見出し画像

愛なんか、知らない。 第5章 ②ミニチュア作家の日々

 お母さんが突然いなくなって1年半ぐらいになる。私は20歳を超えてしまった。
 その間、一度も連絡はなかった。家の電話にも、お母さんのスマホにも。いつお母さんから連絡が来てもいいように、スマホもちゃんと充電してある。
 それなのに連絡がないのは、もう二度と、家に戻ってくる気はないってことなのかな。私と暮らす気はないのかな。

 お父さんから、お母さんがネットで話題になってるって聞いた時は驚いた。
「あいつ、尼さんになってるみたいだよ」
「は? 尼さん?? どういうこと???」
「いやあ、オレもさっぱり分からんね」
 鎌倉のお寺のPacebookにお母さんの写真が載っていた。
 髪をキレイに剃っていても、美人なお母さんは健在だった。袈裟を着てお祈りしている姿や作務衣で掃除をしている姿とか、何枚も写真をアップしていた。誰かに撮影してもらってるみたいだけど、誰に撮ってもらってんだろ。

「女優さんが尼さんを演じてるみたいw」
「美人は丸坊主でも美人なんだな」
「いいね。色っぽい尼さん。会いに行こ~」
 コメント欄にはたくさんのメッセージが付いていた。圧倒的に男の人からのコメントが多かったけど。。。

「あいつ、人から注目されるのが相変わらず好きなんだなあ」
 お父さんは呆れていた。
 当然、一緒にお寺にまで会いに行くのかと思ったけど、「いや、オレはいい。会ってもケンカになるだけだし。よろしく言っといて」とあっさり断られた。

 お父さんは一歳になったばかりの息子に夢中だ。
「私事ですが、新しい家族が増えました! 小さな、小さな手に感動。この子を絶対守り抜いていこうと覚悟を決めた日」
 そんなコメントを生まれたばかりの赤ちゃんの画像と共に、会社のPacebookにアップしていたのを見た時は胸が苦しくなった。
 私にも「弟が生まれたぞ~」って画像を送って来たけど、素直に喜べなかった。
 ねえ、お父さん。私が生まれた時も、そんなに喜んでくれた?

 それからも、ことあるごとに「寝顔、サルみたいだけどかわいい」「だいぶ髪が生えてきたよ」とか、画像を送って来る。
 ミルクを飲ませている画像や、お風呂に入れてあげている画像。それを見るたびに胸がザワザワする。私、この子に嫉妬してるのかな?
 私は親に愛されていなかったって、なんで今さら突き付けられないといけないの?
 心や純子さんたちがいなかったら、私はどうなっていたか分からない。

「あ~。もう6時になっちゃう」
 井島さんが壁の時計を見て、慌てて片づけを始めた。
「ごめんなさい、葵さん、いつも時間をオーバーしちゃって」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
 ここは我が家のリビング。井島さんが友達と一緒に始めたミニチュアの教室は、今は10人に増えていた。みんな、いわゆるアラフォー世代だ。
 最初は5人だったけど、それぞれが友達に作品の写真を見せて、どんなに楽しいのか語っていたら、倍に増えた。3時間で一人につき1万5000円もらえるから、今の私には貴重な収入源だ。

 最初のうちは都内の公民館の一室を借りて教えていた。
 一番初めに作ったのはイスとテーブル。次に飾り棚。その次にパンとおにぎり。そんな風に月に一度ミニチュアを作るうちに、「やっぱり家を作りたい」とみんなが言い出したのだ。
 でも、作りかけの家を自宅に持って帰って、次の教室にまた持って来るのは大変すぎる。そこで、我が家のリビングを教室にして、作りかけのミニチュアハウスはうちで預かることにしたんだ。お母さんがいないから、できたことだな。

 せっかくだから一人一人が作りたい家を作ることにして、私がアイデアを一緒に考えながらデザインを決めていった。材料も一緒に買いに行って、みんなでワイワイと楽しんでる。
 一人一人に違うことを教えるのは大変。だけど、「葵さん、こんなカーテンをつけたいんだけど、どう?」「部屋の壁にも何か飾りたいんだけど、小さな額縁ってどう作るの?」なんて目をキラキラさせながら聞かれると、たまらなく嬉しくなる。
 私も一緒に、どうやって作るのかを考えるから、勉強になる。自分では分からないところは純子さんに聞いたりして、教室を始めてから、ずいぶんできることが増えた。

「あっちもこっちも手を加えたいから、この家、いつ完成するか分かんないわあ」
「ミニチュア版のサグラダファミリアだよね」
 なんて、みんながミニチュアにハマっていくのは喜びしかない。
 私が好きなことを、みんなも好きになってくれる。
 こんな場をつくってくれた井島さんには感謝してもしきれない。

