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【鬼滅の刃×中国思想】~水の呼吸から見る「水」の深い意味②~

 熊本は先日の雪から一転、最高気温15度以上が続いています。

3月1日には卒業式を控え、もうすぐ春だな、、と感じています(^^)。

気温が上がったこともあるせいか、
冷たい水がおいしいと感じることが多いです。

そんな「水」に関することを、
高校の倫理という視点で深掘りしていこうと思います😊

※今回の記事は前回の記事の続きになります。
読まれていない方はぜひご覧ください↓↓

※アニメ版で鬼滅の刃を楽しんでいる方は、漫画版の説明のため、今後の展開の #ネタバレ を含みます。ご注意ください。

■老子の名言:「上善は水の如し」

今回紹介するのは、老子です。

(テオーリア最新倫理資料集 p78より転載)

漢文の例文などでも出てくるので、なんとなく聞いたことがある・・・という人が多いのではないでしょうか。

実は老子は誕生した年も没した年も不明で、
実在の人物かどうかわからない謎に包まれた人物です。

おそらく、ゲームや漫画に出てくる「仙人」のモデルは、この老子です。
※イメージ写真↓↓

知らずのうちに現れ、重要な言葉を発して消えて去っていく。

儒教の創始者、孔子に礼とは何かを教える、という伝説が残されている。

等々、非常に魅力的な人物です。

私は老子の授業をするのが結構大好きで、
常識に囚われた生徒の考え方を驚かせるのがいつも楽しみなんです(笑)。

彼の思想は簡潔にいうと、

「人が決めた道ではなく、天の定めた道を行きなさい。」

というもの。

老子の言葉に、

「大道廃れて、仁義有り。」

仁や義は、思いやりの心と言えばいいでしょうか。

孔子が考え出した、人としてあるべき道のことです。

つまりこの言葉は、
「本来あるべき天の道があるのにも関わらず、それが廃れ、人為的につくった道だけが残ってしまった。」
という意味になります。

「人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせる」という無為自然こそが一番良いと考える老子にとって、

孔子の説く仁は、いわば邪道。

そんな人為的なものは必要ないということでしょう。

その思想が根底にあって、老子は次の言葉を残します。

「上善は水の如し」

言葉の通り、最上の善は水のようにしなやかに生きることである、という意味です。

老子が存在していたと思われる時代は、日本でいう戦国時代。

争いの続く、春秋戦国時代と呼ばれる時代でした。
(漫画「キングダム」の時代です。最終的に秦という王朝が立ちます。)

老子に言わせると、争いが起きるのは、
人為的な考えやかたくなに持っている正義感ゆえであると。

大切なのは、競争しないこと。

水のように、争わず、低いところへ留まることが最善であるといいました。

水は人に生命を与えてくれる半面、
流れの力で大岩を削り、時に岩を砕いていきます。

炭治郎が最終戦別の前に大岩を割ったのも、
水の呼吸の使い手ということが関係しているのかもしれません。

あのシーン、私は「努力が実った!」という高揚感に浸っていました(笑)。

(転載元:アニメ「鬼滅の刃」第3話 錆兎と真菰)

結局は、闘志を捨て、
しなやかに生きることが善いと考えたのです。

血気盛んな武将たちにとっては到底考えられない思想で、当時は全く採用されませんでした。

しかし、のちに平和な時代になると、その教えが注目されます。

競争社会ともいえる現代社会に生きる私たちにとっても、

競争しないという発想は、
柔軟さを持つ意味で、重要であるような気がします。

■炭治郎が到達した「至高の領域」と老子の教え。

ここで話は漫画「鬼滅の刃」に移ります。

無限城編での猗窩座戦です。(ネタバレ含みます。ご注意ください。)

どうしたら猗窩座を倒すことができるのか、

炭治郎が思考を巡らせていたところに、伊之助の言葉が脳裏に浮かびます。

特に殺気を込めて見てくる奴は一発でわかる
自分に害があるもんはやべえからな
殺気って体の皮にグサグサ刺さってくるんだぜ

殺気という言葉をキーワードに、
猗窩座が攻撃を先読みしてよけることができる原因を発見します。

殺気を無くすことで敵に気付かれずに近づき、倒すことができるわけです。

伊之助は、藤の花の家紋の家にいたおばあさんが、いつの間にか後ろに立っていたことに驚いたというエピソードを炭治郎に話しました。

しかし、炭治郎はこう続けます。

(転載元:漫画「鬼滅の刃」17巻 第150話 気づき)

しかし、父との会話の中からその囚われを脱ぎ、殺気のない状態で猗窩座の首を落とします。

その後も壁が立ちはだかりましたが、見事、煉獄杏寿郎の敵をとることのできた名場面です。

ぜひともアニメ化、いや映画化してほしいと思っております(笑)。

この場面が老子の教えに通じると思うわけです。

殺気や闘気がないと鬼を殺すことはできない。
むしろ、鬼に殺気を持ってない人間はありえない。
         ↓
殺気がなくても鬼を倒すことができる。

このように囚われを脱ぐことによって、
猗窩座が何百年も行き着くことのできなかった「至高の領域」に到達した炭治郎。

自分なりの考え方や人がつくった観念を超えたところに、老子の教えに近いものがあるなと、私は思いました。

「至高の領域」はもともと、最強の剣士であった縁壱が見ていた世界(透き通る世界)。

おそらく、その世界を見るための方法も伝授されていたと思います。
しかし、歴史の中で廃れ、鬼を怒りの力で倒すという考え方になったとすると、

父との会話の記憶をたどって原点に帰った炭治郎が、猗窩座を倒すことができた理由に納得できます。

水の呼吸は、縁壱の日の呼吸の中でも「受け流すしなやかさ」を特に強調した呼吸とすると、

炭治郎が一瞬だけ殺気を消すことができたのも頷けます。

もしかしたら、ヒノカミ神楽だけではなく、水の呼吸の使い手だったからこそ成しえた戦いだったのかもしれませんね。

■囚われを脱ぐことで見えてくる世界。

 少々強引な後付けだったかもしれませんが、老子の教えと鬼滅の刃の関係性を見ていきました。

最後、囚われを脱ぐという話を書きましたが、今の私にも通じると考えています。

どうしても固定観念は消えないものです。

私の場合は教員なので、
特に教育観に濃く、固定観念が現れています。

給料の安定した職業に就職できるように生徒を育てないといけない、等々です。

でもこの時代、安定した職業という保証はないし、新しい仕事の在り方が出てくるかもしれません。

学校の在り方も、これからどうなるかわかりません。
もしかしたら、学校が民営化する可能性だってあるかも…。

自分の固定的な考え方に気づくと、
そこから「ひょっとしてそうじゃないかもしれない…。」と、新しい考えが浮かぶかもしれません。

そういう柔軟さを大事にしたいものです。

改めて、流れるままに進む水って偉大だな・・・と感じました。

長文になりました💦。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました😊

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