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ChatAIの登場=人間のスペック競争の終焉か?

子どもが学校教育にお世話になっているけれど、時代の変化に合わせて教育現場も変わろうと試行錯誤しているのを感じる。

小学校でも中学校のように教科専任制(一部の先生がクラス担任をせずに算数や理科の授業のみを担当)を取り入れたり、算数はクラス越えで習熟度別に班分けして授業をしたり。
タブレットもフル活用、英語の授業ではタイピングとアルファベットとローマ字を同時進行で学ぶ。

2020年から施行された「新しい学習指導要領」を受けてなのか、教科書をながめているだけでも「思考力」重視の方向に向かっているのが見て取れる。

例えば、中学校で習う「正負の計算」。
自分の頃は(−)と(−)をかけるとなぜ(+)になるのか理屈が分からず、人に聞いても「黙ってそう覚えろ」としか言われなかったのに、今では教科書に「数直線(正負の向きや大きさを視覚化するために用いる直線)を使って考えると分かりやすいよ」と親切に図入りで説明されている。
丸暗記でなく、こんな風に数理と合わせて学習したら、数学の授業もずっと楽しめたのに。少なくとも教科書を読んで時間をつぶせそう。

この「論理的思考」教育。
国語の教科書と見まがうほどの文章量の算数の教科書を見ながら、今の子は羨ましいなと思う反面、これまで丸暗記で何とか対応してきた子にはものすごくキツイんじゃないだろうかとも思う。
自分の経験からいうと「暗記力」と「思考力」は別物で、個人によって得手不得手の差が大きい気がしているので。

仮にパソコンに例えてみる。
高スペックPCにディープラーニング(思考力)機能を搭載したら、自立型AIとして自走でどんどん進化しそう。

低スペックPCには、その機能は重すぎて、インストール自体がそもそもできないんじゃないだろうか?手を尽くして何とかインストールできても、起動するたびにフリーズしそう。


と、新しい「思考力」教育に対して懐疑的な目でこのnoteを書き始めたのだけれど、思考力をインストールするには本体のスペックが足りなくても、今なら外部拡張機能を利用すればいいのか。
それが新しい教育のICT活用の部分に該当するのかな。

低スペックPCでも外部拡張デバイスを利用して、高スペックPCと同じパフォーマンスができるとなれば、逆説的にパソコン本体のスペックは問われなくなる。
そうなると、パソコンの価値基準が変わって、デザインのよさとか、水に落としても壊れないとか、心地よいノイズを発しているとか、なぜか傍に置きたくなるとか、スペック以外の個性が重視されるようになる。

シンギュラリティ後の人間の価値の話につながった。

話題のChatGPT利用の是非。
もし困る人がいるとすれば、高スペックであることをアイデンティティーにしている人とか?それなら、テレビのクイズ王決定戦や歴史能力検定みたいに、人間部門のスペック勝負の場があればいいだけか。
自分の思考とAIの力によるものとの境界線が曖昧になる?想像するとそれはちょっと怖いかなぁ。でも、いずれはAIとの同期力の高さも人間の能力の一つとして評価されてそう。近未来系の映画では大体そうだし。

何が問題となりうるか、ポンコツ脳でずっとシミュレーションしているけれど、かつて支配者が特権を維持するために民衆に読み書きを禁じたり、女は教育を受けると生意気になるから進学させないとか、そんな事例しか浮かばない。

それにしても、ChatGPTは現状ではノイズを含んでいないのに、ChatGPTの登場そのものが人間界にノイズを起こしているのが何ともおもしろい。
ネットニュースで黒船という表現をしていたけれど、日本語ではそれが一番しっくりくる。各言語でどう表現されているかを比較するのもおもしろそう。
AI哲学、AI言語学、新しい学問分野がどんどん生まれそう。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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