 井島さんは意外にも和風の家のデザインに決めた。圭さんのトルソーを置く家を作るのかと思ったけど、「自分の実家」だって。写真を見ながら、できるだけリアルに再現しようとしてるところ。柱時計とか、童謡でしか知らないから、ホントに飾ってる家があったんだって、私にとっても新鮮なことばかり。

「ここに来たら楽しくて、あっという間に時間が経っちゃう。ごめんなさいね、いつも時間をオーバーしちゃって」
「いえいえ」
「心ちゃんは今日もバイトでしょ? 帰って来たら、お惣菜を一緒に食べてね」
「いつもいつも、ありがとうございます」

 家で教室を開くようになると、当然「お母さんは、今日はお仕事?」のような話題になる。それで高校時代に親は離婚していること、お母さんが姿を消してしまったこと、今はルームシェアしている同居人がいることなど、少しずつ話していった。
 そしたら、みんな心配してくれたみたいで、いつもお惣菜や野菜を持って来てくれる。私はお茶とコンビニのお菓子を提供するぐらいだから、申し訳なくなる。

「ねえ、葵さん、もっと人数増やす余裕、ある?」
 井島さんたちは話しながら折り畳み式のテーブルを壁に寄せて、その上に作りかけのミニチュアハウスを置いていく。
「え、どうだろ……。10人が精いっぱいかなって感じで」
「そうだよね。このクラスは増やすのは難しいだろうけど、他の日にもう一クラスつくってみるのはどう?」
「え?」

「私の知り合いで、葵さんに習ってみたいって人が3人ぐらいいるんだよね」
「えっ、ホントですか?」
「私の友達にもいるよ。そっか、もう1クラス増やすのもアリかもね。うちらは月に1回だし」
「そうしたら、葵さん、完全に売れっ子ミニチュア作家だよね。教室だけで暮らしていけそう!」
「もっと増やして毎週クラス入れてもいいんじゃない?」
 みんなハイテンションで盛り上がっている。
「今すぐじゃなくていいから、考えといてね」
「ハイ、ありがとうございます!」

 お母さんがいなくなってから、お父さんが毎月生活費を3万円振り込んでくれるし、心も家賃を払ってくれるけど、生活していくのは、ホントにお金がかかる。光熱費や水道代、食費や税金、社会保障費。ミニチュアの材料代とか学校までの定期代とかであっという間に消えていく。
 教室の指導料や注文があったミニチュアハウスの製作費で、何とかやっていけている感じ。家賃を払わないで済むから、それは助かってるけど。生活するのってこんなに大変なんだって、ひしひし。

 玄関を出て、バス停に向かって歩いていくみんなの後姿を見送った。
「うちの息子、もう部活から戻って来てるかも」
「夕飯、何にしよ。旦那に作ってもらおうかな」
「明日は美容院でも行くかな~」
 生徒さんは井島さんのように独身の人もいれば、結婚してお子さんがいる人もいる。ミニチュアを作りながら家族の話をしたり、仕事の話をしたり、大人の世界を垣間見られるから、私にとっても刺激になる。

 途中で井島さんが振り返って手を振ってくれる。私も振り返した。
 井島さんとの再会が、こんな風につながっていくなんて。
 たまに、私は「捨てる神あれば拾う神あり」ってことわざを思い出す。拾ってくれる人がいるから、何とか私はやっていけている。

「さて」
 私は軽く伸びをした。
 ここからは自分の時間。
 コンテストに出す自分の作品を考えよう。
 年に1回春に開かれるミニチュアハウスのコンテスト。純子さんが理事を務める協会が主催していて、今年、応募してみた。落選したけど……。
 今回は夜の公園のミニチュアを作った。ブランコや滑り台、砂場やベンチがある普通の公園。砂場には誰かが忘れたおもちゃを置いたり、サッカーボールも転がしたり。
 電灯のまわりだけ明るい色にして、他は暗い色にして暗闇の中の公園を表したんだけど、それが不評だったみたい。

「作品を暗い色にするんじゃなく、電気を使って明暗を出せばいいんじゃないか?」「夜を表現するために真っ暗に塗るのは安易すぎるし、しかも美しくない」とか、ベテラン作家の審査員さんから厳しい意見をもらった。
 純子さんは、「ベテランには考えつかないような、若い感性が素晴らしい。その感性をつぶさないようにしてほしい」って、他の審査員に言ってたって、人伝に聞いたけど。
 影は入れたいんだよね。それが私の個性だと思うし。でも、実際に明かりを点けて影をつくり出すのは、なんか違う気がする。

 どうやって、不自然じゃなく光と影を表現できるんだろう。スケッチブックを前に腕組みをして考えても、何もアイデアは思い浮かばない。才能ある人は、きっとアイデアをポンポン思いつくんだろうなあ。
 私は、凡人だ。悔しくなるぐらいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?