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愛なんか、知らない。 第8章④思いがけない訪問者

 やっぱ、ミニチュアの仕事、やめようかな。教室もやめよっか。人数も減っちゃうし。
 そんな気持ちがフツフツとわいてきた。

 実は、盗作騒動の後、就活っぽいことをしたこともある。ミニチュアから離れるために。
 でも、大学4年の冬なんて、当然だけど、どこの企業も募集なんてしてなくて。
 キャリアセンターに相談して、やっと受け入れてくれる企業を見つけて、面接に行った。急遽買ったリクルートスーツを着て。

 名前を聞いたこともない、どんな仕事をしているのかもよく分からない、中小企業だった。
 でも、せっかく面接してもらったのに、「今までどんな企業を受けましたか?」「一社も受けてないんですか? それはどうして?」って聞かれて、うまく答えられなくて。ミニチュアのことはどうしても話題に出したくなかったから。
 2、3社受けてみて、あ、もうムリってなった。それからしばらく、引きこもりっぽくなっちゃったし。

 ミニチュアから離れたくても、ミニチュアしかやって来なかった私にはミニチュアしかない。
 そんな現実を突きつけられただけだった。

 今までは心がいたから、生活費は何とかなったけど。そろそろ、ちゃんと働かなきゃ。
 バイトでもしようかな。でも、ネットで求人サイトを見てみても、とくにこれといってやりたい仕事がない。そんなぜいたくを言ってられないのかもしれないけど。
 はなまる亭でバイトするとか。市原さんは、まだあのお店にいるみたいだし。心のお店でしばらく働かせてもらってもいいかも。

 純子さんも信彦さんも心配していて、「落ち着くまでうちで暮らしなさい」ってしょっちゅう言ってくれるけど。
 これ以上、傷ついてる姿を見られるのは、ツラいよ。
 圭さんの裏切りを知ったばっかのころは、純子さんの家でしばらく寝込んでた。もう、二人が心配している顔を見たくない。

 悲しみが体から完全に消え去るのは、いつだろう。
 私はソファに寝転がった。
 ふと、怖い考えが頭に浮かびそうになる。
 ダメだ。怖い考えに呑まれたらダメだ。
 苦しみから解放されたいとか、ラクになりたいなんて、考えたらダメだ。
 でも、その誘惑はたまに甘く囁くんだ。弱っている心に、するりと忍び込んでくる。

 その時、チャイムが鳴った。
 あれ、宅急便とか頼んでたっけ?
 私はノロノロと体を起こして、インターホンを見る。その間に、もう一度チャイムが鳴る。
 門の外には、女性が一人。あれ? 見たことがある、この人。誰だっけ?

「あっ」
 もしかして。もしかして。
 はじかれたように私は玄関に駆けた。その勢いのまま、ドアを開ける。
「やっほ」
 門の外で手を振る、その人物は。
「優!!」
 
 5年ぶりに会う優は、すっかりおとなびていた。ってか、もう二人とも20代だから大人だけど。
 この1年ぐらい、スカイプでも会話しなくなっていた。私が精神的にダメージ受けすぎてて、優と話す気になれなかったんだ。
 前は金髪に染めて、メイクも派手目だったのに、今は黒髪のショートに戻って、メイクも普通になっている。
 今、優は仏壇の前に座って、おばあちゃんに挨拶してくれてる。

「ごめんね、突然」
「ううん、ビックリしたあ。帰って来るなら、言ってくれればよかったのに」
 麦茶を入れると、優は一気に飲み干した。
「ごめん、喉乾いちゃって」
「ううん」
 私はもう一杯注いであげた。それも半分ぐらいゴクゴクと飲む。

「優は、就職してるんだっけ?」
「うん、大学の先輩が起業してるから、そこでインターンとして働かせてもらって、そのまま社員になったんだ」
「そっか。何系の仕事?」
「ウェブで手作りの作品を販売する仕事」
「へええ。優も出品してるとか?」
「うーん、今は自分の作品は出品する気になれなくて。そのうち、また豆本を作りたいんだけどね」
「そっか」
 そうやって、ミニチュアから自然と離れていく人は多い。私も、それができたら、どんなにラクだろう。

