「愛川地区のまちづくりに関するアンケート調査」(半原水源地に関する)を読む (愛川町日記 2016年11月6日から転載)
やっと。動きが見えたかな。
愛川町・半原水源地。
以前も書きました。
私は横須賀まで取材に行きましたしね。
半原水源地。
「半原」なのに「横須賀」
おさらいがてらに、少し書きましょう。
大正10年に旧海軍が建設した逸見浄水場(横須賀市)の取水施設として建設。
敷地面積48,100平方メートルを有し、相模川支流である中津川の表流水を、水源地から500m離れた取入口から取り入れ、40,000m3の容量を持つ4つの沈でん池で砂利などを沈でんさせた後、約53km離れた横須賀市の浄水場である逸見浄水場まで電力を一切使わず水を送る。
明治維新を経て、大正・昭和と世界の海を駆け巡る日本海軍の文字通り「力水」となったのが半原の水だったのです。
そして、約53㎞をつなぐ技術。
歴史的にも大きな価値があります。
現在は取水停止しており、2015年2月に用途廃止。
横須賀市は使用していない、愛川町のものでもない敷地面積48,100平方メートルが宙ぶらりんとなっているのです。
僕のような歴史好きにとってはこれは大きな「?」です。
軍国主義へひた走る日本海軍の始まりの施設。
半原の水がなければ、ミッドウェー海戦の「飛龍」や史上最大の空母「信濃」などの日本戦史登場はなかった。
歴史的な価値の大きさは計り知れないです。
目の前に金鉱があるのに、眠たそうに目を細め、見て見ぬふりをしている。
まな板の上に一流の素材があるのに、今更料理本を開く。
愛川町の態度がそう見えますね。
半原と田代の住民らでつくる「愛川地区まちづくり協議会」(自治会組織に相当する半原と田代の六つの行政区、半原水源地を守る会、半原小学校旧木造校舎を保存する会、相愛信用組合などが参加して設立)が町役場を訪れ、小野澤豊町長に地域活性化に向けた提案書を提出したそうです。
この提案書提出の際に、愛川地区の約3,400世帯を対象として実施した「愛川地区のまちづくりに関するアンケート調査」の結果も提出されました。
そして、その内容を私も見ることができました。
いつもの(最近さぼりがちな)議事録をではなく、このアンケートをちょっと見てみましょう。
まずは、回答率から
なかなか高い数字です。愛川町の中では。
以前、ある審議会で、回答率30%くらいのアンケートを基にしてつくられた資料がありました。
委員から「30%を愛川町の基準にするのはいかがなものか」とかなり突っ込まれてましたが、意外と30%前後の回答率アンケート基準が多いんですよね。審議会を見ていると。
だから、この「45.6%」はなかなか愛川町にしてはいい数字です。あくまでも「愛川町では」です。本当は50%以上は欲しいです。
そのほかの資料には
・回答者1,564人のうち、男性が57.8%、女性が40.7%
・年齢については、「60歳以上」が57.0%と最も多く、次いで「41~60歳」(34.0%)、「25~40歳」(7.4%)、「19~24
歳」(0.7%)
・職業については、「無職」が38.6%と最も多く、次いで「会社員」(28.0%)、「自営業」(11.5%)、「公務員」
(1.7%)。その他の内訳として、「パート、アルバイト」が45.9%と最も多く、次いで「主婦」(11.1%)、「団体職員」(2.2%)、「年金生活者」(1.9%)。
・居住地域については、「細野」が22.0%と最も多く、次いで「田代」(19.4%)、「両向」(18.0%)、「原臼」
(13.8%)、「宮本」(13.5%)、「川北」(12.3%)の順。
・•居住年数については、「30年以上」が41.6%と最も多く、次いで「20年~30年」(26.7%)、「11年~20年」(17.6%)、
「6年~10年」(6.8%)。
今回のアンケートの配布は自治会を通じて。
記事にあったように、確かに「若い世代(40代から20代)」の回答率が8.1%と極端に低いですね。
ここが、自治会とのつながりが希薄な世代なんでしょう。
「60代以上」「居住年数30年以上」が回答者の大多数を占めていることからわかるように、若者の自治会離れの歪みがここにもでていますね。
「街づくりに興味のない世代」(愛川町は仕事から帰ってきて寝るだけ。買い物も都市部へ)をどう街づくりに取り込んでいくか。
はたまた、ここはひとつ割り切って今は「古くから地元を知る世代」が次世代への準備期間として、町との交渉や大まかな街づくりのアウトラインをつくるのか。
「街づくりは若い世代に任せる」という言葉はよく聞きますが、私はそれが必ずしも正しいことだとは思いません。
「若い世代」には最新の知識や情報、肉体的体力はあります。そして、「古くから地元を知る世代」は積み重ねてきた知識や地元の情報、精神的体力があります。
街とは様々な年代が住む場所です。だからこそ、様々な年代で街をつくることが必要だと私は思います。
その他、いくつかのアンケート結果を見ていきましょう。
「半原だけ」と「半原を中心とした」
約58%の人々が知る「横須賀水道半原水源地」。
ただ、この数字は「半原で」ということです。
これが、「愛川町で」だとどうなるのでしょうか?
