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続々 『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』

本書については際限がないので、これで打ち止めとする。面白い本だった。

言葉とは少し離れる話題だが、農耕についての第9章が興味深い。よく人類の発達史として、狩猟採集社会から農耕を発見あるいは発明して農耕社会に移行するという説明を聞くのだが、本当にそうなのだろうかと近頃疑問を抱いていた。きっかけは宮本常一の一連の著作、殊に『民間暦』の最初の方の記述に引っ掛かったからだ。

農家が食料を買わねばならぬというほど矛盾したことはないのだが、日本の農家の大半はそうであるといっていい。

宮本常一『民間暦』講談社学術文庫 36頁

現実がどうであったかは知らないが、歴史の前提として農民は収奪される側の存在として語られることが多い気がする。時にその圧力に耐えかねて一揆であるとか、反政権的運動が起こったりするという史実が現れる。農耕は土地を耕し、種を蒔き、手入れをして、収穫を迎えるまで長い時間を要する上に、収穫を得る保証はどこにもない。その上、収穫物のかなり部分を権力者に上納する仕組みになっていることが多い。農耕は誰にとって望ましいのかと言えば、農耕に携わる本人ではなく、その地域を支配する権力者にとってである。そんなものを好き好んで人々が始めるだろうか、と思うのである。つまり、農耕があって、そこから権力構造が構築されるのではなく、先に権力構造があって、その権力が農耕という支配装置を統治手段の一つとして活用したのではないかと考えた。本書第9章はその疑問に関係している。

第9章 農耕・人類の職業選択のゆくえ
佐藤洋一郎 総合地球環境学研究所副所長(現:名誉教授)
人類が農耕を始めたのは約一万年前らしい。トルコ南東部で麦を中心としたものと、中国長江流域でイネを中心としたものだ。始まりは相互に関係しているわけではなく、それぞれの土地に根ざした作物が農耕の中心になる。日本では、現在の考古学的調査に基づけば、3千年ほど前に稲作が始まったとされている。歴史上は農耕が始まった時期には強大な政治権力があったとは認識されていない。しかし、農耕という共同作業を監理する社会はあったということになる。ただ、いまだに農耕の起源は明快にはわかっていないらしい。

農耕以前と農耕以後の本質的な違いとは何だと問えば、組織的に特化するか否かという点が浮かび上がる。農耕とは、たくさん利用していた食料のなかから、数種類(あるいはほぼ一種類)を選び出し、集団で一致してその育成に心血をそそぐことであり、いわば集団として食料確保の方法を切り替えることではないか。
 すると、「最初に農耕をはじめたのは、なぜだ?」という疑問はこう変わる—最初に集団的に食料を切り替えたのは、なぜだ?

273頁

地球環境の変動も当然に影響するだろう。環境保護とか持続的発展といった科学の仮面を被った政治的な動きが活発だが、そもそも地球環境は安定などしていない。たまたま人間が実感を持って見通すことのできるスケールの範囲内で「安定」という幻想を抱く程度の振幅で変化をしてきたというだけのことだ。それはせいぜい数百年程度のことだろう。以前にも『万葉集』のところで書いたが、地面はちっとも確かではないのだ。地殻の内側はマントルという液体状のものが対流している、なんてことは義務教育で教わった、はずだ。その地殻は複数のプレートに分かれていて少しずつ動いている、なんてことは常識だ。だから地震が起こるわけで、そもそも我々の生活は足元が揺らいでいる。自転軸の話にしても、地球の自転だけでなく、地球が太陽の周りを巡る公転があり、おそらく太陽系丸ごと何かの周りを回っている。そして、その「何か」は別の何かの周りを回っていると考えるのが自然というものだろう。農耕が始まった一万年前は、たまたま地球の気候の変動が安定期に入った時期らしい。

グリーンランドの大地を覆う分厚い氷河(大陸氷床という)を円筒状にくり抜き、その氷を分析して判明した。およそ一万年前を境にして、平均気温の様子はガラリと変わっていたのだ。直近の一万年は平均気温の変化はおよそ一度の範囲内に収まっていたのに対し、それ以前は激しい乱高下を繰り返していたのだ。

207頁

日本国内にも長期にわたる気温の変動がわかるものがあるという。喜界島のハマサンゴだ。ハマサンゴは年輪を刻んでいて、海水中に溶けているカルシウムを取り込んで成長する。このとき、微量のストロンチウムも一緒に取り込む。このストロンチウムの量が、海水温が低くなると多くなるというのである。このことからハマサンゴの化石に含まれるストロンチウムの量を計測することでサンゴが生きていた時代の水温を知ることができるらしい。なぜ喜界島かといえば、このあたりがフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界で、島が一年に二ミリずつ隆起しているのだそうだ。このため、海に潜らなくてもハマサンゴの化石が入手できるのだ。

2009年の夏までに、七つの年代のデータの分析を終えたという。その結果、喜界島周辺の海水温はこの一万年のあいだ、およそ三度の幅で変化していたことがわかった。
「これは海水の温度なんですけれども、それと連動して気温も同じように変化したと考えられます」
 目につくのは、およそ四千年前に急激に海水温が下がっていることだ。
 佐藤さんによれば、この四千年前という時期は、東アジアの農耕の歴史では大きな事件が起きているそうだ。
「長江の下流にあった長江文明が表舞台から去るのが、ちょうどその時期なんですね。気温低下が直接影響したのか、何らかの連鎖反応で最終的に長江文明が衰退したのか、そのあたりはまだよくわからないんですけど」

280頁

農耕は自然の中での営みであることには違いないのだが、植生を大きく変動させるという環境破壊の元凶でもある。本書ではアラル海の事例が取り上げられているが、程度の差こそあれ、人間が己の生存のために己の生存基盤を破壊しているのも事実だ。身も蓋もない言い方をすれば、人間の存在そのものが地球環境にとって脅威であり、その人間がSDGなどと騒ぐのはどこか滑稽でもある。

人間がいかに地球環境において特異な存在であるかは、他の章でも様々に語られている。我々の我儘を放置しておいてよいはずはないのだが、今更ながら人間は身勝手で、自分で思っているほど賢くはないということがよくわかった。

今回取り上げた章以外の章のタイトルと案内役は以下の通り。

第3章 ロボットが問う"人間の証明"
石黒浩 大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授およびATR知能ロボティクス研究所客員室長(現:同大学教授、国際電気通信基礎技術研究所石黒浩特別研究所所長、国立情報学研究所客員教授)

第4章 私が知らない私の心
山岸俊男 北海道大学大学院文学研究科教授(2018年5月没)

第5章 私のなかの「動物」vs「文化」
長谷川眞理子 総合研究大学院大学教授(現:同大学学長)

第6章 言葉はどのように誕生したか 心を生んだ装置その一
岡ノ谷一夫 理化学研究所生物言語学研究チーム・チームリーダー(現:帝京大学先端総合研究機構教授)

第7章 表情という"心の窓" 心を生んだ装置その二
金沢創 日本女子大学人間社会学部准教授(現:教授)

第8章 一四〇〇グラムのアイデンティティ 心を生んだ装置その三
田中啓治 理化学研究所脳科学総合研究センター副センター長(現:同センター認知機能表現研究チーム・チームリーダー)

第10章 死と向き合う心
田沼靖一 東京理科大学薬学部教授、ゲノム創薬研究センター・センター長(現任)

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