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「だいすき」を言い続けた24年。

先日、2年前に書いた記事を、コンテストへの応募のために加筆修正し、再投稿した。久しぶりに読み返してみると、いろいろなことが思い出される。

バーベキューのときにはじめて出会った人に、
「僕はもうすぐ結婚するんですけど、親になる自信がないんです。どうしたらこんないい子に育てられるのか教えてほしいんですよ」
と言われて、とてもうれしかったという話だが、そのときに私はどう答えたのか。それもはっきりと覚えている。

私には息子が2人いて、長男は24歳、次男は19歳だ。

女手ひとつということもあって生活は厳しく、子どもたちには十分なことをしてあげられなかったと思う。イライラして子どもに手をあげてしまったこともあるし、気持ちをわかってあげられなかったこともある。言わなくてもいいことを言ってしまったり、傷つけたことも一度や二度ではないだろう。

子育ては反省することばかり。できることなら、もう一度やり直したいと思うけれど、やり直したところでそれは「私」なのだから、きっと同じことを繰り返すだけのような気もする。

母親としてはまったく優等生ではなかったのに、「どうしたらこんないい子に育てられるのか」と言われたのは本当にうれしくて。

私の育て方がよかったのではなく、ただただ「本人のがんばり」なのだとは思うけれど、その人には、私が子育てをする中で唯一大切にしてきたことをお伝えさせてもらった。

それは、とってもかんたん。「だいすき」だと言い続けること。

幼少期や小学生のころは、1日に何十回も「だいすき」と言っていた。それぐらい、みんなやってると言われそうではありますが。私は思春期の中学生になっても、高校生になっても、たとえ相手にされなくても、おりにふれて「だいすきやで〜」と言い続けた。

一度、長男が高校生のときに、「おかーさんがキミのことだいすきって知ってるよな」と言うと、「めっちゃ知ってる。僕が死んだら、おかーさん生きていかれへんねんやろ」という答えが返ってきた。

そう。私が「だいすき」と言い続けてきたのは、「自分が愛されていることを知っていてもらいたい」「愛されている自覚があれば、自分のことを大切にしてくれるはず」だと思っていたから。そのときは、ちゃんと伝わってたんだなぁ…と、ちょっと感慨深いものがあった。

もう長男は家を出ているので、「だいすき」は伝えられないが、大学生の次男には唐突に「だいすき」と言うときがある。

「だいすきやで〜」
「あざーっす!」

なんて、ふざけたやりとりになっているけれど。

私は親から「だいすき」と言われた記憶もないし、愛されているという実感もないまま育ってきた。だからこそ、子どもには言いたいのかも知れない。

そういえば、最近は次男にも言ってないな。

今日、帰ってきたら言ってみようか。いい加減「気持ちわる」って言われそうだけど、それを言わないのが次男のいいところ。笑