今後の開発の中心が「町」なのか「地域」なのか
どちらにせよ。
どう利用されようが。
「半原のみ」では効果が半減します。
愛川町全体で半原を支援(言葉の意味としては適切ではないかもしれない)する必要があります。
なぜならば、愛川町の他のエリアにスタンド・アローンで観光資源となりうる未開発地としては「半原水源地」しかないと思います。
まさに、「金脈」です。
「横須賀水道半原水源地」という単体ではなく、周辺の施設(服部牧場やあいかわ公園、田代地区など)と連携する。
「点」ではなく「線」で「面」で開発をしていく。
そして、「点」をつなぐ「線」である交通機関の不足もここにあげておく。
半原水源地の周辺を思い浮かべてほしい。
人々はどのような手段で水源地までやってくるでしょう。
「バス」はバスターミナルがあるからいいとして、
「車」が多いでしょう。
その場合、水源地周辺に新しく「大型駐車場(観光バスなどが止められる)」をつくる土地がないのです。
あいかわ公園や繊維会館を駐車場もありますが。
少し考えてください。
何のために「半原水源地」を開発するのか。
たとえば。
あいかわ公園の駐車場を使うとしましょう。
道を渡れば、半原水源地です。
たとえば。
繊維会館の駐車場を使うとしましょう。
道を渡れば、半原水源地です。
つまり。
半原商店街を経由しないのです。
これは、半原商店街への「経済効果」は少ないのです。
半原水源地を利用しての半原地区の活性化を計算していないなら別ですが
「富岡製糸工場」を見てみれば
無料駐車場は工場から遠い所にあり
駐車場から工場に向かうには必ず地元の商店街を通らなくてはならない。
自然、商店街が潤います。
半原水源地にも同じ効果を求めるならば
銭取らず周辺、中津川沿いの河川敷に駐車場を作るのが適切でしょう。
いや、そこ以外土地がなさそうな気がします。
施設間を結ぶマイクロバスを運行する。
歩道を広くする。
観光資源開発を考えるときにはそこまで考え無くてはいけません。
「横須賀水道半原水源地を知っているか?」
この質問をぜひ愛川町全体で行ってほしい。
いや、もっと広域的に相模原・厚木を含む県央エリアでもいい。
「知名度」は半原水源地の「金脈」としての評価を左右し、開発理念にも影響することでしょう。
ならば、どうあるべきか
歴史的遺産拠点が低いのが私としては少し残念ですね。
ただ、「歴史拠点」「公園」「観光拠点」は両立できるものだと思います。
それだけの素材が半原水源地にはあります。
その素材を有効に利用するためにも「フィールド」として利用していくのが望ましいです。
半原水源地が開発されることが「ゴール」ではなく、その先の「運用」まで見越した計画を考えていく。
「作ったけど廃墟」「やったけど閑古鳥」このような施設は全国にあります。
観光客や利用者の多くが「お客さん」です。いくばくかのお金を半原に落としてくれます。
しかし、それは一過性のものでシーズンをすぎれば何もない、では少し味気ないです。
愛川町で問題化している人口減少などに対応した「住みたくなる街」の核になる開発をしてもらいたいですね。
提言書を見ると
まだ「はっきりと決まってない」感じがします。
まだまだ始まったばかり、そんな感じですね。
最後に一つ。
「行政と地域住民が連携して」
いままで「行政」任せで、今の状態になっている気がします。
横須賀が取水を止めた時点で、町としては動きをすべきだったのではないか、と。
この問題はまだまだ「半原だけの話」となっているのです。
まずは「行政」を動かしてから。
では、今までとなんら変わらない気がします。
まずは「地域住民」が動く。
お金や労力はちょっと脇に置いて考えると
水源地の解説ボランティアを置くのはどうだろうか。
今はやりのウォーキング客を捕まえ、半原が水源地たるゆえんを開設する。
人力車のようなもの(あくまでも時代性を考慮して。半原には明治ロマンは似合わない)での解説ツアーを行う。
まずは地域住民が動き
既成事実を作るのです。
多くの人が半原水源地の価値と将来性を知れば
まさに水の流れの様に、半原の観光と街づくりの「水源」となると思います。
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