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【感想】くまちゃん|角田光代

ミステリー小説を読むと宣言していたのに、しょっぱなからミステリー以外の作品の感想を書いてしまった。
この作品はミステリーではなく、分類で言えば恋愛小説になるだろう。

失恋で気持ちが押しつぶされそうだった頃、たまたまテレビで本作が失恋をテーマとした作品として紹介されていた。
私が読んでみたいと思ったのは、その番組の中でこう紹介されていたからだ。

「いくつかの短編小説が入っているのですが、はじめの話で出てきた人が、次の章では振られる。それをリレー形式で繰り返していくお話です。」

全ての短編が繋がっていて、しかもみんな最後には振られるなんて、そんなの今の自分にぴったりだと思い、すぐに購入した。


短編が7作入っているので、共感できるものもあれば共感できないものもあった。
でも、あまりにも心に刺さる文章が多かった。
失恋を経験した人が読めば誰かしら共感できる人がいるんじゃないかと思う。

※以下、本作のネタバレを含みます。

『アイドル』

表題作の『くまちゃん』=英之が、ゆりえという女性に出会い振られるまでの話。
英之は定職に就かず、真剣に女性とも付き合ったこともなく、気の向くままに生きており、自分でもそんな生き方がかっこいいと思っている。
バイト先でゆりえという女性に出会い、付き合うことになり、一人の人とずっと付き合うのも悪くはないと思うようになる。
そして、自分と同じように生きているように見えたゆりえが仕事でステップアップしているのを見て、英之は定職に就くことを決意し、就職活動を始める。
ようやく就職先が見つかりゆりえに報告をしようとした矢先、英之は突然別れを告げられる。
ゆりえがなぜ別れを切り出したのか、その理由は「そんなのあり!?」と思う話でそれはそれで面白いのだけれど、脇道にそれてしまうので、ここでは書かないことにする。
英之は最後には別れを受け入れ、ゆりえは同棲している家から出ていく。

ゆりえと別れた後、英之が一人でゆりえのことを思い出す場面が好きだ。

ようやく英之は悟った。おれ失恋したんだ、という単純な事実を。そう悟ってみれば、何だか新鮮な気もした。それまで英之は、誰かを猛烈に恋しく思ったこともなく、誰かに叶わない思いを抱いたこともなく、よって失恋というものを経験したことがなかった。ああ、これかこれか、この気分か。英之はなんだかせいせいした気になって、ひとりで飲みに行き、立て続けに強い酒を飲んだ。

『くまちゃん』| 角田光代

やっぱすげえ女だったと、彼女が出ていってからはじめて英之は思った。だってあの女は、おれにはじめて恋というものの全容を、あますところなく見せたのだから。

『くまちゃん』| 角田光代

英之はいつもなし崩し的に女性と付き合い始め、相手が真剣になると面倒くさくなって勝手に姿を消してしまう、クズみたいな男だ。
前の章でもそんな感じで女性を振っている。
そして、何事にも真剣に向き合うことなくふらふらした生き方を芸術家っぽくてかっこいいと思っている。
でも、そんな彼もゆりえと出会って初めて普通の恋愛をして、彼女からの影響を受けて今までの考え方や生き方を変えていく。

私は英之のようなクズみたいなことは断じてしていないし、普通の生き方をつまらないと思うこともない。
でも、ゆりえと出会う前の誰に対しても真剣になれない薄情な感じは少し共感できた。

私は誰かを恋しいと思ったことはなかったし、恋人と別れても喪失感を感じたことがなかった。
私は生まれつきそういう人間で、仕方ないことだと思っていた。

でも、それはどうも違うらしかった。
あの人と出会ってから、自分の中にかなりウェットな感情(表現としてこれが正しいのかわからない)があることに気がついた。
私も誰かを猛烈に恋しく思うことはあるし、「あの時こうしていれば、別れないですんだかな。」と思いながら泣いたりもするし、喪失感で何も手につかなくなるし、自分で思っているよりもいろいろな感情を持っていた。

もともとそういう感情はあったけれど眠っていたのか、それともあの人に出会ったことで芽生えたのかはわからない。
でも、自分でも知らない感情を引き出してくれたあの人は、本当にすごい人だった。

英之にとってのゆりえのように、あの人は私に「はじめて恋というものの全容を、あますとろこなく見せ」てくれたのだ。

こんなふうに別れることになるのなら、どうしてあの人と出会ったんだろうとずっと考えていた。
何のために出会ったのだろうか、と。

でも、あの人との出会いは間違いなく意味があった。
確かに意味はあったと思えた。
その一文は私とあの人との出会いを肯定し、救ってくれたような気がした。

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