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月例落選 俳句編 2023年2月号

投函したのは2022年10月31日。先月発行の1月号で角川『俳句』の定期購読を終了したので、2月号は駅前の本屋の棚で落選を確認してきた。

題詠は「甘」。

焼き栗の甘さばかりの暖かさ

渋柿を酔わせて甘くする手管

桃栗三年柿八年、などと言う。桃も栗も柿も大好物だ。毎年10月には信州の小布施から栗、越後の柏崎から柿が届く。ふるさと納税の返礼品だ。ふるさと納税はそれなりの税金を納めていればこその特権なので、賃労働者としての暮らしが続くあと数年ほどの楽しみだ。どこも相当に気合いの入った品物を送ってくれるので、いつも楽しみにしている。

栗は収穫してすぐのものより、冷蔵(と言っても、温度がミソらしい)で一ヶ月ほど寝かせると甘さが増すらしい。その寝かせた栗をいただいている。栗の食べ方にはいろいろあって、いろいろ試した結果、自分は焼き栗が一番好きだ、との結論に達した。皮にナイフを入れ、オーブンあるいは魚焼きグリルで焼く。アツアツの栗を「あちっ、あちっ」と言いながら皮を剥いて食べる。栗が届くのは10月中旬だ。暑くもなく、寒くもないちょうどいい塩梅の陽気と、焼き栗の微かな甘味の塩梅とが自分の中ではうまい具合に重なりあっている。

10月下旬に柏崎から届くのは渋柿だ。小皿に焼酎を取り、そこに柿のヘタをつけ、ビニール袋に入れて軽く縛る。10日から2週間ほど置くと甘くて美味しくなる。例年はそうやっていただくのだが、今年はホームセンターで野菜類を保存する網袋を買ってきて、皮を剥いた柿を入れてベランダに干してみた。ただ干すと黴が出るかもしれないので、茶碗に焼酎を入れ、そこに皮を剥いた柿をドボンと漬けてから袋に入れた。やはり2週間ほどすると、水分が抜けて「こんなに小さかったっけ?」と思うようなサイズに縮む。さらに2週間ほどすると「これは一体何だ?」というような黒っぽい小さな塊になる。これがまた旨いのである。

「焼酎」と書いたが、もちろん焼酎で差し支えないのだが、渋抜き用のアルコールも売られている。私も家人も進んで酒を飲む方ではないので、家に酒類の在庫が乏しく、専ら渋抜き用のアルコールを買って使っている。

雑詠の方は以下の3句。

新蕎麦の産地を当てて得意顔

赤い羽根行方知れずの募金箱

ハロウイン神を忘れて神怒る

10月は農作物の収穫時期でもある。あまり外食はしない方なのだが、蕎麦が好きで、蕎麦に関してはお気に入りの店がある。以前にも書いた記憶があるのだが、その店ではその日の蕎麦粉の産地を書いた卓上の幟がレジに置いてある。店の人の話によると、そんなものがあってもなくても蕎麦の産地をピタリと当てる常連客がいるのだそうだ。私は北海道産か否か、とか、群馬や栃木といった北関東の蕎麦は何となくわかる。関東の蕎麦には独特の甘味を感じる。それが好きかどうか、というのは別の問題だ。

10月は赤い羽根募金というものが大々的に行われる。駅の改札前のような人流の要のようなところに子供たちが並んで「あかいはねぼきん、おねがいしまぁす」とやっている。子供を使うところがミソで、そうすることで募金の信任が一気に高まる。しかし、だ。私はああいうものをあまり信用していない。

いつからそうなったのか知らないが、10月末は繁華街で大騒ぎになる。日本だけかと思ったら、そうでもないようだ。宗教行事に限らず、年中行事にはそれぞれに由来や由緒があるはずだ。そういう本来を忘れて狂騒に耽ると何か妙なことになる気がする。人の暮らしというのは、本来、それほど気楽なものではないように思うのだ。どんな動物も生きるのに一生懸命だ。人間だけが「人間らしく」などと言いなが安逸を貪ることが許されるはずはないと思う。しかし、楽をすることがあるべき姿であるかのように語られることが多い気がする。昔、「母に捧げるバラード」という歌がヒットした。その語りの台詞に次のような一節がある。

人間働いて、働いて、働き抜いて、
もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、
一度でも思うたら、
はよ死ね。
それが人間ぞ。
「母に捧げるバラード」作詞:武田鉄矢 より

今時の「働き方改革」の正反対を志向する言葉だが、私には「休みたいと思ったら死ね」の方がしっくりくる。だからどう、というわけではないが。

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