものだけが物体(自然)であるならば、世界の物体(自然)の存在する/存在しないは人間理性によって決定されるのです。
 当然、その理性はあくまで神の後見があってこそ保証されるものでしたが、人間の理性がそのような役割を果たすことができる、ということは後々の思想展開を見るうえで重要なことになりました。

 三章の最後に「主観/客観」という考えへの影響を整理します。
 アリストテレスが用いたというギリシャ語「hypokeminon(ヒュポケイメノン)」は「下に横たえられたもの」を意味します。この語がデカルトの用いた「実体/substantia(スプスタンティア)=下に立つもの」の語源になっています。実体とはそれ単体で存在できるものなので、筆者曰く、近代的感覚であれば「客観的存在に近いものでした」。
 また、同様にギリシャ語「antikeimenon(アンティケイメノン)」は「向こうに横たえられたもの」という意味で、「向こうに投げ出されたもの」を意味するラテン語「obiectum(オブイエクトゥム)」へ逐語訳されます。この語は事象の観念や表象という意味で使われ、こちらも筆者曰く、近代的な感覚であれば「主観的なものに近いものでした」。
 ところが、この2つの語は近代になるとそれぞれ「subject(主観)」「object(客観)」と、意味を交換して受け継がれます。また、近代以前は対立関係では使われてはいませんでしたが、デカルトからカントに至る間に対立項として立てられます。
 それは、理性が実体として認められ、主観こそが存在を決めるという考えが浸透していったからではないか、と著者は考えます。
 理性が真にsubjectとなるためには、その背後にいる神性から脱却しなければいけませんが、このように、時を経て言葉の意味、背後にある考え方が大きく変わっていったようです。

おわりに 知ることの刺激

 内容が格段に複雑になり、なるべく書いてあることは理解しながら整理するよう努めていますが、思うようには書けません。全体的に「なんとなくわかったような気がする」程度です。
 ただ、そんなぼんやりした程度でも新しいことを、今まで知ったふりをしていたことを学べるのは大変な刺激があり、この引きこもり生活にあって快活な感情の高まりを感じます。また引き続き楽しみに読み進めていきます。

 読んでいただきありがとうございました。

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