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愛なんか、知らない。 最終章⑬未来の扉

「それとね、後藤さん、ここまでは過去の話。ここから、未来の話をしたいの」
「未来?」
 南沢さんの目がキラキラしてる。
「今、絵本を作らないかって話が来てるのね。私、その絵本を、後藤さんのミニチュアで作りたいの」
「えっ、ええほ、絵本ですか!?」

「私の世界観と、後藤さんの作品の世界観ってピッタリだと思うのね。だから、私が絵本を作るなら、後藤さんのミニチュアを使ってほしいと思って。絵本って言っても、大人も読めるような絵本だから、完全に子供向けにする必要はないみたいだし。どうかしら? 一緒に作ってみない?」
「え、えと、あの、突然の話で……」
「そうよね。すぐには決められない話よね。後藤さんも、ほかのお仕事があるでしょうし」

「ああの、あの」
 言うか言わずに済ますか、一瞬迷ったけど。
「わ、私、この2年ぐらい、自分の作品を作ってなくて。っていうか、作れなくて。あの時のことが、ショックで、その」
 その後、何と言葉をつなげばいいか分からなくて。

「実はそうじゃないかなって、思ってた。ポイッターもホームページも、この2年間、更新されなかったし。よっぽどショックだっだんだろうなって」
 南沢さんは、ふう、とため息をついた。

「後藤さんがどれだけ苦しんだのか、私には分からない。でも、後藤さんの時計が止まったままなのは、私は嫌なの。悔しいの。後藤さんはもっと素敵な作品をたくさん作れるはずだし。絵本は、まだ出版の時期は決まってないから、急がなくて大丈夫だから、よかったら、考えてみてくれないかしら。たとえ3年かかるんだとしても、私は後藤さんと一緒に作りたい」

 そこまで。そこまで、私の作品を。
 純子さん。私、生きててよかったよ。今、心からそう思える。
 でも、作れるんだろうか。
 また作品のアイデアを思いつくことができるんだろうか。
 じわじわと不安がこみあげて来る。

 南沢さんは帰りがけに、「これ、まだ完成原稿ではないんだけど、こんな感じのストーリーにしたいなって書いてみたの。よかったら、読んでみて。インスピレーションがわくかも」と、プリントアウトした原稿をくれた。
 枚数は多くないから、帰りの電車で一気に読んだ。
 少女がさまざまな出会いと別れを繰り返しながら、たった一人の大切な人に巡り会うストーリー。王道のストーリーではあるけど、南沢さんが書くと一字一句に切なさがにじみでてて、泣けてしまった。

 こんな素敵な作品のミニチュア、思いつけるのかな。
 『夜の音楽室』が今度こそカバーに使われるのは嬉しいけど。
 新しい企画で、このまま何も思い浮かばなかったら……?

 心に相談しよう。
 そう思って、ハタと気づく。
 心、彼女と一緒にいるかもしれない。邪魔しちゃ悪いよね。
 そうか、こうやって心との距離ができていくのか……。
 他に相談できる人は。えーと。
 私は迷いに迷いながら、鈴ちゃんのミニチュア教室の日に、塚田さんに相談することにした。

「つまり、後藤さんは2年ぐらい前に大きなトラブルがあって、新しい作品を作れなくなったってことですか?」
「そうなんです」
 圭さんとのことは伏せて、今起きていることを伝えた。鈴ちゃんは、私たちの話が始まると何か察したのか、一人で黙々とミニチュアを作っている。

「うーん、そうだなあ……。僕は、そんなクリエイティブな人間じゃないから、生みの苦しみとか味わったことはないんだけど。その南沢さんという人は、後藤さんの今の状態を分かったうえで一緒に本を作りたいって言ってるんですよね」
「ハイ」

「じゃあ、僕だったら、とりあえず引き受けると思います。それで、ホントに2、3年経っても何も思い浮かばなかったら、『ごめんなさい、やっぱダメでした』って謝ることになるかもしれないけど。2、3年の間に何か思いつくかもしれないし。最初に断ってしまったら、何も生み出せないまま終わるんじゃないかなって」
「そうですよね……。でも、やっぱダメでした、ごめんなさいってなったら、いろんな人に迷惑かけちゃうんじゃないかって思って」

「ああ、なるほど。迷惑をかけちゃうかもしれないけど、僕としては、それを怖れて動かないでいるより、やってみてダメだったって言うほうが、迷惑じゃない気がして。僕も部下に教える立場なんだけど、最初から『自分にはムリです』とか言う人もいて。でも、ムリなのかどうかはやってみないと分からないでしょって話で。やってみてダメなら、どうすればいいのか教えることはできるけど、何も行動しない人に対しては、何も教えられないっていうか。何というか、チャレンジを怖れる気持ちだけは、本人に何とかしてもらわないと、まわりでどうこうできるものでもないし」

「なるほど……」
「後藤さんは人の気持ちを考えるタイプだから、相手に迷惑をかけたくないって気持ちが強いと思うんだけど、何を迷惑に感じるのかは、人によって違うから分からないし。まあ、工場の仕事と、後藤さんのミニチュアの仕事は全然違うから、参考にならないかもしれないけど」

 私は今、感動してる。
 まさか、自分の悩みを、こんなに真剣に考えてくれるとは思わなかった。
 それも、私のことをちゃんと分かってくれてるし。

「あの、ありがとうございます。私、前向きに考えてみようかなって気になってきました」
「ホントですか!? 僕のアドバイスなんて、そんなに役に立つとは思えないけど」
「ううん、そんなことないです、ないですっ」
「でも、僕にそれを相談したってことは、やりたいって気持ちがあるからじゃないかなって思って。1㎜もやりたくなかったら、その場で断ってるでしょ?」
「あ、確かに」

 確かに、そうだ。悩むってことは、やりたいから悩むってことなんだ。
 やっぱり、塚田さんはいい人だ。
 私にはもったいないぐらい。
 私の話に真剣に耳を傾けて、私のために解決策を懸命に考えてくれて。
 私、ようやく、出会いたい人と出会えたのかもしれない。

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