「あのね、私、結婚することになったんだ」
 いきなりの告白に、私は目を丸くした。
「えっ、そうなの!? 相手は? 一緒に暮らしてた人?」
「ロバート? ああ、ロバートとはだいぶ前に別れて、今つきあってるのはスチュワートって言って、アーティストなんだ」
「アーティストって?」
「ブリキを使ってオブジェとかいろんなグッズを作ってるんだけど、その作品が素敵なんだ。うちのウェブによく出品してて、それを見て『いいな』ってチェックしてて、個展を観に行って親しくなったのがきっかけ」
「えっ、なんか、すごい素敵なきっかけ! まるで映画みたい」
「そうかな」
 優は照れくさそうに笑う。

「おめでとう! その人、どんな作品を作るの?」
「彼はセンスがいいんだ。こういう作品を作ってる」
 優はスマホで作品の画像を見せてくれた。
「ほわ~、いいね! 優が好きになるのも分かるよ」
「スチュワートに葵のことを話して、作品の画像も見せたら、すっごく興奮してたよ。それで、実物を見てみたいって言ってるんだけど、ここに観に来てもいい?」
「えっ、今から!?」
「ううん、明日。葵がよければの話だけど」
「う、うん、いいけど」

「よかった。ありがとう! 明日、うちに二人で挨拶に行こうってことになってて。一応ね、親に会っておきたいんだって」
「そうなんだ」
「たぶん、会うのは一回きりで、もう二度と会うことはないんだろうけどね」

 何でもないことのように言う優。家族と完全に縁を断って、一人で生きて来て。優のそんな強さは、相変わらず尊敬する。
「それじゃ、これからずっと、アメリカで暮らすってこと?」
「うん。私には、あっちのほうが合ってるから」
「そっか」

 そうしたら、もしかして、優と会うのはこれが最後になるかもしれないってこと?
 それは聞けなかった。
 すでに何年も会ってなかったけど。きっと、これからはスカイプでやりとりする回数も減っていくだろうし。ってか、既に減ってるし。
 そうやって、別々の人生を歩んでいくんだろうな。

「ねえ、私、高校に行きたい」
「えっ、今から?」
「明日の朝でもいいけど。まだ2時だし。行ってみない?」
 迷ったけど、とくにすることもないし。高校に行くことにした。

 卒業してから、一度も足を運んでない学校。
 同窓会も、一度も参加してない。卒業後はみんなと疎遠になっちゃったから、何となく行きづらくて。美術部の人たちとも、全然交流がなくなっちゃったな。
 久しぶりの学校は、パッと見、何も変わってない。
 校舎はそのままだし、制服もそのままだし……って当たり前か。まだ5年しか経ってないんだから。

「懐かしいな~。何も変わってないね」
 優はまぶしそうに学校を見つめてる。
 職員室に挨拶に行くほど、親しい先生がいたわけではないし。校門の外から見てるだけの私たち。門から、下校する生徒が次々と吐き出される。制服からすらりと伸びている、同性の私が見てもドキッとするような白い足。
 私は、高校時代はあんな風にキラキラ輝いてなかったなあ。
 文化祭でみんなにミニチュアを教えたのは、ホントにいい経験だったな。それで優とも親しくなれたんだし。あのころが、人生で一番輝いていたのかもしれない。

「ぐるっと回ってみようか」
 優は校舎裏に向かって歩き出した。
 女子高生の群れと離れて、「あ、焼却炉だ、懐かしい」なんて言ってた時。

「ごめんね、つらい時期に何もしてあげられなくて」
 ふいに、優はポツリと言った。
 私は「なんのこと?」って感じで優の顔を見た。真剣な顔。ああ。全部知ってるのか。圭さんとのことも。

「葵に何が起きてるのかは、心さんから聞いてて」
「心から?」
「うん、去年、DM送ってくれたんだ」
「えっ、そうなんだ」
「葵が立ち直れないから、励まして欲しいって言われて……でも、『話聞いたよ』って、こっちから言うのはどうなのかなって思ってて。ごめん、ホントに」
「ううん、そんな」

「葵をそんな目に遭わせて、そいつ、ホントに許せない」
「うん……」
「でもね、そんなヤツのせいで、葵がずっと落ち込んでるのは悔しい。葵には、もっといい相手がいるはずだし。そんなヤツのことなんて忘れて、早く自分の人生を歩んでほしい」

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